その1
「“君の姪御さんがピンチだ。救けてやってくれ”」
と、まっ赤な髪に丸顔の青年は言った。止まった時間の、止まったエレベーターの、あの、ほら、天井にある、あの緊急救出口ってやつから、逆向きに、顔だけ出して。
「僕の姪っ子?」山岸まひろは訊き返した。まさか自宅のマンションでこんな奇妙な状況に陥るとは想ってもいなかったけれど、「って、どの姪っ子ですか?」と、それでもなんだか冷静に。
「どの姪っ子?」男は訊き返した。ひき続き顔だけ出して、逆向きになったまま、「……そんな何人もいるの?」
「兄が三人いてですね」まひろは続けた。おどろくのにも飽きたのか、友人にでも話す感じで、「いちばん上の兄には男の子と女の子がひとりずつ」二番目の兄は未婚だけれど、どこに子どもを作っていてもおかしくない人で、「三番目の兄にも子どもがふたりいて、こちらはどちらも女の子です」
「そうなの?」男は訊き返した。ふたたび。「ひい、ふう……三人も?」
「ええ、まあ、いちおう」まひろも返した。ふたたび、「僕が把握している限りはですけれど――」と、とにかくプレイボーイだった二番目の兄を想い出しながら、「どの姪っ子ですか?」
「えーっと?」と逆さまになったまま男は首を傾け、
「名前は? 名前は分からないんですか?」と続けてまひろは訊いた。
「あー、ほら……、えーーーーーーっと? 地球人の名前って覚えにくくってさあ」
「なにか見た目の特徴とかは?」
「え? あー、鼻がひとつに目がふたつ、口もひとつで、あー、そうそう、耳はふた――」
「それ、特徴でもなんでもないです」
「えー? でも、地球人の顔ってみんな似たような――あ、じゃあ、ちょっと試しに、その三人の名前って言ってもらえる? 聞き覚えがあれば、それで想い出すかも」
「はあ」とまひろ。大丈夫かな? このひと? とか想いながら、「えっとー、いちばん上の兄の子が『まことちゃん』で――」
「あ、いや、ちがうな。なんかこう、もうちょいパァーってあかるい感じの名前だった」
「はあ」パアッとあかるい?「三番目の兄の子は、『ネネちゃん』と『トモエちゃん』って――」
「あ、いや、それもちがうな。そんな物騒な名前じゃなかったと想う」
「はあ?」物騒?「でも、そしたら、鷹士兄さんが僕らに内緒で作った子とか――」
「あ、いや、たしか、同じこの町に住んでるんじゃなかったかな?」
「えー? でもだったら、鷹士兄さんはずっと前に町を出てますし、三番目の兄さんは千葉の勝浦在住ですし――」
「だったら、一番うえのお兄さんの子どもかなあ?――どの子だっけ?」
「まことちゃんですね」
「その子、どんな子?」
「どんな子って……、顔は奥さんに似てかわいい感じで……、お人形遊びが大好きで、ああ、絵本とかもよく読まされますね。幼稚園のお遊戯会では――」
「へ?」
「はい?」
「……幼稚園?」
「ええ、いま年長さんで――」
「高校生だろ?」
「え? いえ、五才の女の子ですよ」
「そんなバカな!」
「バカなもなにも、富士夫兄さんの娘って言ったら――」
「だって、高校の文化祭で殺されるのを救けてやってくれって言いに来たんだよ? ぼく」
*
さて。
丁度これと同じころ――右のような嚙み合わない会話が延々続けられている丁度そのころ――彼らから数kmほど北西に向かった石神井川の橋の上では、これまたまっ赤な髪にまるい顔の青年が、
「“君の姪御さんがピンチだ! 救けてやってくれ!”」
と、亜麻色のサマーコートをまとった樫山ヤスコに向かって叫んでいた。こちらも止まった時間の、止まった橋の上で、とても真剣な顔と表情で、ヤスコの肩をむんずっとつかんで。
が、しかし、彼のことをよく知る樫山ヤスコ――彼女は九才の頃から彼を知っている――からしてみれば、彼がこんな顔と表情で何かを言うときや、昔の海外ドラマのような態度を取るとき(肩をむんずっとつかむとか)は、大抵、物事の肝心の部分を忘れていたり、すっ飛ばしていたり、とかく勢いだけで話を進めて行こうとしているときなので、
「はいはいはいはい、ミスター、落ち着いて」
と肩に乗せられた彼の右手を、トントントントン。軽く叩いて、それをゆっくり引き離し、
「私に姪なんていないわよ」と、とっても冷静な口調で応えることになった。「あなた、また誰かと勘違いしてない?」
と言うのも彼は以前、ヤスコと中島歌子を取り違え、彼女を西暦1864年の筑波山に送り込むという大チョンボをしたことがあったからである。(注:この時の詳細は、機会があればいつか書きます)
「え?」彼は応えた。一瞬自分を疑いはしたが、「あー、いやいやちがうちがう。今回は、間違いなく、きみ、樫山ヤスコちゃんで間違いないよ」とふたたび彼女の肩に手をやって、「……ほんとにいないの?」
「うちの弟、知ってるでしょ?」ヤスコは応えた。ながい付き合いだからもう慣れたけど、ちいさな男の子にでも言って聞かせるような感じで、「たしかに一度結婚したけど、すぐに別れたじゃない、あいつ」
「あー」青年は応えた。「なんだっけ? 奥さんに彼女が出来たんだっけ?」
「そうそうそう」とヤスコ。「それで別れてうちに戻って、そっからは彼女が出来たこともないわよ」
「子供さんは?」と青年。
「いないいない」とヤスコ。
「きみ、他にごきょうだいは?」
「まあ、お母さん――家を出てった実のお母さんの方ね――がどこかで作ってたら分からないけど、そんな話聞いたこともないわね」
「お父さんの方は?」
「ないと想うけどなあ……、お母さんと別れてからはお母さん――あ、義理のお母さん、弟のお母さんの方ね――一筋でラブラブだったし。この前亡くなったときも、そんな話は出て来なかったし」
「え? お父さんお亡くなりになったの?」
「そうそう。それが、ずーっと家に寄り付きもしなかったんだけど、出張先のエジプトで――って、ちょい待ち。ミスター」
「なに?」
「私が言うのもなんだけど、会話パートが長過ぎる」
「え? ああ、ごめんごめん。この作者さんに任せてたら、つい……」
「まったく……。ってことで話もどすけどさ、やっぱ誰かと勘違いしてない?」
「いや、ここにこうして、君のところに飛ばされて来たワケだから……」
「ひょっとして、千佳子のとこのユイちゃんのこと? わたし彼女に、「実の叔母さんだと想っていいからね」とか言ってるし」
「千佳子さん? あー、あのお菓子作りの上手な? 子どもが三人いる?」
「そうそう」
「あの子、いまいくつ?」
「えーっと? たしか七つか八つね」
「ああ、だったら違うなあ。今回救って欲しいのは、高校生の女の子だから」
「高校生?」
「うん。だって、高校の文化祭で殺されるのを救けてやってくれって言いに来たんだもん、ぼく」
*
さて。
丁度これらと同じころ――と言うことは、樫山ヤスコや山岸まひろが、奇妙な赤毛の男に絡まれていたころという意味だが――祝部ひかりはパニクッていた。前話に続き、彼女の高校の、いまは静かな、うす暗い廊下に立って、
「え? あれ? 内海くん?」と。「ちょ、ちょっと、ふざけないでよ、どこ行ったの?」
と、前話ラストとは少々ちがうパニクり方で、
「ねー、どうしたの? ひょっとして私、なにか怒らせるようなこと言った?」と。「ねー、隠れてないで出て来てよ」
と言うのも、こちらも前話ラストで書いたとおり、愛だの恋だの、作者の趣味で書いちゃった百合展開だの青春まっただ中の筋肉バカだののせいで、彼女の思考回路はショート寸前、その能力が暴走、自分でも知らないうちに《窓》を開くと、その《窓》の中に、
ぱっ。
きゅっ。
ひょんっ。
と、問題の筋肉バカこと内海祥平を取り込み凝縮、そのまま何処かへとふっ飛ばしてしまっていたからであるし、しかも、そのことに彼女の意識がいまだ追いついていないにも関わらず、
ぐぉぉおぉおぉぉ。
と問題の《窓》がそこに、いまだ奇妙で複雑な色彩を放ちながら開いたままになっていたからである。
(続く)




