その7
「それじゃあこのあと送るんで、エマちゃんも見てみてよ」佐倉八千代はそう言うと、そのまますぐに電話を切った。「公園の東側から見てくんでいいと想うんだよね」と。
そうして、それから彼女は、手もとのスマートフォンをカメラモードに切り替えると、
カシャッ。
と昨夜想い付きで描いた地図を写真に収め、それをそのまま木花エマへと送った。
ふぁーあ。
とちいさなあくびをひとつして、しばらくぽけーっとしたかと想うと、
「あ、やば」
と言ってスマートフォンを持ち直した。昨夜、「また明日考えるとして」と放置していた大学の課題を想い出したからだった。「こまったなあ」彼女は小さくそうつぶやくと、
テトテトテト。
と、先ほどの写メとは別に、木花エマにラインを送った。課題をすっかり忘れていたこと、講義も結構詰まっていること、それに今夜もバイトだよね、と。
『了解。』返事は迅速かつ簡潔だった。『私も課題残りまくり。』地図もキチンと見ておきたいし、『明日か明後日でいいんじゃない?』と。『詳しくはバイトで。』と。
昨夜彼女たちは、八千代が見た夢のはなし、世界が終わる直前の夢の内容について、その調査を、「まずはふたりで始めよっか」ということだけ決めて終わっていたのだが、それでもどこから手を付けてよいか見当も付かないでいたところ、その深夜、ふっと想い付いた八千代が、周辺の白地図に夢で歩いた自身のルートをマッピング、それをエマに伝えたところ、
『じゃあ、まずはそのルートを歩いてみましょうよ。』ということになったのであった。『そこから何か想い出すかも知れないしさ。』と。
ちなみに。ここで一応の補足をしておくと、木花エマはただのひとであり、佐倉八千代のような特殊能力は何ひとつとして持ってはいなかった。もちろん。これまで何度も、八千代の能力を見たり触れたりしているが、それを直接、我が事として体感したこともなかった。が、にも関わらず、彼女は八千代の能力を疑うこともなければ、逆に気味悪がって彼女から離れるようなこともなかった。
「だってヤッチですよ?」といつだったか彼女は私にこう言った。いつものように笑いながら、「うそとか吐ける子じゃないですし」吐いてもすぐにバレちゃうし、「能力つかった悪いことなんて」きっと想いも付かないだろうし。やっても結局、「それで一番傷付くのは、あの子でしょうしね」と。
だからだろうか佐倉八千代は、木花エマをこころの底から信頼し、信用していた。手ばなしで。危ない目に一緒に会ったり、会わせたりしたこともあるし、賢明とは言い難いふたりで色々やることへの不安もあるにはあったが、それでも彼女と一緒なら、どんな場面もなんとかなるような気が彼女・佐倉八千代にはして――って、ああ、なるほど。
「ああ、なるほど」あるとき八千代はこう言った。こちらも、いつものようにほほ笑みながら、「これが、エマちゃんの能力かも知れませんね」と。「だからあんまり、不安とか感じないのかも知れませんね。わたし」と。そうして――、
*
それでもやはり不安はあったが、マリサ・コスタは、アーサー・ウォーカーを学校に行かせることにした。彼は、彼の母――つまりはマリサの実の妹――によく似て聡明で、小学校レベルの授業に遅れたりするようなことはなかったが、それでも、
「お! アーサーじゃん!」
「やっほー! ケンタッ!」
「おまえどうしたんだよ、急に休んで」
「ごめん、ごめん、ちょっとカゼ引いちゃって」
「おかげでサッカー負けっぱなしでさあ、今日は出てくれるよな?――おーい! ユウマ! カオル! アーサーだぞー!!」
と、家で自分や義母といるよりも、学校で友だちと遊ぶ時間も必要だろうと、そう彼女は判断したのであった。が、もちろんこれは、
「天台からは、貴女によくするよう言われておりまして」と、問題の不動産王・天台烏山の秘書から、「もちろん、貴女の甥のアーサーさんにも」
という言質が取れ、さらに例えばあの借金取り・金平瑞人の彼女に対する態度が目に見えて軟化・和らいでいたからでもあった。
「おばさん?」とここでアーサー・ウォーカーが訊いた。友人たちの下へと向けた足を、一旦止めて、「おばあちゃんのところに戻るんだよね?」
「え?」マリサは応えた。「え、ええ。おじさんの店ですこし調べものとかしてからね」
「ほんと?」続けてアーサーは訊いた。
「ほんとよ」続けてマリサも答えた。「どうかした?」
それからふたりは、ほんの一瞬、無言で見つめ合っていたのだが、
「おーい! アーサー!」というケンタ君の声でその沈黙は破られた。「はやく行こうぜー、遊ぶ時間なくなっちゃうぞー!」
「あ、うん、ごめーん」アーサーは叫び、「すぐ行くー」マリサの方をもう一度見た。「おばさん?」と彼女を心配するような声と目で、「あんまり、無茶とかしないでね」
「うん?」マリサはほほ笑み応えた。「なによそれ」わざと軽い口調となるよう注意しながら、「無茶なんかしてないわよ。さ、ケンタくん待ってるから、はやく行きなさい」
それから彼女は、走り去っていく甥の背中を眺めながら、昨夜、天台の秘書から頼まれた妙な依頼を想い出していた。
「山岸?」あの後何度か写真を見返してはみたものの、やはり、問題の男と自分の間に面識はなかったし、「富士夫?」また、なぜ天台が彼と彼女を会わせようとしているのかについても、まったく想い当たる節がなかった。そうして――、
*
こちらのふたりは会うべくして会ったというか、男の方には取り敢えず、『業務命令』という理由があったし、女の方も取り敢えず、この男と会うことが苦痛ではな――いや、すこし楽しみに想えて来ている部分もあった。もちろん彼女の指向から、男女のアレコレみたいなものへの発展は皆無であろうが――と、言うことで。
都合三度目となる直接の対話で、小紫かおると樫山ヤスコの間にある好意的な空気は、より一層深いものへとなった様子であった。
もちろん。小紫かおるがその能力を十分に発揮してしまえば、より一層、簡単&確実に、彼女の好意を手に入れることも可能ではあっただろうが、それでは効果が短く薄いことを彼は熟知していたし、また、それに加えて、仮に当初の予定から外れ遅れたりしたとしても、出来ればこの女に自分の能力を使いたくない、という想いも、彼のなかで強まっていることも確かだった。何故ならかおるは、「こいつはあまりに無防備だ」と、ヤスコのことを見ていたからである。天然、無邪気とまではいかないまでも、奇妙なあけすけさがこの女の会話や態度にはある、あり過ぎる――そう彼は想っていたのである。
「たしかに。あの短編も悪くはないんですけれど」彼女は言った。目を伏せ、どこか深い場所をのぞき込みながら、「それでもやはり、あの短編集に入れるのはすこし失敗だったかな、と後になって気付いたんです」
これは、過去にヤスコが出した短編集所収の『月とコイン』というお話について、かおるが、「とてもよかった」と語ったことへの彼女なりの回答、無邪気で、あけすけで、あまりにも正直な、作者としての応答であった。かおるは訊いた。
「でも、私は感動しましたよ」特に主人公の女性の言葉に、「“想い出を、怒りに変えさせないで下さい”」それから彼女の回想へと入って行く場面で、「あのお話の、どこが問題だったんですか?」
「あ、いえ、すみません。そうですよね」彼女は応えた。また、もう少し考えてから、「あのお話自体に問題があったワケではないんです」ふたたびどこか遠く、彼女の記憶や無意識の海の底のようなものへとゆっくり潜り、それをのぞき込みながら、「あれは、掛ける場所を間違えた絵のようなもんなんです」と。「どんなに佳い絵が描けたとしても、掛ける場所、出品する展覧会を間違えてしまうと、その部屋の調子や、見る人のリズムを崩してしまうかも知れないでしょ?」と。「あれは、あの“怒り”は、あの本の他の短編と微妙に調和が取れていないんです」――そう後になって気付いたんです、と。
「うーむ」かおるはうなった。「いや、恐縮しました」彼にしては珍しく、一片のウソも、混じり気もなく、「まさかそこまで考えて書かれているとは……」
「あ、いやいやそんな」ヤスコは応えた。すぐに。伏せていた目を上げ、「すみません。なんか、こう、エラそうなこと言っちゃって」手をパタパタさせながら、「考えが浅かったからこそあれに載っているワケでして、後知恵も後知恵なんですけれど」それに、「それにせっかく気に入って頂けたお話を、こんな風に言っちゃって」――どうもすみませんでした、と。
「うーむ」ふたたびかおるはうなった。この女のあまりにもあけすけな態度と言うか無防備さのようなものに感嘆しつつ、しかしその言葉はサッと隠して、「いえ、それでも私は、あの話をうつくしい、よい話だと想いましたよ」と。
そうして、それから彼は、「ひょっとして」と一瞬想い、すぐに、こころの中で頭を振った。「いや、まさか」と。
いや、まさか、ひょっとすると、この女にも何かしらの特殊能力、我々の能力に似たなにかの能力があるのかも知れない。そうして、それはまた、自分の能力とはある種同族だが真反対の、ウソを吐くことではなく、真実を話すことで人のこころを動かす能力なのかも知れない。事実自分は、この女にこころを惹か――、
「いや、待て、おい」とかおるはふたたび頭を振った。横に。ぶるぶるぶる。とこころの中で。「こんなことを考えるために来たんじゃないだろう」――どうもこの女と話していると調子が狂う。彼は言った。今度はちゃんと、声に出して、
「あ、いえ、なんかすみません」と。「なんだかずっと、話が本筋から離れちゃってますね」と。自分の方から軌道修正しなければいけないな、と。「昨日お電話した時、なにか、こう、ずっと違和感を感じていたのですが――」彼女の父の遺品について、確認しに来たんじゃなかったのか、と。
(続く)




