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転生者たち~時空の終わりとソウルフルネス・ワンダーランド~  作者: 樫山泰士
第二話「オルバースのパラドックス」
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その9

 無線で事件のあらましを聴いたとき佐竹文雄は、それでもやはり、慣れているとはいってもやはり、自分の中のナニカ、そこのどこかに置き忘れたナニカが、さらに黒く濃く沈んで行くのを感じた。


 ふぅー。


 と深いため息を吐いた。車内に昨夜の酒の残り香が舞った。が、しかしそれは、楽しみで飲んだ酒ではなかった。黒く濃く沈んで行くナニカ、刑事としての挫折や感傷、いや単純に、季節外れの風邪や流感への予感、それに隣室のセールスマンの寂しげな空咳に対抗する為の飲酒であった。


「どうだ? 調子は」現場に着くなり、同僚の右京海都が左武に訊いた。


「調子?」左武は訊き返した。


「昨日言ってたろ? 帰り際、風邪かも知れないって」


「あ、ああ、それなら大分よくなったよ」


 実際、それは半分本当だった。強いお酒を三合ちょっと、就寝前に一気に飲んで、自分で自分をベッドに投げ出す。


「からだはちょいと熱っぽいがな、朝目が覚めたらこのとおり、頭はスッキリしてるよ」


 が、実際これは、半分ウソだった。というのも彼は、朝目が覚めた時、自分がどこにいるのか、なぜここにいるのか、テレビもライトも点けっぱなしで、すべてがすべて現実的かつ非現実的、まるでなにもかもが分からなかったからである。


「それより現場は?」左武は続けた。「もう見たか?」


「酷いもんさ」右京は答えた。「悲惨な現場はいくつか見たが、ありゃあレベルがちがう」


「レベル?」左武は訊き返し、


「あー、レベルって言うか」右京は言葉を探した。「とにかく異質なんだ、こう……」と、その場にすこし立ち止まって、「“非・現実的”?」


「は?」


 同僚の口から出た言葉に、左武はついつい足を止めると、彼に向かって何やら非難めいた言葉を発しそうになった――なにをバカなことを――なったのだが、それでもそれを堪えると、「署長は?」と代わりに彼に質問した。「小張さんは?」と。


「あ、ああ」右京は答えた。ふたたび歩き出しながら、「まだ来てない」と、黄色のポリスラインをくぐりながら、「本庁から連絡があってな」


「本庁?」と左武。手袋を取り出し、「司馬さんか?」


「多分な」と右京。鍵と蝶番が壊れたドアを抜けながら、「この件を聞いたんじゃないか? どこからか」


「うん?」と左武はつぶやいた。「ってことは?」と、その話の意味を考えようとしたが、それは途端に、目の前に現れたあまりに“非・現実的”な光景に、思考の奥へと追いやられることになった。


 そう。


 左武文雄はここでも、熱にやられた子供のように、自分がどこにいるのか、なぜここにいるのか分からない、あのあまりにも現実的かつ非現実的な感覚に襲われることになったのである。


     *


「本物? 本気か?」左武文雄はつぶやいた。とおり過ぎた廊下の向こう、明るく広いそのリビングに、整然と並べられた白く清潔な家具類と、壁にはりつけられた三つの遺体――古代の大理石彫刻にも似た薄い灰白色の遺体たち――が、見事な調和を保ち、現れていたからである。


「残念ながらな」右京海都は応えた。左武に合わせ、小さな声で、「遺体はおそらく、というか先ず間違いなく、この家の住人、スティーブンス夫妻と、その息子さんだろう」


「あれは……」続けて左武は訊いた。「釘か?」


「太くて、丸くて、鉄のやつ」右京は応えた。遺体にはそれぞれ、大きな丸の鉄くぎが三本、その両手と重ねられた足に打たれていた。何かの宗教画に似ていなくもないが、「バカが知ったら、騒ぎ立てるだろうな」


「血は?」ふたたび続けて左武は訊いた。「血はどこに行った?」


 リビングの壁はおろか床にも、果たして彼らが流しておくべきだった血の痕は見えなかったからである。


「分からん」右京は答えた。「詳しくは解剖の結果を待つことになるんだろうが」と、より大理石にちかい色の父親を見詰めながら、「抜き取られたのか消えたのか…………どう見ても入ってないよな?」


「しかし……」と左武は言葉を続けようとし、唇を噛み、それを止めた。頭に熱が残っているせいかも知れないが、それでも、目の前の遺体と、これらが残された部屋の中には、他にも、頭の整理が追い付かないほどの不可思議な事柄がそこかしこに散りばめられていた。


 そう。先ずは釘の問題だ。


 いくらなんでも、たった三本の釘で壁に貼り付けられるほど人間の身体は軽くはない。なにか別の方法で貼り付けられているのだろうが、ぱっと見それが何かは分からない。


 そう。それに次には、あまりにも整然と並べられたままのこの部屋の家具類だ。


 机の上のペンひとつ、雑誌ひとつ落ちていない。争った形跡もなければ、遺体を引きづったり、壁に貼り付けたりした作業の痕もない。


 それに、そう。これをやってのけた犯人の目的はなんだ?


 異常が起きたのはこの部屋だけらしいが、ここでなにかを探したような、なにかを盗ろうとしたような様子もない。まるで、この家族そのものが狙いだったかのように見えるが――、


 とここで左武は、壁にかけられた一枚の写真に目が止まった。この家族の写真。この惨劇を知らない彼らの写真。まるで、その幸福が永遠に続くかのように笑っている彼らの写真――が、いやいや、問題はそこにはない。


「四人家族なのか?」彼は訊いた。右京の返事を待つ前に、「娘さんは? いまどこに?」


「まだ見付かっていない」右京は答えた。「逃げたのか、隠れているのか、連れ去られたのか」


 彼女の名前はパウラ・スティーブンス。殺された男の子とは双子の姉弟で、まだ九才。彼女もまた、あどけない笑顔で写真の中にいる。


「チッ」と左武は舌打ちした。この犯人に対して。それから、「いずれにしろ地獄だろうな」と彼女に同情しようと――いやいや、そこは自分の仕事ではない。「犯人を見ている可能性があるな」――仮に生きていればだが。


「うん」右京は答えた。「取り敢えず、家の中と外を探してもらっているが」と、彼らのまわりで立ち働く警官たちを見渡しながら、「まだ……うん。まだ見つかっていない」


「ふむ」とここで左武も、右京の目線に合わせるようにあたりを眺めた。が、あまりに急に頭をふったためだろうか、なんだか立ちくらみにも似――いや、例の、「すべてがすべて現実的かつ非現実的」に感じられてしまうあの感覚に陥ってしまった。熱がぶり返してくるかのようだった。


「おい」右京が訊いた。「大丈夫か?」


 が、その言葉は彼には届いていなかった。なぜなら、


 『た……て

  たす…て

  たすけて

  たすけてッ』


 と、この家のどこかから、まるで耳元でささやくような怒鳴るような祈るような声が聞こえて来たからである。


「おい」ふたたび右京が訊いた。「大丈夫か? お前」


 が、引き続き、彼にこの言葉は届いていなかった。なぜなら、声なき声、届くはずのない救命信号、あどけない少女の叫びが彼には聴こえていたから――左武文雄は走り出していた。どこに? それは分からない。が、彼には確信があった。どうして? それも分からない。が、それでも。これは、この声は、問題の少女、愛する両親と弟を同時に失くしたばかりの九才の少女、パウラ・スティーブンスの声に間違いないと。



(続く)

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書籍化してほしいくらい面白いです!
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