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その2


「なるほど。それはきっと、おまえがやったんだろうな」祝部優太は言った。スマートフォンを確認しつつ、「内海くんのことも、お前自身が飛んだことも」


「え?」祝部ひかりは訊き返した。「ちょ、ちょっと待って」と戸惑った声で、「おどろかないの? お父さん」


 雨はすっかり上がっていた。東の校舎で起こったざわめきは、すぐそこの体育館にまで及んでいた。ひかりの友人の、先名かすみの死は、すぐに皆の知るところとなるだろう。


 芝生に残った雨が光を反射させていた。深山とかおると例の殺人鬼を乗せた車はすでに遠くへ立ち去っており優太は、娘の話を聞くため、彼女を少しでも落ち着かせるため、ここで話を聞いていたのだが、彼らもそろそろ、ここを離れるべきだろう。警察が来る前に。


「覚悟はしてたさ」優太は答えた。それがどんな形かは予想もしていなかったし、「出来れば、来て欲しくはなかったけどな」


 ひかりの能力が発現した以上、もしこれが会社にバレれば、彼と彼の妻・守希は、ひかりを手放す――会社に“返却”しなければならなくなる。


 きっと二度と会えなくなるだろうし、彼女がどんな仕事をやらされるかは――彼は深山にもかおるにも出来得る限り紳士に接していた――優太には想像も付かない。


「他に知っているひとは?」優太は訊いた。そう。幸いこちらには深山千島がいる。「内海くんと」彼の記憶が消えていたのも不幸中の幸いだった。「おまえと一緒に飛んだ、その男? 女? のひと以外に」


「女のひとよ」ひかりは答えた。山岸まひろに抱き止められた時の感触を想い出しながら、「きっと、そうだと想う」


「初対面なんだな?」


「うん」


「こころ当たりは?」


「ない……と想う。たぶん」


「そうか」それから優太は、座っていた石段から芝生の庭に下りると、「まずはお前を家まで送ろう」と娘の手を取りながら言った。彼女の手と膝は、まだ小刻みに震えていた。「シャワーでも浴びてしばらく寝ていろ。警察の事情聴取があるかもしれない」


「お父さんは?」ひかりが訊いた。


「深山とかおるのところに行く」優太は答え、「それからもう一度確認だが」と続けて訊いた。「朱央くんには見られていないんだな?」


 かおるのバカがどうしてあの子を取り逃がしたのかも気になるが、それ以前の問題として、出来れば彼を、こいつから引き離してやりたくはない。がしかし――、


「お父さん」ひかりが言った。彼の手を握り。つよく、頼み込むように、「朱央は……、ほんとうに……」


 優太は苦笑した。あんな男のどこがいいのか――と娘を持つ世界中の父親が考えるのと同じことを考えながら、


「分かったよ」と彼は言った。ただし、娘の目は見ずに、「あの子とおまえを、ひき離したりはしないさ」


 そうして彼らは歩き出した。人目に付かないよう注意して。優太は言った。


「大丈夫だよ」と、いまだ震える娘の肩を抱き寄せながら「おまえはきっと、俺が守ってやる」


     *


 注目すべきは、殺害現場そのものよりも、そこから離れた廊下とその窓、それに校舎の裏庭だった。


 例によって死体は壁に張り付けにされ、その血は抜かれ、その周囲に犯人の痕跡らしいものは何ひとつとして残されていないように見えたし、そうして実際、このあと入った鑑識の結果も似たようなものだった。


「むーーーーーーーーーん?」


 と小張千秋はひと声うなると、問題の窓から身を乗り出し下を見た。ここは校舎の二階であり、すぐ下は学校の裏庭である。


「ふーーーーーーーーーむ?」


 とそれから彼女は廊下に戻ると、首を右に傾けながら、そのまま頭を床へと着けて、服が汚れるのも気にせず、その場にペターっと寝そべってしまった。するとここで、


「なにやってんですか? 署長?」と、彼女を探しに来た部下、右京海都が訊いた。


「右京さん?」小張が言った。


「はい?」右京は応えた。


「床が、冷たくて気持ちいいです」


「はあ?」


「よければ右京さんも、寝っ転がってみませんか? 廊下」


「いえ、遠慮しておきます」


「そうですか?」


「そうですね」


「でも、寝っ転がってみないと見えないこともありますよ、いろいろ」


「はあ? 例えば?」


「例えば? ……そう。例えばあれ、銃弾の痕ですよね?」


 ここの廊下で祝部優太が灰原神人に向けて放った銃弾は三発。そのうち二つは、灰原の力により空中で止められその場に落ちていたが、そのうち一つは、これも彼の力で弱められてはいたものの、彼の頬をかすめて外れ、廊下の壁の出っ張りに、微かな傷を残していた。小張は続けた。


「弾頭も薬莢も出ないような気はしますが」ひき続き頭を床に着けたまま、「線条痕が出れば、そこから何か分かるかも知れませんね」と、あまり熱のこもっていないトーンで。


 彼女の声に熱がこもっていない理由。それは彼女が、


『仮にその線条痕とやらが出たとしても、当該の拳銃が過去に使われた記録はもちろん、そもそも登録すらされていないんだろうなあ――』


 とかそんなことを、妙な実感と共に感じていたからだし、そんなことよりここの廊下からは、もっと奇妙な状況が見えて来たからでもあった。彼女はつぶやいた。冷たい廊下に寝転がったまま、


「もうひと……ふたり?」と。


「殺人犯に襲われて……?」と。


「突然どこかに消えている……?」と。


     *


 兄からの電話は、彼にしては珍しく、これと言った目的のないものだった。


 多分に彼女の体調を気にしてのことなのだろうが、まさかいま、亡くなった祖母の家に来ているとは言えず、しかもそれは、とある高校の文化祭に行ったら奇妙な男に襲われ、突然のジャンプで逃げて来たからだ――とは、うん。とても言えないな。頭がおかしいと想われる。そのため彼女は、


「うん。大丈夫さ、元気、元気」


 と笑って答えた。なんだかずっと、おかしな、入れ子構造の夢を見ていたような気もするが、それもきっと短いが深い眠りをくり返していたせいだろう。頭もこころもいやにすっきりとしていた。


「熱っぽいのもすっかりなくなったしね」


 あたりを見渡した。部屋はすっかり暗くなり、この家の居候――そう言えば不破さんはどこに行ったのだろう?


「あれ?」


 とここで彼女は突然、そのすっきりとした頭で、この家の空気におかしなものを感じ、


「ああ、ごめん、ごめん」と電話向こうの兄に注意を受けることにもなった。「聞いてるよ、ちゃんと聞いてるって」


 そうして、それから暫くして彼女は電話を切った。「ありがとね、兄さん」と彼の気づかいに感謝しながら。すると――、


『あんたの兄さんね、富士夫さん』と電話が切れるのを待っていたかのように、誰かが彼女に声をかけた。『あの子がどれだけあんたのことを気にかけてるか分かってるだろう?』


 彼女は耳をうたがい、ふたたび周囲を見回した。この家の悪魔はどこにもいなかったが、そこでやっと彼女は気付いた。


『どうやら、やっと見えるようになったようだねえ』そこにいたのは、亡くなったはずの、彼女の祖母だった。『いつ見えるようになるか、ちょいと心配してたんだよ』



(続く)

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