その14
それからその夜、佐倉八千代は夢を見た。この世界が終わるときの夢を。
世界が終わる直前、そこは気持ちのよい初夏の昼下がりだった。それまでもずっと気持ちのよい初夏の昼下がりだったけれど、それでも彼女は傷つき、自分の犯した罪にとてもとてもこころをえぐられていた。
が、しかし、そんな彼女の痛みに気付かないのか気にしないのか、それでも世界は終わり始めた。
そうして、世界が終わり始めたとき、それでもそこには緑があふれ、鳥は歌い、風は心地よく、花たちはその身を誇らしげに咲かせていた。
が、しかし、それでもそこに《壁》は現われた。大小いくつもの無数の《壁》が。
《壁》の向こうは、いくつもの宇宙、無限に近い星空、折り重なった光たちの乱舞であった。
「八千代さん」
誰かが彼女に声をかけた。彼女はその誰かをまだ知らなかったけれど、それでも彼女は、その誰かを肩に抱き、支えていた。その誰かは言った。
「ダメです。みんなを連れて逃げて下さい」
彼女は傷つき、自分の犯した罪にとてもとてもこころをえぐられていたが、その誰かは、彼女以上に傷つき、自分の犯した罪にとてもとてもとてもこころをえぐられていた。
しかし、それでもその誰かは、これから自分がなにをすればよいのかを分かっていた。彼女は叫んだ。
「****さん!」彼女が知らない、ある男の名を、「はやく! 僕を! 殺して下さい!」
*
ハッ!
と、それからその夜、石橋伊礼は夢を見た。この世界が終わるときの夢を。
世界が終わる直前、残念ながらその時すでに彼はこの世にいなかったが、それでもそれを、世界の終わりを、未来の記憶、誰かが夢見た世界の終わりを、彼は夢見ていた。
そう。
彼女は傷つき、自分の犯した罪にとてもとてもこころをえぐられていたが、そのこころの痛みは、彼女の記憶を夢見る伊礼のこころをも、とてもとてもふかくえぐっていた。
が、しかし、それでも彼女は分かっていた。これから自分がなにをすればよいのかを。
丘の上から街を見下ろせば、そこには大小いくつもの《壁》が立ち現れていた。
《壁》の向こうには、折り重なったいくつもの宇宙が、こちらの宇宙と重なり染み込み溶け合おうとしているのが見えた。
「石橋さん」彼女は言った。彼女の記憶を夢見る彼に向かって、「他に頼めるひとがいないんです」まるでそこに、彼がいると知っているかのように、「***さんへよろしくお伝えください」
「****さん!」彼女は叫んだ。まだ彼女が知らない、奇妙な男の名を、「はやく! 僕を! 殺して下さい!」
*
ハッ!
と、そうしてその夜、山岸まひろは夢を見た。この世界が終わるときの夢を。
彼女は傷つき、自分の犯した罪にこころをえぐられ、そうしてこれから、自分が犯そうとしている罪を、どうにかして止めなければならない。そう、感じていた。
世界が終わり始めたとき、それでも世界はうつくしく、緑があふれ、鳥は歌をうたい、風は心地よく、彼女のほほを優しくなでて行った。
「世界を終わらせるわけにはいかない」
丘の上から街を見下ろせば、そこにはいくつもの折り重なった宇宙が、こちらの宇宙と重なり染み込み、そこに住む人びとを吞み込み始めていた。
「***さん……」ひとりの女性が脳裏を過ぎっ――いや、彼女との記憶がよみがえった。祖母の家の花たちが、その身を誇らしげに咲かせているのが聴こえた。
「ミスターさん!」彼女は叫んだ。いまだ知らない、その男の名を、「はやく! 僕――」
*
ハッ!
と、それからその夜、山岸富士夫は目を覚ました。この世界の終わる場面を想い出しながら。重なり合った宇宙と、そこにいくつもの人びとが吞み込まれるシーン、それに、その災禍の中心にいる人物――彼の妹の姿――を想い出しながら。
「どうしたの?」隣で眠る妻が訊いた。「大丈夫?」彼とはちがう夢を夢見ながら。
「あ、ああ」富士夫は答えた。彼女の髪に軽くふれ、「なんでもない。夢を見ただけだよ」足もとに現われた無数のひかりに目をうばわれながら、「いいから寝なさい、まだはやいから」
妻は寝返りをうち、富士夫はそのまま動けなくなった。
そこには、高さ1mほどの、世界の終わりで見た、あの《壁》が現れていた。
(続く)




