その7
さて。
祝部ひかりと清水朱央の再会――小学三年の秋に清水朱央が引っ越して以来の再会、まるで下手なシナリオライターがやっつけ仕事的に書いたような再会――はどうにかこうにか上手く行っていた。
彼らは、『ウィリアム書店』の本棚の前で久闊を叙すと、そのままSF談義へと突入。店に客が増えて来るのに合わせるように、小林乙葉に挨拶だけして店を出た。
それから彼らは、最寄りのコンビニで飲み物を買うと、これまた最寄りの小さな公園に移動、ベンチに座り、SFを離れ、互いの近況について語り合った。まるで小学三年の秋からこれまでの時間をひと息に埋めようとでもするかのように。そうしてまるで、下手なシナリオライターが締め切り間際に書いた下手なセリフに合わせるかのように。
「もちろん、勝ったのはわたしよ」祝部ひかりは言った。「その子の方がずーっと高くて、腕も脚もずーっと太かったけどね」
祝部ひかりの身長はこの年齢の女の子にしてはやや低め、体型も標準より若干やせ型だったが。
「本当に?」清水朱央は訊き返した。いまの彼女の姿と、いまよりもっとやせっぽちだった昔の彼女を重ね合わせながら、「なにかあるとすぐ泣いてたひかりちゃんが?」
彼女は生まれつき身体が弱く、両親もそれを心配していたのだが、朱央と離れた次の年、父親が見付けて来た柔道教室に入門。心身の鍛錬そのものを重視するそこの師範の指導方針がよほど性に合ったのだろうか、めきめきと腕を上げ、いまでは男子相手にも負けることは少ないのだという。
「重要なのは」ひかりは答える。師範の言葉を想い出しながら、「相手との間に『壁』を作らないことなの」と、自分でもよく分からないままに、「相手も自分の一部と想って『窓』を開ける。それからそこに、気持ちのいい風を相手に送り込んでやる。すると相手は、気持ちよく投げられてくれる。何故ならその方が気持ちがいいから」
「なるほど」朱央は応えた。首を縦に振り、腕組みをしながら、「なるほどねえ」
「わかったの?」ひかりは訊いたが彼は、
「うーん?」と今度は首を横に傾げるだけだった。
「わからなかったのね」
「うーーーーん?」
「いいのよ。どうせ私もよく分かってないんだから」
そこでふたりはわらった。
*
「うーーーーん?」
とこれと同じころ、樫山ヤスコも首を傾げていた。何故ならそれは、真鍮製の、厚いカバー付きの奇妙な手帳だったから。
そう。
それは、大きめのポケットにならすっぽり入る文庫本サイズで、第二次世界大戦中にアメリカ兵が家族や教会から持たされていたという聖書、胸ポケットにしまっておけばいざと言うとき銃弾を受け止めてくれるかも知れない防弾聖書――によく似た形の手帳だったのだが、その中身は、聖書とはほぼほぼ無縁のものだったから。と云うか、そもそもよく読み取れなかったから。
「ちょっと興味が湧いて、解読出来ないか試してみてたんですけどね」
と小紫かおるは言った。ヤスコに向かって、弁解気味に、そうして、この手帳を彼女に渡してよいものかどうか、すこし戸惑いながら、
「そしたらそのまま、昨日お渡ししたケースに戻すのを忘れていましてね」と。
ここは、樫山家一階のリビング。例の空き巣騒ぎで来ていた警察官も引き上げ、改めて父のトランクケースをどこに仕舞おうか悩んでいるヤスコの下に、こちらの手帳を持ったかおるが訪ねて来たところであった。であったが――、
「ひょっとすると、この手帳が犯人のお目当てだったのかも知れませんね」かおるは続けた。「例のクリスタルには目もくれなかったんでしょ?」
「うーーーーん?」とヤスコはうなった。ふたたび。冒頭の疑問に立ち戻りながら、「でもこれ、本当に意味不明ですよね」と問題の手帳をパラパラとめくりながら、「英語にラテン語? アラビア語やヒンドゥー文字みたいなのまでありますし」
手帳の中には、なにかのリスト? とその説明書きのようなものが書かれているように見えなくもないが、かろうじて読める部分も言葉が難し過ぎてよく分からない。ヤスコの父・昭仁の筆跡であるのは間違いないようだが――、
「暗号? ですかね」かおるが訊き、
「なんの為に?」ヤスコは答えようとして、「うん?」とそこで目を止めた。
手帳を上下に入れ替えて、その最後のページの走り書きが、なんだか日本語のように見えたからである。「ひとの名前? ですかね?」
そこには、読み難く急いだ文字で、《灰原》と書かれてあった。
「うーん?」とかおるもうなり、それから改めて、「で、どうします?」とヤスコに訊いた。彼女の父の形見であることに変わりはないが、あまりに奇妙な形見なので、彼女に渡してよいものか、それで彼は戸惑っていたわけである。
「うーーーーん?」みたびヤスコはうなった。作家的好奇心を刺激されるのは確かだが、「なーんか、呪われそうな気もしますよね」意味不明の文字が並んだ防弾仕様の聖書である。「どうしようかなあ? こまったなあ」と。
*
さて。
『こまった時には気軽に相談。
あなたの街の法律家、
行政書士の石橋伊礼。』
恋人時代の川島重雄がこのコピーを考え付いたとき、石橋伊礼本人は、「うーーーん?」と腕組み両目をつむってしばし考え込んでみた。
たしかに語呂はいいし気さくな感じが不愛想で通る自分のキャラを少しは馴染みやすいものに変えてくれるような気はしたが、そもそもこんなキャッチフレーズが本当に必要なのだろうか? そうして、このコピーを選んだ未来はどうなるのだろうか? そうして、出来ればその未来の預言を誰か授けてくれないだろうか? と。
「だって独立するんだろ?」重雄は言った。ベッドを抜け出し服を着ながら、「だったら先ずは、名前を覚えてもらうところからだよ」
「うーーーーーん?」伊礼は応えた。ベッドの中で、両目をつむったまま。「それはもちろん分かるけど……」なにやら未来が見えて来そうな感じがあった。
「なんだ?」こちらを振り向き重雄が訊いた。「これも見るのか?」と、特段驚いているようすはなかったが。
「うん?」伊礼は応えた。「ああ、まあ、誰かが見せてくれるならね」
いく人もの人びと――未来の彼の依頼者・相談者たち――の顔が現れては消えて行った。
泣いている者もいれば、怒り狂っている者もいた。皆なにかしらの不安や問題を抱え、彼の事務所の扉を叩きに来るのだろう。
すると、そんな依頼者たちの中に、「こまった時には」とか「気軽に相談」とか「あなたの街の」などの言葉に触れて彼の扉を叩いたと教えてくれる人たちがいた。
「うん」伊礼は続けた。こちらも服を着、ベッドから抜け出し、「ありがと、重雄」と恋人を軽く抱きしめながら、「よろこんで使わせてもらうよ」
彼、石橋伊礼には、『預言』を受け取る能力があった。
(続く)




