40.ちょっといいですか
「肝に銘じる」
このくらいの慣用句は使えるようになった。
こっちの世界に来て半年くらいで何とか日本語を話せるようになったのは、我ながら頑張ったと思う。
読む方はまだおぼつかないけど、日常会話はほぼ大丈夫になった。
発音がネイティヴじゃない、と言われるけど。
でも明らかに一般の日本人ではない外見のレイナが流暢に日本語を話すとむしろ胡散臭く見えるからそれでいいのだと仲間達に言われた。
そういうわけで新年度、レイナの夜間中学にも新入生が来た。
とはいえ入学式とかは別にやらない。
そもそもレイナもそうだったように、生徒は一人一人事情があってやってくるので、途中編入がむしろ多いくらいで。
今年度に新一年生になったのは十人ほどだった。
ナオたち昨年度までの3年生が抜けたので、人数的にはほぼ変わらない。
一応、新入生たちは最初に自己紹介する。
その中の一人が問題だった。
「レスリー・ハモンドです」
ざわっと小声が飛び交う。
日本語の発音は完璧。
外見はアニメによく出てくる英国貴族令嬢。
少しくすんだ癖のある金髪に青い瞳。
スレンダーで中肉中背。
顔立ちはややきついが怖いというほどではない。
無表情で淡々と語るところまでアニメのヒロインのようだ。
「家の都合でここに来ました。
よろしくお願いします」
歳の頃は十代半ば。
なぜ普通の高校やアメリカンスクールに行かないのか、というような疑問が誰の頭にもかすめたが何か言えるような雰囲気ではなかった。
「なんとなくヤバ目ね」
隣の席のリンが囁いてきた。
レイナはつい頷きそうになって慌てて止めた。
いやいや、第一印象だけで決めつけるのは良くない。
レイナなんかアレよりもっと怪しかったはずだし。
その他の新入生は例によってほとんどが二十歳過ぎだった。
後期高齢者のような人もいて、それが普通だよねと納得する。
そもそもレスリーだけではなく、レイナたち十代の女子が夜間中学にいる時点で変なのだ。
人の事情を変と言ってしまって言いものか疑問だけど。
そして始まった新学期、レイナは相変わらず丹下先生の指導を受けながらコツコツと教科書を読み進めていた。
レイナの場合、そもそも漢字交じりの日本語がまだスムーズに読めないので現代国語すら難解だ。
その他の学科に至っては問題文や解説を読んでもまず何が書いてあるのかを理解することから始める必要がある。
それでも数学や英語は比較的楽に理解出来た。
何といっても日本語の文章があまり載っていないのがよろしい。
「ちょっといいですか」
古文の教科書をうんうん呻きながら解読していると、突然声がかかった。
「え?」
「何でそんなに呻いているんですか?」
レスリーがレイナを覗き込んでいた。
周り中の視線を感じる。
外見が外国人の美少女二人の絡みだから?
アニメだとこういう場合、何かドラマが始まるのよね。
勘弁して。
「判らないから」
「そうなのですか」
レスリーはあっさり言って自分の席に戻った。
え?
もういいの?
「何言われたの?」
ちょっと離れた席で数学の問題週を解いていたらしいリンが聞いてきた。
「何で呻いているのかって」
「何それ」
「よく判らない」
レスリーを観ると大人しく教科書を開いている。
だが勉強しているというよりは眺めているといった雰囲気だ。
「絡まれるようなら言って」
「判った」
今のところ、特に問題があるような状況ではないから大人しく頷く。
それより古文だ。
何でとっくに廃れた昔の日本語を学ばなければならないのか釈然としないが、法律でそう決まっているそうだ。
レイナとしては放り出してしまいたいところだが、そうもいかない。
シンに愚痴ったら「テスト終わったら忘れていいから」ということだったので、とりあえず覚える事にしている。
そういえばサリがいない。
まだ夜間中学に在籍しているはずなのだが、あまり出席しなくなっていた。
もちろん理由は聞いている。
予備校の難関大学受験コースに通っているらしい。
「どうしても受かりそうにもない科目があってさ。
今年で決めたいから」
「だったら夜間中学辞めれば」
「公的な学校の生徒という身分は捨てがたい」
そんなものですか。




