第34話 ある妹の回想 1
――side佳那
私とあの娘が出会ったのは中学2年生に進級してすぐのことだ。
その日、急遽師範に急用が出来たとのことで道場が休みになり暇になった私は折角とばかりに学校を散策することにした。
2年前、お兄――兄さんも巻き込まれたあの爆発事故を契機にこの学校は大きく建て替えられ、新しい設備もたくさん導入されたという。
だけど私は基本的に学校が終われば道場に行くかスーパーに買い物に行くか、もしくはたまに友人たちと遊びに行くかのどれかでそれらの設備を見たことがない。
14歳にもなって学校探険かと我ながら子供っぽいことをしているなと思いながらも、だからと言って友達とも予定が合わないし他にやることなんてないと自分に言い聞かせながら散策していると――。
「あっ……」
校舎の端にある使われていない教室、その隅で机に向かって一心不乱に何かを描く女の子の姿があった。
目にかかるほどの前髪で分かりにくいが、女の私からしても彼女の顔はよく整っていると思う。
「……」
あそこまで集中しているのだから変に話しかけて邪魔をしてはいけない。そう分かっていても私は何故かあの子から目を離すことができなかった。
「ねえ、あなた……」
「ひっ! ご、ごめんなさい! すぐに片付けますから!」
私が話しかけると彼女は怯えたようにペンを手から離して立ち上がる。
「ご、ごめん。驚かせるつもりはなかったの」
「あれ……あなたは……?」
「私は2-Aの伊織佳那。凄く一生懸命に描いていたみたいだから何をしてるのかなって気になって。迷惑ならすぐに帰るから」
「……よかった。あの人たちじゃないんだ……」
「え?」
「い、いえ! 全然迷惑じゃないので好きなだけここにいてもらって結構です!」
「なら少しだけ見学させてもらうわ」
私がそう言うと彼女はまた机に向かうと、また紙に何かを描き始めた。
紙と向き合う彼女の目は思わず惹き付けられてしまうほどにキラキラとしていて――。
「あ、あの!」
そんな風に見とれていると、突然彼女から声をかけられた。
「み、見ますか?」
「見るって……あなたが描いているもの見せてくれるの?」
「というかその、元々人に読んでもらうために描いてたものですから……」
そう言って彼女はおずおずと何枚かの紙を私に差し出す。
そこに描かれていたのは――。
「漫画?」
「は、はい! こ、今度、新人賞に送ろうと思って描いてたものです……」
「新人賞ってことは、あなた漫画家を目指しているの?」
「えっとその、一応、ですが……」
私はあまり漫画を読まない。
読むとしても兄さんの部屋にあったものを暇潰し程度に眺めるくらいだし、それを読んでも特に何かを感じたことはなかった。
だから彼女が渡してきたそれを読んでも何も思わないだろう。
そう考えていたのだけれど。
「――面白い」
「ほ、ほんとですか……!?」
「うん! あなたが描いた漫画、私が今まで読んだどんな漫画よりも面白いよ!」
それは私の本心からの言葉だった。
彼女が描いた漫画はこれまで私が触れてきたどの物語よりも心を揺さぶるもので、夢中になってあっという間に読み終えてしまう。
「ねえ、これ続きとかってあるの!?」
「え、えとその……続きはまだ描いてる最中で……」
「そうなんだ……。なら出来たら――って、ごめんね。突然こんなこと言っちゃって。迷惑だったよね?」
「い、いえ! 迷惑だなんて思ってません!続きが描けたらすぐにお見せします!」
そう言って彼女は私の目をまっすぐ見る。
その言葉がとても嬉しくて、私は彼女の手を取ってこう返す。
「うん、楽しみにしてる。ところであなたの名前は」
「あ、えっと、2-Cの天城聖奈です……」
「聖奈ちゃんね。さっきも言ったけど私は2-Aの伊織佳那。続きが出来たらすぐに教えてね」
「はい!」
これが私と彼女、天城聖奈の出会いだ。
◇◇◇
「佳那、一緒にご飯食べよー」
「ごめん! 今日は用事があるから!」
友達の誘いを断ると、あの空き教室を目指す。
昼休みに聖奈が描いた漫画の新作を見せてもらう、これが今の私の学校での日常だ。
藤澤先輩が高校進学と同時に引っ越してしまい、私の日常はどこか色褪せたものになっていた。
そんな私を変えてくれたのが聖奈と彼女が描いた漫画だ。
新人賞がどういうもの基準で大賞を選ぶのかは分からないけど、私から見て聖奈が描いた漫画はどれも雑誌に連載できそうな出来に見えた。
だけど聖奈はその出来に満足していなかったようで何度も何度も書き直し、作り直し――。
そして先日、ついに賞に出すことができる自信作が描けたから見て欲しいとのメッセージが送られてきた。
私は弁当箱と労いのお菓子を片手に走る。
聖奈が描いた自信作は一体どんなものなのだろう、と期待に胸を膨らませていると。
「や、やめてください!」
突然、聖奈の悲鳴が聞こえてくる。
私が急いで空き教室へ走ると、そこには会ったことのない3人の女子生徒が涙を浮かべながらも必死に何かを取り返そうとする聖奈を取り囲んでいた。
そして彼女たちの手には聖奈が描いた漫画の原稿が――。
「あんたたち! 聖奈に何をしたの!?」
大声で怒鳴ると、リーダー格らしい長身の女子生徒が鬱陶しそうに振り向く。
「ああ? お前こいつの何?」
「友達よ! それよりあんたたち! 聖奈に何をしたの!?」
「友達? おい良かったなブス。こんなキッショイもの描いて受け入れてくる友達がいて」
「お、お願いです……! それ、返してください……!」
聖奈は必死に原稿を返してもらうために懇願するが、長身の女子生徒はそれを見てニヤリと笑う。
「そんなに大事なら返してあげるよ。こうやってね!」
長身の女子生徒はポケットからカッターナイフを取り出すとそれで原稿を切り裂く。
「――!」
それを見て、私は我も忘れて女子生徒の胸ぐらを掴む。
「かはっ……」
「これを聖奈がどれだけの思いで描いたか、あんた分かってるの!? 今すぐ聖奈に謝れ! さもないと――」
背は高いが筋肉は殆どついてない。これなら私でも十分落とせる。
そう考えてさらに力を込めようとすると――。
「……もういいよ。佳那ちゃん」
そう言って聖奈はそっと私の手を彼女から引き剥がす。
「げほげほっ、てめえ覚えてろよ!」
その隙をついて長身の女子生徒は私から距離を取ると、他の2人の女子生徒に支えられながら空き教室を出ていく。
あとに残されたのは私と聖奈だけ。
「……それ、直せるの」
「無理、だと思います。ここまでページが断裁されたらもう」
「コピーは!? それか――」
「これしか、なかったんです。わたしにはもうこれしか……」
聖奈の目から大粒の涙が溢れる。
私のせいだ。私が「出来上がったら見せて欲しい」なんて言ったから……。
「ごめんなさい。私があんなことを言ったから……」
「……佳那さんは何も悪くありません。わたしが調子に乗って浮かれてたから、神様が罰を下したんです」
「そんなこと―――」
聖奈は原稿だったものをかき集めると、私に深々と頭を下げて空き教室から出ていってしまう。
私は聖奈を呼び止めることも出来ず、その場でただ呆然とすることしかできなかった。




