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第108話 文化祭の準備が始まりました 11

「はあ……」


 家に帰ってきてベッドに寝転がった俺は深く息をつく。

 結局今日の文化祭の準備は生駒先輩からの突然のアカウント交換の提案を除いてトラブルらしいものは何も起こらず一応は平穏に終わり、下校時間になったので生駒先輩と別れた京里を駅まで送っていった俺は自室のベッドでこれからのことを考えていた。

 とりあえずの目標である茨と生駒先輩を仲良くさせることは成功した。

 生駒先輩とアリシアに特別に用意してもらった茨のスマホにはお互いのアカウントがフレンドとして登録されている。

 ただ予想外だったのは……。


(俺のフレンドリストにも生駒先輩のアカウントが登録されてるんだよなぁ……)


 生駒先輩は男性にトラウマを持っていると聞いていた。だから茨を使って彼女に接近し、異能の正体や能力の暴発を防ごうという予定だったのだがまさかこんなことになるとは。

 いや本当にどうしたらいいのだろう……。

 そんなことを考えていると部屋の中央に突然人の影が現れる。


「主様、ただいま帰還しました」

「ああ、おかえり」


 現れたソレ――茨に抑揚のない声で返事をすると精神的に疲れた体を無理やり起こす。


「それで生駒先輩とはどうなった?」

「主様がお望みしていた関係にはなれたかと」

「そうか。なら良かった。それと近くで観察して何か気づいたことはあったか?」

「……そうですね。強いて言うなら主様が想像していた通り異能の暴発にとても警戒されていました。あとは……」


 そこまで茨は突然言い淀んだ。


「どうした? 何か俺に知られたくないことでもあるのか?」


 俺が即座に茨を停止出来るよう警戒態勢を取ると、こいつは「失礼しました」と頭を下げて続きを話し始める。


「あの方は主様に興味を、より具体的に言えば恋心のようなものを抱いているようです」

「こ、こいごころ?」

「はい。ですのでもしあの方についてより深く知りたいのであれば主様から連絡を取った方が効率的でしょう」

「いや、いやいやいや! 俺と京里が付き合ってることは学校でも結構有名だぞ!? 生駒先輩もそれを知ってるんじゃ……?」

「あの方はクラスに親しく話せるご友人がいらっしゃらないようで主様や京里様の関係も知らないようです」

「だ、だとしても何で俺なんかに、その恋しちゃってるんだ!? 知り合って1ヶ月も経ってないぞ!?」

「どうやら主様に助けてもらったことと、ご自身が抱えている悩みに真摯に向き合ってくれたことがとても嬉しかったようです」

「……それだけ?」

「はい。それだけです」


 いや、あの、先輩チョロくないか?

 ここまでチョロいと何か悪い男に騙されて生活費とか色々お金を貢いじゃうんじゃないかって心配しちゃうよ!?


「何にせよ、あのお方が主様に恋愛感情を抱いているということは間違いないかと」

「マジかー……」


 これはまた、本当にややこしいことになったな。

 生駒先輩は俺と京里が付き合っていることを知らなくて、しかも俺に恋しちゃっている。

 しかも学校内で友人も少ないから俺たちが付き合っているということを知る可能性も少ないときた。


「私としては生駒先輩について深く知りたいのであれば主様からご連絡をした方がよろしいかと思います。彼女のあの様子なら主様の言うことを何でも聞くと思いますよ?」


 茨の提案は確かに合理的だ。合理的、なのだが……。


「……いや、そこら辺の調査は茨がやってくれ。俺は必要最低限の連絡だけにしておくよ。あと出来るだけ早い内に俺と京里が付き合っているっていうことを話しておいてくれ」

「それはどうして?」

「人を騙しておいて何様のつもりだって話だけど恋心を利用するのは一線を超えていると思う。それにそれは生駒先輩だけじゃなく京里に対しても裏切り行為だ」


 俺がそう答えると茨は目を丸くして、次いでふふっと笑う。


「な、なんだよ……?」

「いえ、主様はとても律儀な方だと思いまして。わかりました。生駒先輩の監視と情報収集は私がさせていただきます」

「ああ、そうしてくれよ。っと……」


 突然スマホのアラームが鳴ったので画面を見ると、早速生駒先輩からのメッセージが届いていた。

 そしてそのメッセージの内容というのがこれまた畏まった文体の長文で、全文を読み終えるのに結構な時間を費やしてしまう。

 内容を要約すると、『自分の悩みを笑ったりせず真剣に相談に乗ってもらえてとても嬉しかったです。そしてご迷惑でなければまた相談に乗っていただけないでしょうか?』というものだった。


「……こんな感じでいい、かな?」


 俺はそれに対して『自分で良ければいつでも相談に乗ります。何か困ったことがあればすぐ連絡ください』といった内容のメッセージを送る。


「お疲れ様でした。主様」

「お気遣いどーも。それじゃ予定通り生駒先輩の相手をしながら能力について探ってくるように」

「はい、承知いたしました」


 そう言って茨は『空間転移魔法』を発動してアリシアに用意してもらったセーフハウスの1つへと転移した。


「ああ、疲れた。風呂入ろ……」


 ようやく一段落ついた俺は大きなため息をつくと、寝間着を持って風呂場へと向かう。


(文化祭まで残り1週間、京里と平和に展示物を見て回るために頑張らないとな……)




◇◇◇



「シュウー、そこにあるのりとテープ頂戴」

「あいよ」


 文化祭まで残り2日になった。

 今のところ異能の暴発やそれに伴うトラブルは起きていないし、茨と生駒先輩の良好な関係も継続している。

 そして俺と生駒先輩はというと、たまに相談に乗る程度の適度な距離感を保ったままの付き合いを継続していた。

 

「修君、これ出来たからそこの紙に貼ってもらえますか?」

「分かったよ。京里」


 というわけで俺はクラスの出し物作りに適度に力を抜きつつ勤しむことができるというわけだ。

 斯くして今日も午後のLHRを使って「地域の歴史」とかいう面白さの欠片もない展示物を完成させるために班ごとに分かれて作業を行っていたのだが……。

 

「いいなー、シュウ。久遠さんを呼び捨てに出来るくらい仲良くなっちゃって」

「それもう10回は聞いたぞ。というかお前は追試の方の心配しろよ」

「うっ、嫌なこと思い出させないでよ……」

「伊織の言う通りだ。廉太郎、お前は自分の成績の方を心配しろ」

「くっそー! おれに味方はいないのかよー!」


 これは幸運と言っていいのかは分からないが、2週間も経てば俺と京里が付き合っていることへの関心は薄れていた。

 今やこのクラスで俺たちが付き合っていることでちょっかいというかじゃれつきを掛けてくるのは廉太郎くらいだろう。


「というか廉太郎は女友達沢山いるじゃないか。付き合おうと思えばいつでも付き合えるんじゃないのか?」

「んー、あの娘たちとはそういう目的でお付き合いしてるわけじゃないからね。まあもしもの時は土下座して頼むかもしれないけど」

「くっそ最低だしみっともねえな」


 そんなじゃれあいをしながら俺は心の底から願う。

 どうかこのまま何のトラブルもなく文化祭でも平和な時間が続くことを。

 ――そして。


「ん?」


 不意に肩を叩かれたので振り返ると、そこには恥ずかしそうな様子をしている京里がいた。

 そしてその後ろには妙にニヤニヤしている上島さんとアリシアの姿が。


「……あ、あの、今日、街歩きに付き合ってくれませんか?」

「勿論いいよ、下校時間になったら校門前で」

「ゃ、やった! それじゃ急いで部活の出し物を終わらせますね!」


 モジモジしながら尋ねてきた京里にそう返すと、彼女はとても嬉しそうにしながら上島さんたちの元へ戻っていく。


「……爆発すればいいのに」

「しねーよ、アホか」


 その光景を見て廉太郎は心底妬ましそうな表情でボソッと呟く。

 俺は雑にツッコミを入れるとはしゃぐ京里を見ながら改めて願った。


 どうか文化祭で彼女と平穏に出し物を回りながら楽しい時間を過ごすことが出来ることを……。



◇◇◇



「何なの、コレは?」


 夕暮れ時のある高級マンションのリビング。

 そこで生駒樹里とどれも90点台の回答用紙が置かれたテーブルを挟んで向かい合っている妙齢の女性は苛立ちを隠すことなくそう吐き捨てた。


「1学期の期末試験から2点も点数を落としているじゃない。あなた、これで医大に入れると思っているの?」

「ご、ごめん、なさい……。部活とかでその、忙しくて……。それに、2点だけなら……」


 生駒樹里が呟いた「2点だけなら」という言葉にその女性、樹里の母親は怒りの形相を浮かべる。


「2点だけなら? あなたは絶対に私の跡を継いで医者にならないといけないのよ!? あの人を見返さないといけないのよ!? なのに2点減ってもいいってどういうことよ!?」

「ごっ、ごめんなさい……」

「はあ、もういいわ。樹里、スマホを出しなさい」

「……ぇ?」

「そんなもので遊んでいるから点数が下がるのよ。期末テストの結果が分かるまで没収するわ」

「……はい」


 母親の威圧感に気圧され、樹里は震える手でスマホを差し出す。

 樹里の母親は受け取ったスマホを懐にしまい不機嫌そうにため息をつくと立ち上がる。


「あ、あの……」

「私は職場に戻るわ。樹里、あなたは部屋で勉強していなさい」

「……はい」


 冷たい表情で樹里を一瞥して母親が部屋を出ていくのを見送ると、彼女はフラフラした足取りで自分の部屋へ戻る。


(……医者なんか興味ないのに。お父さんのことなんかどうでもいいのに。なのに、なのにどうして……!)


 樹里にとって母親は同年代の男子以上に恐怖の象徴だった。

 離婚を経験して男性蔑視が増し、樹里に対して自分と同じ医者になるよう強要し、虐めを受けていたことを知っても「それはあなたが弱いだけ」と切り捨て、そして彼女の生活を常に束縛し続ける。

 本当なら今すぐにでも逃げ出したいところだが、仮にそうしたところで生きていく術がない。

 だから樹里はこの檻のような自室で地獄のような日々を送り続けるしかなかったのだ。


 だがあの日、駅前で伊織修という下級生に助けられたことで何か特別な感情が湧き上がってきた。

 やがてそれは恋へと変わり、ますます伊織修という少年への興味が強まり……。


『伊織くんは久遠さんと付き合っていますよ』


 そしてその初恋は初めて出来た友人の言葉で砕かれてしまった。

 以来この数日間はずっと辛く厳しく、すぐにでも何処かへ逃げ出したい気持ちでいっぱいだったのだ。

 そしてここに来ての母親からの理不尽に近い叱責とスマホの没収。それらは10代の少女にはあまりにも過酷なものだった。


(……そうだ。いつもみたいにアレを見て癒されよう)


 樹里は勉強机に向かい、引き出しの中に隠してあった淡い輝きを放つ翡翠色の水晶を取り出し、それを両手で包むように持ち上げる。


『それは持っているだけであなたを理想の世界へと導くマジックストーン。お代はいりません。あなたが持っていた方がそれも幸せでしょうから』


 学校の帰り道に偶然出くわした占い屋。

 その主の顔の半分を黒いローブで隠した占い師風の格好をした綺麗な女性からタダで譲り受けたその水晶は、どういうわけか持っているだけで自信や活力などが漲る不思議な代物だった。


(もう何もかも壊れてしまえばいいのに……。家も、学校も、世界も、あいつも、何もかも最悪のタイミングで全部めちゃくちゃに……!)


 生駒樹里がそう強く祈った瞬間、翡翠色の結晶は一瞬黒く淀んだのだが、それに彼女が気づくことはなかった。

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