5、思い出をなぞって
ここまでのおはなし
ロベルティーナは幼馴染みのルフェルと再会しましたが、成長した彼は知らない男の人のようで戸惑ってしまうのでした。
十年前。それはすべてが幸せだった初夏のこと。
十歳になったばかりのロベルティーナが一人で庭のぶらんこに腰掛けて本を読んでいると、耳元にぶうんと不快な羽音が近づいた。
蜂だ。
今ならわかる。
ぶらんこの支柱に巻き付いた薔薇のかぐわしい香りに誘われてきたのだろう。
乳母とばあやに秘密でやってきたのが仇となった。
「きゃあ!」
パニックで反射的に悲鳴を上げて立ち上がってしまったロベルティーナだったが、次の瞬間には誰かに腕を引かれるまま屈みこんでいた。
「しいっ。静かに」
気づけば、見たことのないハンチング帽の少年がロベルティーナに顔と身を寄せていた。
彼は少女の幼いくちびるに人差し指の戸を立てた。
それだけでは安心できない。
蜂の飛ぶ低く呻る音がロベルティーナの耳の近くへやってくる。
恐ろしくてすくみあがる少女が涙目で訴えると、少年はまばたきで応えてくれた。
そしてくちびるをほとんど動かさずに言った。
「黙ってじっとしていれば何もしない」
ロベルティーナが瞳で訴えた恐怖を、なぜか彼は正確に汲み取ってくれた。
永遠のような時間がすぎ、彼の言うとおりにして蜂をやり過ごすとひと心地がついた。
「ありがとう」
改めて向き直ったロベルティーナは彼の顔を直視してしまい、緊張のあまり俯いてしまった。
人目を惹く燻し銀の髪が神秘的な彼は、あどけなさのあるふんわりとした輪郭の中に、大人の男性を目指している力強い眉と鼻先を持っていた。
特に瞳はエメラルドのような神秘的な翠をたたえていて目が離せない。
家族や使用人以外で異性にこんなにも近づくなどはじめてでどきどきしてしまう。
頭がくらくらしてしまうのは花々の甘い香りのせいかしら。
顔が燃えるように熱い。
お願い、見ないで。
少年は沸騰した頭で恥じ入っているロベルティーナの両手を恭しく取って、令嬢を元のぶらんこに丁寧に座らせてくれた。
もちろん、いつの間にか落としてしまっていた本も拾って手渡してくれた。
それはまるで貴公子がするような優雅な仕草であった。
彼が顔を覗き込んでくる。
「突然土をつけるような真似をしてごめん。怪我はないかい」
問われてはじめて、地べたに座り込んだことを思い出した。
お散歩用のドレスを確認すると、ロベルティーナがお日様色と呼んでいる淡いレモンイエローの生地に草の染みがついていた。それはちょうど膝をついた場所にあった。当の膝小僧はというと、ドロワーズの裾のフリルに守られて綺麗なものだった。
ロベルティーナはときめきをすっかり取り落とし、がっかりしながら答えた。
「わたしは大丈夫。でもドレスが」
「見せてみて」
彼は決してロベルティーナの体に触れることなくドレスを観察して眉を傾けた。
「お気に入りだったの」
「僕のせいだ。……ちょっと待ってて」
と、少年はしょんぼりするロベルティーナのドレスの染みに、ポケットから取り出したハンカチーフをふわりとかけた。
そしてドレスから汚れを移すように、ハンカチーフごとドレスを優しく摘まんだ。
「これで大丈夫。見てみて」
ランドリーメイドでもあるまいし、何が大丈夫なのか。
いつしかくちびるを尖らせていたロベルティーナはハンカチーフをめくった。
すると、そこに確かにあったはずのよく目立つ緑色の染みがすっかり消えていた。
「内緒だよ」
何が内緒なのか彼は明言しなかったけれど、あの日のことはよく憶えている。
こうしてロベルティーナはルフェルと出会ったのだ。
コミケ原稿がつらくて現実逃避してしまいましたね……。
それにしてもじれじれってむずかしいです。
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