3、荷が下りて
これまでのあらすじ
ロベルティーナはじいやの馬車でリュスティック村の田舎家に向かっていました。
古風な家々の建ち並ぶ村の中心部を横目に、ロベルティーナを乗せた馬車は村のはずれを目指していた。
そうしているうちに日が傾いてきた。時刻はわからない。
この激しい揺れの中ではペンダントウォッチを落としてしまいかねないから、取り出したくはない。
なだらかな丘陵をいくつも超えて、もっとも急な坂を上りきると目的地がある。
リュスティック村のはずれに近づくにつれて緑が鬱蒼と深まり、同時にロベルティーナの胸が期待にざわめきだした。
夕餉の匂いをさせる漆喰の壁の家を過ぎた辺りでシルザ氏が手綱を引く。
屋敷の全貌はまだ見えず、目前には庭園とそれを貫く石畳だけが延びている。
「少しお待ちを。馬を放ってはおけませんで」
と、シルザ氏はロベルティーナと彼女のトランクを馬車から丁寧に下ろしてくれた。
わたしは放っておいてもいいのね。
うっかりすねそうになったのをロベルティーナは微笑みで塗り潰した。
「わたしなら待てるわ。少し立っていたい気分なの」
肩を竦めて、首を振って、眉と口角を上げて。
わざとらしくはなかったかしら。
「小屋に戻したらすぐに戻ります」
シルザ氏が自らも下りて馬を引き連れていくと、緑の庭にひとりぼっちになった。
そよそよと風に鳴らされるそこを遠慮無く見回す。
十年ぶりに訪れてみると、いろいろなものが少しこぢんまりとして見えた。
当時十歳の少女だったときから身長が20センチメートルは伸びたからかもしれない。
低いところに緑の葉がわさわさ、こんもりと規則的に生えている。
同じ種類の植物が直列になっているようだが、ロベルティーナには判別がつかない。
花もまばらに咲いているけれども艶やかに咲き誇る薔薇とは違っている。
蔦に絡め取られている柵やラティス、あるいは生け垣に囲われたこの前庭は、どうやら畑のようだ。
ねずみやうさぎが潜んでいてもおかしくはない。
そう思うと、少しわくわくしてきた。
畑の奥には牧草地のようなところが開けていて、草が赤みを増してきた光にきらきらと燃えている。
それを桃色や黄色、水色の混じった彩雲がじっと見下ろしているのだ。
絵心があるならば一枚の絵画として残したい、そんな美しくも切なさをあおる光景に見とれているうちに、ロベルティーナの脚が勝手に動いていた。
さくさくと散策するご機嫌な足音を、どこからともなく聞こえる羊の声や、寝床に帰る鳥の会話が彩る。
自由だ。
ロベルティーナの心とステップがふわりと軽くなりはじめた。
空も花も、草木も鳥も。
誰もわたしを気にも留めない。
おべっかも使わなければ噂もしない。
うそぶきもしない。
蔑みもしない。
そう、誰も……。
つんと鼻になにかが込み上げてきたのを自覚すると、もうだめだった。
視界がじわりとにじみ、歪み、熱を持ったそれはぽろぽろと頬を濡らしていった。
いけない。
ロベルティーナがそっと涙を拭ったそのとき、背後に人の気配がした。
勝手に散策した令嬢を探しにきたのだろう。
微笑みを用意して慌てて振り返る。
「じいや。ごめんなさい。素敵なお庭なものだから、わたしつい――」
「ティーナ……?」
ロベルティーナの言い訳は虚空に消えた。
目前には予想したシルザ氏ではなく、見知らぬ青年が突き立っていたからだ。
彼の緑の瞳がロベルティーナを貫いた瞬間、どきりと胸が詰まり時が止まった。
甘い目元のまわり、鼻や頬骨、輪郭は骨張っていて男らしく、日焼けに赤くなっている。
暮れなずむ空に、ハンチング帽を載せた燻し銀の髪が風に弄ばれて白く燃えるようだ。
驚いたのだろうか、少し開いたくちびるが何か言いたげでどこか悩ましい。
シャツにベスト、スカーフにパンツ、そしてなにやら農具をもっているなど、いかにも庭師という風貌である。
しかし美丈夫の庭師など、ロベルティーナの知り合いにはいない。
ましてや愛称で呼ぶような者など。
「お嬢さま!」
と、そのとき無遠慮な足音とともに温かいバスバリトンが飛んできた。
その方を見つめるとシルザ氏がトランクを持ってえっちらおっちら現れた。
「お待たせして申し訳ありません。じいの用事はすみまして――」
そして青年と令嬢を交互に見た。
「おお、ルフェル! お前が案内してくれていたのか」
感心、感心、とシルザ氏が若い庭師の肩を遠慮無く叩く。
親しげにしている二人の姿が、過去の光景と重なる。
「ルフェル……?」
ロベルティーナは少し冷たくなった手をきゅっと握りあわせた。
「あなた、あのルフェルなの?」
ここまで読んで下さってありがとうございます。
赤ちゃんが全然寝てくれなくて、なかなか執筆できていません。
あとコミケ原稿もやばいので更新は脱稿予定の12月16日までおやすみします。
更新が遅くなってごめんなさい。
ブックマークに入れて待ってて下さいね。




