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五話


 クランディア伯爵家の書斎では重苦しい雰囲気が室内に充満している。

 ティアーリアの父親である現当主のクランディア伯爵は、頭に手をやり項垂れている。


 執務机の前に黙って立ち尽くすティアーリアはじっと俯いて、父親からの言葉を待っていた。



 どれくらい時間が経っただろうか、目の前の父親がはあー、と長い長い溜息を吐き出してのそり、とその頭を上げる。

 ティアーリアはびくり、と肩を震わせるとそっと父親から視線を外した。



「ティアーリア、何故私に一言も相談なく顔合わせを断ったんだ」

「……申し訳ございません」


 婚約前の顔合わせを断る場合、女性側は家族へ事前に断る事を伝えておく必要がある。

 完全なる独断で家同士の縁を結ぼうとする行為を個人的な感情で決めてはいけない。

 恋愛結婚が多いとはいえ、貴族の婚姻に関わる物なのだ。せめて当主である父親に伝えておかねばならない。


「ティアーリア、私が許可しない事を知っていて無断で断ったな?」


 びくり、とティアーリアの肩が大きく跳ねる。

 その娘の反応を見て、図星か、と溜息を吐くと父親は何故急に、と嘆く。


「ティアーリア、お前は最初あんなに喜んでいたではないか。子供の頃にお会いしたアウサンドラ公との顔合わせの申し込みが来て、もしかしたら自分の事を覚えて下さっていたのかも、と喜んでいたではないのか?」

「ええ……、そうです、最初は」


 悲しそうに俯くティアーリアに、父親はならば何故? と言い募る。


「使用人からもアウサンドラ公とティアーリアの顔合わせは順調だ、と報告が上がってきていた。あと少しで約束の三ヶ月が終了するというのに何故今なんだ……!」

「──私は、私を愛していらっしゃらない方と結婚など出来ません!」


 叫ぶように声を上げるティアーリアに、父親は驚きに目を見開く。

 いつも冷静に、静かに物を話す自分の娘がこんなに取り乱している姿を見た事がない。

 それに、今自分の娘の口からは信じられない言葉が聞こえてきたではないか。


「待て、一体どういう事だ。アウサンドラ公がお前を愛していない、と言ったのか?」


 ならば何故我が家に顔合わせの申し込みをしてきたんだ? と父親は訝しげに眉を顰める。


「いえ、クライヴ様からは直接言われてはおりませんが……」

「……ならばお前の勘違いではないか?」


 父親の言葉にティアーリアはふるふると首を横に振ると、「聞いてしまったのです」と震える唇で言葉を零す。


「前回の顔合わせの後、偶然にもクライヴ様とその従者の方が本当は妹のラティリナへ顔合わせを申し込みたい、と思っていたのに間違えた、とお話していた所を聞いてしまったのです」


 妹の、ラティリナと? と開いた口が塞がらない。


 妹のラティリナからは、先日の顔合わせの時にアウサンドラ公を我が家の庭園に案内した、と話が上がってきている。

 その際、お互いラティリナは姉の素晴らしさを。アウサンドラ公はティアーリアの愛らしさを語り合い、友情が芽生えて固い握手を交わした。と。

 そしてラティリナはあの公爵様だったらお姉様を幸せにしてくれますわ! とキラキラと瞳を輝かせて語っていたのだ。


 ラティリナが本当に好きなのであればそんな好きな女性の前で他の女性をべた褒めするだろうか。

 ラティリナが嘘をついているようにも見えなかったし、今自分の目の前にいるティアーリアも嘘をついているようには見えない。


 父親は何か話がおかしな方向にこんがらがっている事を察した。

 このまま、ティアーリアの言う通りにこの顔合わせを終了させたら何か大変な事になりそうな気がして、父親は自分の額に手を持ってくるとティアーリアに唇を開く。


「……分かった、とりあえずティアーリアの言いたい事は分かったが、ティアーリア自身もアウサンドラ公としっかり話をしていないな? 再度アウサンドラ公から面会の申し入れがあったらきちんと話してみなさい。完全に断るのはそれからだ、いいね?」

「──っ、はい。ご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ございません」


 父親はティアーリアに退出するように伝えると、ティアーリアはその場で一礼して書斎から退出する。

 何か、勘違いして拗れてしまっている事は明白だ。

 何がどうなってここまでの事態になってしまっているのか分からないが、父親はそっと便箋と万年筆を取り出すとクライヴ宛に手紙を認め始める。


 自分ではどうする事も出来ないから何か勘違いを起こしているティアーリアとどうにか一度話してみて欲しい、という文章を綴り急ぎアウサンドラ公爵家へと送る事にした。








 幼少の頃、クライヴは父親の仕事の都合に何度か着いて行った事がある。


 父はこの国の三大公爵家の内の一人で、とても重要な仕事をしているのだ、と母から聞いていた。

 そして、自分はいつか大人になったらその父の仕事を引き継ぎ、国の為、民の為に父のように素晴らしい公爵となりなさい、と教えられて来た。


 領民から慕われる父親を誇りに思う。貴族達から一目置かれている父親を誇りに思う。

 不正を行う貴族を糾弾し、裁く父を誇りに思う。


 だから、自分も将来は立派な大人になって父親のような公爵家を背負って立つような人間になりたかった。


 だから、幼少の頃から父親の仕事に興味を持ち、仕事で遠出するという父親に我儘を行って着いて行った事がある。

 連れて行ってくれたのは、子供である自分が同行しても問題のない軽い視察程度の仕事の時だけだったが、幼い自分には父の仕事を手伝っている、という嬉しさと自信を持っていた。

 今にして思えば、父もほとほと困り果てていただろう。それでも、視察等の軽い仕事には同行を許可してくれて領主の仕事とはどういった事をするのか、と言うのを馬車の中で丁寧に分かりやすく説明してくれた父には感謝しかない。

 いくら公爵家嫡男とは言え、十歳そこらの子供を連れて仕事をするなんて面倒だっただろうに。

 だが、父が同行を許可してくれなかったら自分はティアーリアと会う事は無かったし、これ程誰かを愛する気持ちを得られなかったかもしれない。



 ティアーリアとの出会いは、自分が父親の同行に着いて行くようになってから二年の月日が経つようになっていた頃だった。

 いつものように、国内の他領主が治める領地を視察しに行くとの事で、その仕事に着いて行った時の事だった。

 その地の領主は堅実で、仕事も丁寧、領民を大事にしている素晴らしい領主だ、と聞いていた。

 税収の滞りも無いし、王家からの信頼も得ている領主である、と報告されていた。

 そんなしっかりと領地を治めている人物のいる領地にわざわざ視察に行く必要があるのか? と父親に聞いた事がある。

 父親は、素晴らしい面は表向きで裏で王家を転覆しようと画策していた領主もいるし、影で領民を虐げている領主も過去には数多いたから自分の目できちんと確認するんだよ、と笑って説明してくれた。

 クライヴはそうなのか、とただただ素直に頷いた。

 父親の言う事は大人になった今、確かに最もなことを言っている。と今なら分かる。

 私腹を肥やす人間は表ではいい顔をして裏ではとんでもない事をしている。そんな人間を山程見てきたのだ。


 当時十二歳になったばかりのクライヴは、父と共に向かう領地にどういった貴族がいるのか、楽しみにしながら馬車の揺れに身を任せていた。




「このような遠い場所まで……! 足を運んで頂き恐縮です、アウサンドラ公爵!」

「先触れが直近になってしまってすまない、クランディア伯爵」


 父親に挨拶をした後、クランディア伯爵、と呼ばれた男性は後ろに控えていたクライヴに視線を移すと、クライヴにも挨拶をしてくれる。


「クライヴ卿、ようこそおいでくださいました。自然が豊かなだけで何もない所ではございますが、ゆっくりしていって下さい」

「心遣いありがとう、宜しく頼む」


 二人のやり取りを見ていたクライヴの父親は、ふむ、と自分の顎に手を当てるとそう言えば、と唇を開いた。


「クランディア伯爵、そう言えばここには娘さんの療養目的で来られたとか?」

「ええ、そうです。少しでも綺麗な空気で娘の病気が良くなれば、と思いまして」

「そうか……確か年はクライヴより四つ程下だったかな?」

「仰る通りです、娘は今年八つになります」


 その後もクライヴの父親は伯爵と一言二言程言葉を交わした後、クライヴに向き直った。


「クライヴ、私と伯爵は暫し仕事の話をするので、伯爵の娘さんに挨拶をしてきなさい」

「……有難い限りです。娘は二階の自室におりますので、もし宜しければ話し相手になってやって下さい」


 長く生きれない娘がいる、とクライヴの父親は耳に挟んでいたのだろう。

 少しでも寿命を伸ばす為にこの領地で落ち着いた時間と、治療を行う為に郊外の伯爵領に来たと言っていた。

 生きる希望を無くした娘と、歳の近い息子であれば何か力になれるかもしれない、と父親も考えたのかもしれない。


 クライヴは快く了承すると、領主の娘がいるという部屋までメイドに案内してもらった。


 そこで初めて、クライヴとティアーリアは顔を合わせたのである。


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