十八話
目を覚ましたティアーリアに、クライヴはぐっ、と近付き顔を覗き込む。
「──ああっ、ティアーリア! 目が覚めたんですね、良かった……!」
「──ぁっ」
ティアーリアは、クライヴの顔を見るなり眉を寄せ表情を歪ませるとクライヴの視線から逃れるように背を向ける。
「……っ」
クライヴは、自分の視線からまるで逃げるように顔を背けたティアーリアに悲しそうに瞳を細めると、自分から逃げるように向けられた背中に視線を向ける。
(やっぱり、もうティアーリアは俺の事を嫌ってしまったのか……)
クライヴはじわじわと滲んでくる自分の涙で視界を歪ませると、ぎゅっと唇を噛み締めた。
先程、ティアーリアが自分と視線を合わせた時に見せた悲しげな表情に、クライヴは何と声を掛ければいいのか分からない。
自分が発する言葉で、またティアーリアを傷付けたら。そう考えると、クライヴはティアーリアと今までどうやってあんなふうに普通に会話を出来ていたのか、と苦しくなる。
自分とはもう話等したくない、というのが背中を向けたティアーリアの答えなのだろうか。
クライヴはティアーリアの背中に視線を向けると、ティアーリアの肩が細かく震えている事に気付く。
「──、ティアーリア」
「……ふっ、ぅ」
「ティアーリアっ!」
細く漏れ聞こえて来るティアーリアの嗚咽に、クライヴは目を見開いてベッドに片足を乗り上げるとティアーリアの肩を掴んで無理矢理自分の方へ振り向かせる。
「ぅ……っ」
勢い良く振り向かせたティアーリアの瞳は泣き濡れていて、か細くしゃくりあげながら苦しげに表情を歪ませている。
これ以上泣いて体温が上がってしまうと、せっかく熱が下がったのに体に良くないかもしれない。
クライヴはそう判断すると、ティアーリアから体を離し、医者を呼んでもらおうとベッドから離れようとした。
ティアーリアは、自分から体を離し視線を逸らしたクライヴにぶわり、と更に涙を溢れさせると戦慄く唇で必死に言葉を紡ぐ。
「クラ、……っ、様っ──クライヴ、様っ」
自分の名前を必死に繰り返すティアーリアに、クライヴは弾かれたように振り向くと、ティアーリア! と声を上げてベッドへと戻ってくる。
ティアーリアは、まだ自分の呼び掛けに反応して戻って来てくれるクライヴに安堵すると、クライヴに向かって自分の両腕を伸ばした。
(──体、が重だるい……っ私は、久しぶりに熱を出してしまったのね)
久しく感じていなかった、発熱後特有の体のだるさにティアーリアはあの日、クライヴと言い合ってしまった日に明け方まで待ち続けてしまったせいで自分が熱を出してしまった事を理解した。
幼い頃より体力も付き、熱に倒れる事が少なくなったとは言え、ここ数日の慣れない環境下での生活や公爵夫人としての学びに自分でも気付かぬうちに疲れを溜めてしまっていたのだろう。
あの時、伝え損ねた事をクライヴにしっかり説明すればまだ間に合うだろうか?
それとも、クライヴはもう自分に失望してしまっただろうか?
それでも、例え失望していたとしてもクライヴは優しい人間だ。
だから、このように熱に倒れたティアーリアを心配して様子を見に来てくれたのだろう。
恐らく、医者も手配してくれているクライヴの優しさに触れてティアーリアは再び涙が滲んでくる。
少しでもまだクライヴが自分に愛情を持ってくれていれば、自分の腕を掴んでくれるだろうか。
ティアーリアは、もう一度自分の震える唇でクライヴの名前を呼ぶ。
「クライヴ様……っ」
「ティアーリアっ!」
ティアーリアがクライヴの名前を呼んだ瞬間、クライヴへ伸びていたティアーリアの腕をクライヴが強く掴み、そのまま自分へ引き寄せるとクライヴの腕に強く抱き締められる。
「ティアーリア、良かった……貴女が熱に倒れた、と連絡があった時、私の心臓は止まるかと思った……」
しっかりと自分の腕に抱き込み、クライヴは縋るようにティアーリアの頭に頬を擦り寄せる。
「もう、体は大丈夫ですか? 辛い所はない?」
「ん、クライヴ様、苦しいですっ」
ぎゅうぎゅうと抱き締めてくるクライヴに、ティアーリアは息苦しさを感じてクライヴの背中をトントンと叩く。
ティアーリアのその言葉にクライヴははっと瞳を見開くと、抱き締めていた腕の力を緩める。
「すみません、安心して強く抱き締めてしまった……」
「いえ、心配して下さって嬉しいです……」
「ティアーリアを心配するのは当然です……酷い態度で貴女を傷付け、寒い中、一晩中待たせてしまった私が悪い」
しっかりと視線を合わせて話すクライヴに、ティアーリアは先日クライヴの瞳に垣間見た失望の感情が現れていない事に心の底から安堵する。
まだ、自分はクライヴの伴侶としての居場所がある。
クライヴの瞳から強い後悔の感情と、ティアーリアを心配する感情、そして安堵が見えてティアーリアはふるふると自分の首を横に振った。
「違うんです、私がクライヴ様に伝え方を間違ってしまったのがそもそもいけなかったのです……っ」
「間違った?」
ティアーリアの言葉に、クライヴが不思議そうに言葉を返す。
ティアーリアはこくり、と頷くとクライヴにしっかりと視線を合わせて先日の自分の発言の説明をしよう、と唇を開いた。
もう、これ以上クライヴとすれ違いたくない。
その一心でティアーリアはその日の自分の発言の真意を話し始めたのであった。
「あの日、私がクライヴ様に上手く話が出来なかった事でクライヴ様を傷付けてしまったんです……その後の自分の軽率な行動でこうやってご迷惑も掛けて……、本当に何度謝っても足りません」
クライヴの腕の中で酷く落ち込んだように視線を落として話すティアーリアに、クライヴはティアーリアの言葉を黙って聞いていたが、はっとして自分も唇を開く。
「──分かりました、後でしっかり私達は話をしましょう。今は貴女の体の方が重要だ。医者を呼んでくるからティアーリアはもう少し眠っていて下さい」
焦ったように口早にそう言うと、クライヴはティアーリアから体を離す。
このまま恐らくクライヴは、ティアーリアをベッドに入れると医者を呼びにこの部屋を出ていってしまうだろう。
自分の体から離れるクライヴの温もりにティアーリアは寂しくなり、咄嗟にクライヴの服の裾を縋るように握り締めてしまう。
くん、と体を軽く引かれる動作にクライヴは驚いてティアーリアを振り返る。
振り向いた先で、必死に何かを伝えようとしているティアーリアの表情にクライヴは戸惑い、ティアーリアの名前を呼ぶ。
「待って、下さい。大丈夫です、熱も下がったし、体の辛さもありませんから」
「だが、また何かあったら……」
クライヴが心配して言い募るが、ティアーリアはゆるゆると首を横に振ると、ティアーリアが唇を開く。
「大丈夫です、それよりちゃんとクライヴ様と話をしたいです」
懇願するようにじっと自分を見つめてくるティアーリアに、クライヴは諦めたように溜息を零すと、ティアーリアの足元にある掛け布団を引き上げティアーリアの肩にかける。
「分かりました、横になった方が体は楽ですか? それとも、このままの方が楽?」
「このままの体勢が楽です」
「分かりました」
クライヴはティアーリアの言葉を聞くと、自分もベッドへと乗り上げ、ヘッドボードに自分の背中を預けるとティアーリアを後ろから抱き締める。
ティアーリアのお腹辺りに腕を回し、後ろから強く抱き締めていると、ティアーリアが唇を開いた。
「あの日、私が言ってしまった言葉は、クライヴ様との出会いを後悔して出会ったのが過ちだと言ったのではないのです……」
「──はい、」
「確かに、私と出会ってしまったせいで、クライヴ様が築くはずだった縁の邪魔をしてしまったのは事実で、それに対して申し訳ない気持ちを本当は伝えたかった……っ」
「──はい」
「申し訳ない、という気持ちを抱いたのは本当ですが、だけど私は決してクライヴ様と出会った一週間を過ちだったのだと思った事は一度だって無いんですっ」
話しながら耐えきれず、ティアーリアの瞳からはぽろぽろと涙が零れ出す。
「すみません、ティアーリア……私の思い込みで酷く傷付けた……っ」
ひくひくとしゃくり上げるティアーリアを後ろからぎゅっと抱き締めると、クライヴはティアーリアから流れ落ちる涙を止めるように、目尻にそっと唇を落としていく。
「ティアーリア、貴女が愛しい余りに私は早合点して貴女を深く傷付けた……」
「……、っん、クライヴ様っ」
瞳から零れ落ちる雫を、クライヴがそっと触れるか触れないかの仕草で唇を落として行く。
「ティアーリアにいくら謝罪しても、私の罪は消えない。それだけ、貴女を傷付けた私ですが」
そっとティアーリアの目尻から唇を離すと、クライヴはしっかりと視線を合わせて言葉を切る。
ティアーリアの瞳に確かに映る自分への好意に、クライヴは表情をくしゃり、と歪めると言葉を続けた。
「ティアーリアを愛しています。貴女が居ないと私は生きていけない。それ程貴女を愛しているんです……」
泣き笑いの表情でクライヴがしっかりとティアーリアに向けて言葉を紡ぐ。
「貴女がもう嫌だと、私の側から離れたいと思ってもティアーリアを私はもう手放せません。こんな、執念深い男ですがこれからも私と共に歩んで頂けますか?」
クライヴの言葉を聞いた瞬間、ティアーリアの瞳からまたほろほろと涙が零れ落ちる。
ティアーリアは滲む視界で必死にクライヴを見つめると、何度も何度も首を縦に振る。
「──っ、勿論、です……っ私もクライヴ様を愛しています……っ」
声を震わせながら必死に自分の気持ちを伝えてくれるティアーリアに、クライヴはほっとしたように表情を緩ませるとティアーリアの体をくるりと反転させ正面から強く抱き締める。
お互い縋るように背中に腕を回し、ぎゅうぎゅうと抱き締め合うと、何度も自分の気持ちを相手に伝える。
愛している、好きだ、と何度も何度もクライヴが言葉にするとティアーリアも何度も自分も好きだ、と愛している、と言葉を返してくれる。
暫しそうやって抱き合いながらお互いの気持ちを伝え合って、二人は視線を合わせると照れ臭そうに笑い合う。
そして、自然とどちらからとも無く瞳を閉じると触れるだけの口付けを何度も何度も交わした。




