78 魔法ではないもの
琥珀色の髪の女が動く。半ば瞼を下ろし、わずかに眉を寄せた。
ぱちんっ! と、どこかで静電気の弾けたような音がする。
「!」
スイは、はっと目をみひらいた。セディアの腕を振りほどき、とっさに背に庇う。
「なっ……?」
「だめ! アンバー、やめなさい。このひとは!」
「長以外の命は受けません。私は『アナエル』ですよ」
「あぁあ、もうっ……アナエル!」
睨み合う二人の女性。部屋の中央、距離にして八から十歩。
その中間に突如、歪みが生じた。ひときわ高く、打つように空気が鳴り響く。――そのとき。
「させないわよ!」
ふわり、緑柱石を溶いた淡雲の髪が舞った。たなびく翠に、全員の視線が集中する。
カッ、と迸る閃光。それはアナエルとスイの間の宙を裂き、凝りつつあった何かを相殺した。
エメルダは、ふん、と鼻をならす。
「最低。えげつない魔法使うのね、あなた。元宝石の風上にも置けないわ」
「お前、その髪――」
「エメラルドか」
「だったら、どうなのよ」
一体、誰に似てしまったのか。
堂々と啖呵を切る少女は、紛うことなき精霊の姿に戻っていた。作り手ほどガラが悪くないのは救いだったが、スイは残念そうな顔になる。
「ごめんね、エメルダ。幻術……光の子の力、使わせちゃった」
「ううん。師匠を傷つけさせるわけにはいかないもの。セ……、そのひとも」
どうやら、エメルダなりに機転を働かせているようだ。
あの刹那、瞬きほどの間に自分の正体がばれることとセディアの正体がばれることを秤にかけ、前者を選んだ。
(強い子)
スイは、そっと笑む。その紫を含んだ黒瞳で正面の老人を見据えた。
「ヨーヴァ。配下の躾がなってない。あと、この子にも後ろの彼女にも、あっちの子達にも絶対、手は出さないで」
「欲張りですね、スイ。嫌ですよ。惚れ惚れするほどみごとな緑柱石の娘じゃないですか。かなり良質な“精霊の粉”になりそうだ」
「…………ヨーヴァ。やめろ、と言った」
嬉々とする黒衣の老人。スイの瞳が再び、すうっ……と黒の色に染まる。
ヨーヴァは、ちらっと隣の秘書に目を馳せた。
「アナエル。ほかに宝石の精霊は?」
「……男ですね。黒っぽい髪。大人の方です」
「上出来だ」
ふいに満足げに頷いた老人は、ごそ、と懐から小瓶を取り出した。話題にされた黒真珠は眉間を深くする。スイも同様に。
(宝石の精霊で男性体。キリクでは不適合……大人だから都合がよかった……?)
何かに気づき、さぁっと青ざめたスイが叫ぶ。
「だめっ! 逃げなさい黒真珠! あれは……っ」
「逃がさんよ。やれ、アナエル」
「は」
「?!」
黒真珠は肌を粟立てた。
言いようのない嫌なもの。ねじ曲げられた魔法の気配が全身に絡みつく。
アナエルが先ほどから意思を反映させているのは、厳密には元素霊ではない。彼女自身がそうであるように、それらも『もと』元素霊だ。この空間を満たす、ねじ曲げられた気配。力。
スイの目には、黒い霧状の縄が見えた。
何本もの禍々しい縄がアナエルから放たれ、黒真珠を取り囲んでいる。
突然、黒真珠が消えた。
――と、同時に現れた。
転移だ。
意識を失った状態でヨーヴァの目の前に膝をつき、がくん、とくずおれる。
「黒真珠っ」
「黒真珠さんっ!!」
セディアと弟子達の声が重なった。スイは瞬くこともできずに戦慄く。顔色は蒼白なまま。
「やめ、なさい。それは……どうして。なぜ、まだあるの」
「なぜって」
小刻みに震えるスイの視線から、主を遮るようにアナエルが動いた。
床に横たわる黒真珠の体を踏まぬよう一応の気遣いを見せつつ、かれらの前へと進み出る。
身を呈して、というには、まとう空気が陰湿。真っ黒すぎた。
「長の邪魔はさせません」
「あなた、わかってるの……? ヨーヴァは」
「わかってますよ」
勝ち誇った表情。
さらり、と肩から滑り落ちる鬱金にも似た色の髪を背に流し、アナエルは微笑む。
「あれ、『始まりの紫水晶』の粉でしょう? 昔の貴女ですよね。よく知ってます。私にも、使っていただきましたから」




