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翠の子  作者: 汐の音
6章 掌中に収まらぬ宝

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71 副都潜入(前)

「わっ、ぁあ……!」


 エメルダの歓声が風に飛ばされる。

 ――いや、飛んだのは自分達だった。



 ぐんぐんと地上が遠ざかる。当初、わずか数歩の距離。スイの家の庭で助走し勢いをつけた天馬(レギオン)は空気の層を階段のように駆け登り、あっという間にはるか高みへと躍り出た。


 雲上ではない。が、振り向いた先の都市は既に小型模型(ミニチュア)だ。街全体を包むウォーラの結界にあっては気づくこともなかった翠の谷や三本の滝、幻の大瀑布も、鬱蒼と茂る樹海のど真ん中に埋もれている。俯瞰(ふかん)すると都市は、街というより隠れ里に見えた。

 (まぁ……間違いじゃねぇよな。宝石の精霊がわんさか隠れ住んでんだから)


 ――――“隠れる”。


 あんなにうつくしい存在が、人目を避けて住まわねばならないことは理不尽でもあった。


 魔術的な利用価値をみいだした人間達が一方的に彼らを狩り出しているわけだが、同種としてはかなり心苦しい。意思持つ宝石(かれ)らの実状を目の当たりにした今、(くだん)の新式魔術師ギルドからの仕事はもう受けられないな……と、苦く心で呟いた。


 セディオは次いで、みずからの腕のなかにすっぽりと収まる少女を眺める。

 紅潮した頬。長い睫毛越しでもわかる、きらきらと輝く緑柱石(エメラルド)の瞳。どうやら眼下の景色に夢中らしい。(そう言えば高いところが好きだった)


 レギオンが魔法で風圧を弱めてくれているようだが、万が一にも小さなものが振り落とされることのないよう、一行の並びはこうなった。


 エメルダ、セディオ、キリク。殿(しんがり)に黒真珠。



 結論から言うと、レギオンは体の大きさを変えられた。形状は天馬のままだが、今のかれは立派な空竜(スカイドラゴン)の成体ほどある。

 巨鳥のごとき白い翼を自在に操り、時おり優雅に羽ばたいては風の流れに乗って滑空していた。


 目指すのは界と界の狭間(はざま)。門の精霊が管理するという輝水晶(きずいしょう)の谷らしい。

 徒歩のときとは段違いのスピードに、地に足のつかぬ恐怖よりは爽快感が勝り始めたころ。

 薄蒼い()()()の壁が前方に迫っていた。スイが使う門の結界の色によく似ている。


「ここ、か……? 黒真珠!」

「そう。たぶん、レギオンはこのまま突っ切るだろうね。酔うかもしれない。目を瞑っておいで三人とも」

「わかった」

「私は平気! 見てる!」

「……わかり、ました……っ!」


 青息吐息で返事したのは後ろのキリクだ。

 ――酔う、というより、かれの場合は今の時点がアウトだろう。高所恐怖症にもほどがある。


 浮き浮きと笑みほころぶエメルダを見納めに、セディオは素直に目を閉じた。




   *   *   *




 バササッ……と翼をたたみ、背を震わせたレギオンは一見、普通の白馬へと変化(へんげ)した。

 副都に続く街道外れの森は早朝ということもあり、まだ夜明け前のように暗い。「ありがとね、レギオン! すっごく楽しかった!!」と、かれの背を撫でるエメルダの声が響く。


「金輪際……! 僕は、無理です乗りません……」

「よしよし、キリク。よく頑張ったね」


 その背後では木に泣きつくような格好の少年を慰める精霊の青年がいた。

 (帰りもレギオンだったらどうすんだよ)と思わなくもないが、今はそぅっとしておくことにする。


「さ。何の因果か帰ってきちまったけどさ、どうする? 俺は指名手配中なんだろ?」

「言い方に語弊はあるけど、そうだね。きみは、そのままじゃこの森を一歩も出られない」

「不吉なこというなよ」


 その時、「はいはいっ!」と元気なエメルダが挙手をし、ぴょんぴょん跳びはねた。


「大丈夫よセディオさん! わたし、《姿変えの魔法》を使えるわ」

「まじか。じゃあ頼む……ッて、ちょっと待て!? 何だそれ」

「変装用の服だけど……?」

「いや、聞きたいのはそうじゃない。というか、お前は俺を何に変えようとしてる?」


 気色ばむセディオ。

 にこにこと動じないエメルダ。

 相対する二人の間に奇妙な緊張が走った。


「……んんっと。『絶対にケネフェルの第二王子に見えないひと』かしら。ウォーラさんに、厳重に言いつけられたの」

「! ウォーラか!! あいつめえぇぇ、くそっ。俺に何の恨みがあんだよ」


 盛大に歪められた端整な横顔に、黒真珠の笑い声が投げつけられる。

 くくくっ……と、苦しげに体を折りつつ、精霊の青年は実に愉しげに(のたま)った。


「恨み……あるでしょう。彼はね、セディオ。ずっとスイを大切に想ってた。人の子の営みは僕たちにはないけど、人界にはうまい言葉があるよね? 『掌中(しょうちゅう)の玉を()られた』ってやつ。アレだよ」

「……」


 ――そういうお前はどうなんだよ、と。

 直感的な問いは浮かんだが、すぐに消した。

 聞いても面白くはないし、話さない、ということは必要のないことだろう。セディオは渋面をわずかにほろ苦い笑みへと変える。


「……りょーかい。すっげぇ不服だが甘んじてやる。この期に及んでしのごの言ってらんねぇし。エメルダ?」

「なに? セディオさん」


「その服、寄越せ。変化したらきっちり着てやる。せいぜい、化けの皮が剥がれねぇように、ひと思いにやってくれよな」


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