67 精霊核を砕いた男
塔の中身は外壁同様、ごつごつとした石めいている。螺旋階段だったのは受付エントランスだった一階部分のみ。あとは直線状の急勾配がジグザグに積まれるよう重なっていた。
二階。三階。
それなりに、ギルド勤務の新式魔術師らとすれ違う。老若男女さまざまだが、みな一様に黒の長衣を羽織ったり、内側に着込むなりしていた。立ち働くものはどこか忙しなく、ギスギスとしている。あまり笑顔が見られないせいかもしれない。
なぜか、新式魔術師は笑わない人間が多い。
(暗いな、相変わらず)
白い外套、白い長衣姿のスイは、かれらのなかでは一際目立つ。
三階を昇ったところで階下から、囁き交わす声がひそひそと聞こえた。
「今の装束……『旧式』か? なんの用だ」
「さぁ。鞍替えとか? 偵察にしたって堂々とし過ぎだろ」
ふむ……と、スイは足を止めずに考える。
年嵩の男達の声だった。若い受付嬢の態度からも察せられたが、どうやら――
カツン。
「ようこそ。『アメシスト』にして旧式特級魔術師スイ殿。長がお待ちです」
「へぇ? 私が来ることをわかってた? いつから?」
踊り場のない、連面と交互に折れ曲がって続く階段のさ中。頭上から響く高圧的な踵の音と温度を感じさせない女の声が、スイの思考を断ち切った。
女は、五階から姿勢よく降りて来た。
顔立ちはうつくしいが、妙に印象に残らない。爬虫類を思わせる眼差しを白長衣の魔術師に投げ掛け、口許だけで微笑んでいる。
「さぁ? 私は新参なので詳しくは。ただ、貴女がここを去ってからずっと、というのが正解かと」
「あぁそう。どのみち案内はいらない。退いて」
ひどく突っけんどんな態度のスイにも怯まず、女はしずかな笑みを湛えたまま退かなかった。
「そういうわけには参りません。たしかに案内が不要なほど一本道ですが。長のところから来た私が戻れば貴女を連れてゆくことと相違ない。――さ、どうぞ」
すらすらと。
言い終えるや否や返事を待たず踵を返す。言い捨てられた客人のはるか頭上で、黒い長衣の裾が舞った。
その、つめたい目と同様。
金髪とは少し違う、飴色に近い琥珀の輝きが彼女の背を鈍く彩っていた。
* * *
コツン。
「どうぞ」
「……どうも」
六階。最上階はここだと知っている。
スイは、おざなりに礼を述べて段を昇りきった。道を空けて脇に避ける女の前を颯爽と通り過ぎる。
階段を上がってすぐ正面に大きな硝子窓。開閉できる型のものではない。突き当たりの壁一面が透けているため、視線を下げれば足元から地上が丸見えだ。
遠くを見遣れば彼方の山並みも、栄える職工の街も一望できる。
群居する建物の向こう側は平原。それに大河。
大橋で繋がれた新街道は旧街道へと続き、左に進めば黒森の王都。右に曲がれば海運の要衝たる隣国へと至る。
――それらも眼下に感じてしまえるあたり、この塔はまるで非公認の王城だなと感じる。
王都にある城は三階建ての古い砦を改築したもの。用途も趣も違うのだが。
(高いところが苦手な……キリクは嫌がるだろうな、ここに立つの。エメルダも別の意味で全身拒否だ)
ほんのりと愛弟子らを思う。
その瞬間だけ瞳が紫に煌めき、苦笑めいたあたたかさが面に浮かんだ。
が、すぐに切り替える。
瞳は黒。すぅっと表情をなくし、窓を背に離れると重厚な一枚扉の前に立った。
すかさず後ろからついてきた女がスイを追い越し、取っ手を握る。
カチャ、と難なく扉をひらいた。
「長。アメシストをお連れしました」
「――――あぁ」
配下を労うこともなく、事実のみ受けとる横柄な声。
やはり一面の窓硝子を背に、矍鑠たる銀髪の老人が立っている。額より後ろに撫で付けた毛先は肩下。秀麗な眉も銀。瞳は濃い青。やはり黒衣。
若い頃は優れた容姿だったと知っている。老いた男は、キリクの養い親トーリスの親友でもあった。
更に付け加えるなら、かれが幼子だった頃からスイは側にいた。母親のように。
「ヨーヴァ、相変わらず悪いことが大好きみたいだね……? 私は、そんな風にきみを育てた覚えは一切ない。ちょっと、そこ座んなさい」
顎を引き、腕を組む。
はみ出た指先で傍らのソファーを差し示し、スイは珍しく苛々と感情を波立たせた。
ヨーヴァはそれらを涼しい顔で受け流し、ふ、と目許のみ和らげる。
――その柔和さからは、かつて宝石の精霊核を粉微塵に砕いた執拗さも酷薄さもどこにも見当たらない。
いっそ優しげに。
長年待ち望んだ運命の相手を迎えるように恭しく、銀髪の老人はスイに頭を垂れた。
「仰せのままに。いとしいスイ」




