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翠の子  作者: 汐の音
5章 二つの魔術

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65 伝言の運び手

 風を喚ぶ。

 場所は王都、旧魔術師ギルド本部館の屋上。

 はたはたはた……と、頭上高く(ひるがえ)るギルド旗の音を聞きつつ、スイは夕刻前の空に向けて失われし言語(ルーン)を謳い上げた。


“風の子。(はや)い子。風の乙女(シルフィード)。おいで、私の声が聴こえたなら”


 ―――しん、と静寂。

 何とも言えない()が辺りに満ちる。


 すわ、失敗か? と後ろに控えた若い魔術師らが見守るなか。

 突如、()()は訪れた。


「な、何だ? この風……?!」

「しっ、黙って。召喚の妨げになる」


 明らかに四方より寄せる風。つめたいもの、生暖かいもの、乾いたもの、湿り気を帯びたもの―――


 それらの大半はさんざん旋風(つむじかぜ)を起こし、術者の黒髪や衣をはためかせたあと唐突にかき消える。


「! すご……可視化!? あれ、精霊っ??」

「だから、黙ってってば……!!」



 少々外野は煩いものの、今は一切を意識の外に遮断しているスイの目の前に(あらわ)れたのはただ一人。


 ――それは、金緑色の長い髪をゆらゆらと空気に揺らめかせる妙齢の美女だった。

 宙に浮いている。屋上の(へり)の向こう側、やや高い位置から彼女はあえかに微笑んだ。


“お待たせスイ。わたし達の魔術師。大いなる御方(おんかた)の秘蔵っ子”


“久しぶり、『風の貴婦人』。来てくれてありがとう。ほかの子や、乙女達とは話はついた?”


 ころころころ……と、風の美女が華やかに笑う。ルーンの響きをともなうそれは、やはり音楽のように聴こえた。

 

 後学のために、と。

 見学に引率された新米魔術師達は、今や固く沈黙して熱心なまなざしをスイと精霊とに送っている。


 精霊は一頻(ひとしき)り笑ったあと、勝ち誇ったように胸を張って答えた。


“もちろんよ。誰が何と言おうとスイの伝達係(メッセンジャー)はわたしだけ。譲りゃしないわ”


“それは心強いね”


 ――……とはいえ。

 実は、毎回顕現までそこそこの時間を要している。

 見えない部分で相当熾烈な争いを繰り広げているのでは……? と、精霊同士の関係性について(おもんぱか)られた。気のせいではなくちょっぴり胃が痛い。


 が、それはおくびにも出さずにおく。

 にこっと笑んだ魔術師は、やさしい声音で言語(ルーン)を紡いだ。


“……『護送完了。セディオを城に招く前に副都で大掃除してる。いい子でね』はい、復唱”


“『護送完了。セディオを城に招く前に副都で大掃除してる。いい子でね』……了解。届ける相手はウォーターオパール?”


“えぇ”


“ふふ、わかったわ。また喚んで。――じゃ!”



 乙女が薄衣をたなびかせ、ふわぁっ……と宙で一回転すると、正面から髪を巻き上げられた。


 暖かく柔らかな薫風(くんぷう)

 彼女は、名のある広大な花園に吹く風の主だ。おそらく遥か南方。力ある風の乙女(シルフィード)の一人なのだと思う。


 旋風に煽られ、ほんの少し手をかざし、瞑った目を庇った。

 その、わずか一瞬の隙に異界の隔たりを越え、貴婦人は学術都市へと飛び立った。




   *   *   *




「副都を…………大掃除、だと……!?」


 預かった伝言を明かせば(たちま)ち風の精霊は姿を消してしまう。存在が消えるわけではない。元いた場所へと帰るだけ。

 貴婦人は今ごろ百花(ひゃっか)咲き乱れる広大な谷間の花園へと帰還し、鼻唄でも歌っているだろう。


 ――それはさておき。


 ウォーターオパールは秀麗な面差しを大いに歪め、苛々と髪をかきあげた。

 シャララン……と、鈴とも鐘ともつかぬ玲音(れいいん)が奏でられ、はらはらと再び落ちる。それが、周囲に幻のような小虹(しょうこう)を散らす。


 光を閉じ込めた滝そのものの、長く白い髪。

 存在自体がうつくしい宝石の精霊らのなかでも、かれは稀有だ。


 その、美の化身がぎりりと歯噛みする。


 (何を考えて……スイ! わざわざ、古傷を自分から抉るようなことを!!)



 学術都市の一角。

 人の世ならそろそろ夕食の準備に取りかかろうかという頃合いに。


 白と虹色の青年は、街はずれの魔術師の家へと逆戻りするため、流れるように石畳の道を歩いた。


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