64 独断と、独断
もう一つの依頼とはすなわち、アイリーネとカディンのもう一人の息子、セディオのことだ。
スイは、入り口に控えていた侍従に外套を脱いで渡すと、慣れた様子で通された部屋の椅子に腰掛けた。
カチャ、カチャ……と、続きの間から陶器の皿や茶器のかさなる音が優雅に漏れ聞こえる。
レースのクロスを架けられた丸テーブルには、白磁に重たげな花弁の薔薇が飾られていた。ぎざぎざの葉が幾枚もあえて残され、花器とのバランスを保っている。シンプルながら絶妙な生け方だ。
「スイ殿」
呼びかけに、魔術師ははたと現に戻った。「何?」と答えると、手のひらに直接黒い天鵞絨の小袋を乗せられる。ずっしりと重い。
(純金貨、かな)
あたりを付けて思考し、確認のために問う。
「……六枚?」
「正解」
「弾んだね」
あっけらかん、と大公の太っ腹ぶりを讃えると、実際には引き締まった体躯の男性は、フッと魅惑的な笑みを口許に浮かべた。
一挙手一投足がいちいち様になる御仁だな……と、まじまじと眺め入る。
美女の視線をものともせず、カディンはさらっと語り始めた。本当に、爽やかだった。
「息子達の命に比べればこれくらい安いものだ。気前が良いのは貴女でしょう? 都市の長殿が、我らに良い顔をなさるわけがないし……今回も、渋られたのでは?」
「ウォーラは、宝石の硬度のわりに石頭だから仕方がない」
くすくすくす、と魔術師は笑う。
学術都市の、水蛋白石特有のゆらゆらと虹を閉じこめた色彩が、胸裡にくっきりと甦る。
一見もの柔らかな風貌を、かれは見事に裏切るのだ。確かに時おり面倒だが、スイはその部分こそを気に入っている。
「――でも大丈夫。かれだって、割り切って物事を考えられる。きみや、アイリーネ自身に不審を抱いてるわけじゃないんだ」
屈託ない魔術師にほろ苦い笑みを返しつつ、カディンはふと、手にした書類に視線を落とした。
「あ……っと。ギルド提出用の指名依頼と承諾書なんだが。今のうちにサインを貰える?」
「いいよ」
記載板に、少しずらして挟まれた滑らかな紙は二枚。上はカディンの言う通り、特級旧式魔術師であるスイへの指名依頼書。下が依頼内容の詳細や、報酬に関する承諾書だった。
ふんふん……と、スイは紙面に視線を滑らせてゆく。ぺらり、と両方をめくって確認後、ローテーブルに置かれていたインク壺にペン先を入れた。さらさらと躊躇いなく記名完了。
「はい、どうぞ」
「どうも。じゃあ―――」
ココン!
大公の言葉を遮るタイミングで扉が鳴らされた。すぐさま、開けられた隙間から身を滑らせるように小ざっぱりとしたフランが入室する。
すたすたと、かれはテーブル脇まで一直線に歩み寄った。
「お待たせしましたか?」
「いや、ちっとも」
自然と交わされる、親子の軽い応酬。
(これ、セディオが加わったらどうなるんだろう……)
埒もないことを思案しつつ、スイは甘やかに瞳を細める。そこに。
「――待たせたのはこっちだわ。ごめんなさいねスイ。フランも掛けて。はいはい、あなたも」
上質だがシンプル過ぎるほどのドレスに身を包み、白いエプロンをまとった女王陛下が現れた。
* * *
「結婚? いいわよ」
「ずいぶん、あっさりしてるね……」
丸テーブルを四名で囲む。時計回りにアイリーネ、スイ、フラン、カディオの順番だ。
卓上には女王みずから焼いた特製アップルパイ。ぱりっとしたパイ皮の焼き色も香ばしく、まだ温かい。注がれた紅茶の香りと甘くしんなりと煮られた林檎の匂いがたちこめ、室内は穏やかそのものだった。
カチャ、と受け皿に茶器を戻す。
アイリーネは再び口をひらいた。
「だって。依頼に先だって既に、学術都市で保護済み。貴女がたは想い合ってる。一応、セディオに会えたときに確認はするけど、問題なんかないわ。
…………どうしましょ、スイが! 義理の娘になるなんて……!!」
「落ちついて、陛下」
どうどう、と言わんばかりにカディンが妻へと声を掛ける。
頬に手をあてて身悶えしていたアイリーネは、冷水を被せるような夫にひややかな眼差しを注いだ。
「何ですか」
「喜ばしいよ、うん。異議はない。けれど、とりあえず片付けるべき問題もあるだろう? このままじゃフランもセディオも、奴らにいいように扱われる。言いたくないが命も危うい」
もっともな正論に、女王の青い目から勢いが薄らいだ。そっと、両手を組んで膝の上に置く。
「わかってます。……何か、妙案があれば良いのだけど。議会の暴走を止められもしない王家なのだと、今回は思い知らされたわ」
「セディオは、一度は国民に姿を見せねばならないでしょう。旧道から途中、村や町を通りましたがどこでも話題でした。『見出だされた第二王子』と」
つとめて感情を乗せず、報告の体で述べるのはフラン。
「うぅぅん……」と、親子三名、難しい顔で卓上ではない何処かに心を飛ばしている。
――しょうがないなぁ、とスイは笑んだ。
さく、と銀のフォークでパイを分ける。一口大にしたそれを刺し、口許に運んで舌に乗せた。――甘い。
目の前の幸せと、これからいくらでも手にできる幸せ。それを妨げる存在への危機感や憂慮は否めないが、本当に勿体無いことだと思う。
なので。
あえて、殊更明るく告げた。
「……どうにかすればいいんでしょう? 新式ギルドを。いいよ。『手を出すな』って、釘を刺してあげる」




