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翠の子  作者: 汐の音
5章 二つの魔術

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63 それぞれの会談

「開門……っ、開門!! 王太子殿下の帰城である!」


 城を囲む一重の堀。その降りたままの跳ね橋と正門を任された衛兵の一団に、街から急ぎ駆けたとみられる伝令が馬上から声を張った。


 すかさず、そこかしこで交わされる指示や合図、応える声。一時(ひととき)、ケネフェル王城正門前は慌ただしさに見舞われた。


「……?」


 が、どうも様子がおかしい。

 街に面した外門の兵二騎に守られる形で移動する、白い騎影が橋の向こうに見える。

 石畳を蹴る乾いた蹄の音が三騎分、硬質な響きとともに近づいて来る。つまり。


 王太子フランは、単騎で帰城した。



 敬礼を捧げ、直立不動で出迎えにあたる兵たちは、出立時とあまりに異なるその様相に驚いている。

 今回、隣国へ発つにあたり揃えられた随伴は、総数二十名を越えていたはずだった。

 その全員が姿を消し、いなかったはずの人員が一名、王太子とともに騎乗していることに戸惑いを隠せない。


 白っぽい外套のフードを目深に被っているものの、足首でひらめく長衣。柔らかな曲線を描くほっそりとした体つき。その人物を女性と判じるのは総じて容易かった。


 横座りで王子の胸に抱彼るような姿勢だが、鼻から下、(あらわ)となる横顔は毅然と前を向いている。弱った様子はいっさい見られない。



 (……女? 王太子殿下に?)

 (予定より、あからさまに早いな……)

 (賊? まさか。うちの一団を殲滅できるような、手練れの盗賊団が近辺に?)


「「「(あぁ……、気になる……っ!!)」」」



 兵たちの騒ぐ胸のうちをよそに、橋を渡り終えた三騎は瞬く間に門を潜り、城内へと雪崩(なだ)れ込んだ。

 職務中の彼らは残念ながら私語厳禁のため、その場では異変について能弁を奮うことができなかった。




   *   *   *




「無事だったか……フラン!」


 堅牢な砦に似た石造りのケネフェル城。

 二人の帰城を待ちかねたように、廊下の奥から壮年の美丈夫が現れた。


「父上……はい。ただ今戻りました」


 美丈夫――大公カディンは、安堵のため息をこぼすと一旦微笑んだ。すると、目許の皺がやさしい年輪のような深みとなって醸される。

 彼は、足早に近寄ると息子の無事をざっと視認し、軽く抱擁した。


 まっすぐな焦げ茶の髪は襟足まで。前髪は流して後ろに撫で付けている。同色の瞳は明るく、表情が豊かだ。とても五十を越えているように見えない。


 黒っぽい衣服の飾りは最小限に施された黒い絹糸による控えめな刺繍のみ。

 品よく要所で青玉(サファイア)をあしらった金の勲章やマント留めが輝いており、装いに豪奢な華やかさを添えている。それがとても似合っていた。

 カディンは息子から離れるとすぐ、申し訳なさそうな視線を傍らの女性へと流した。


「すまないスイ殿。また、貴女を巻き込むような真似をして……」


 スイはほんの少し目をみはったあと、ふるふると(かぶり)を振った。


「言いっこなしだよカディン。私は、依頼を受けた魔術師として当たり前のことしかしていない。

 ――……彼の命を繋いだのは彼自身と、たった二人の真の随伴だった。礼なら彼らと、その遺族にしてあげて」


 あるかなしかの紫の光を溶かす黒瞳が、ぴたりと大公自身へと定められる。カディンはそれを受けてわずかに首肯し、重々しく口をひらいた。


「……そうだな。

 ではフラン。お前は身支度を整えてから来なさい。スイ殿はこちらへ。もう一つの依頼内容に移りましょう」




   *   *   *




 その、同時刻。

 ケネフェル副都たる職工の街では、並みいるギルドのなかでも威容を放つ大きな塔で、ちょっとした騒ぎが巻き起こっていた。


「まだか……! どうなっている? 他の立ち会い担当者は揃っているのに。フラン殿下はどうした……!?」


 隣国より、海運通商官や国営船舶(せんぱく)造営所の所長など、そうそうたる面子を迎えて待たせている。

 予定の時刻まであと十分。いかな弱体化した王家といえど、無視することは法の上で問題があった。それゆえの招致だったのに――と、歯噛みするのは新式魔術師ギルドの担当者だ。


「それが……あの、すみません。お耳を」

「あぁ? 何だ。言ってみろ」


 専ら、他ギルドとの折衝を任されている担当者は、契約や商売のことは明るいが魔術の基礎知識に欠ける。

 彼の補助兼秘書としてあてがわれた女性は、やや高い位置にある上司の耳許に顔を寄せ、ひそひそと重要事項を伝えた。


 ――もし、定刻に王太子が現れれば、何食わぬ顔で視察および立ち会いに臨んでもらう所存だったので。



 (…………)

 話を聞くうち、みるみる担当者の顔色が変わってゆく。

 秘書の女性が身を離したあとも、その青ざめた頬は変わりなかった。はっきりと畏れと怯えを宿す瞳。たくわえられた口髭の下、もごもごと唇がうごめく。


「……大丈夫なのか? そんな、ことをして」

「大丈夫も何も」


 にこり、と女性が笑む。

 彼女は確か、元は長の魔術開発補助(アシスタント)だったか――と、記憶をさらう。彼女の意向は、つまり。


 懊悩する男性に、追い討ちをかけるように女性は呟いた。


「……使役している風精から報せは届いておりませんが。事の成否はともかく、フラン殿下がこちらに来れないなら来れないで、一向に構わないとの仰せです」


「!」



 ――――さ、そろそろお集まりの皆様と商談に移られては? と。

 涼しい顔で告げるみずからの秘書を、男性は背が(こお)るような思いで見つめた。


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