61 主不在の家で
「これで、良し」
コトン――と。
居間の卓上に、三つの宝石が並べられている。
けぶるような美貌のウォーターオパールは、軽く吐息して「どうぞ?」と、それぞれの持ち主に生まれ変わったペンダントを手に取るよう促した。
「あぁ」
頷き、気負いなくチャリ……と、一つを右手の指でつまんだセディオは、ひんやりとした手触りのそれを左の手のひらに乗せた。まじまじと眺め、そっと口をひらく。
「【この者、天賦の慧眼にして、あらゆる宝石の全き姿を透かし見る細工師】……どーも。すげぇ、大層なルーン文字だな」
ぞんざいな物言いに、ぴくりと都市の長の片眉が上がる。
「よく読んで。続きに【学術都市での預かりもの】とあるだろう」
「もの、かよ。まぁいい、恩に着る」
青年はそのまま、適当に鎖を両手に取り、頭から被るようにそれを身に付けた。
留め金のないシンプルな銀の長鎖。胸元に同じくなめらかな銀の光沢を閃かせるプレート。長方形の一角には、極小だが質のよい紫水晶が嵌め込まれている。
プレート中央に刻まれたのは梟のシンボル。それは、人の世から隔離された叡知と精霊らの都、学術都市を示す紋様だった。――曲がりなりにも都市の住民として認められた、その証しでもある。
「セディオさん、僕のは?」
おずおずと、こちらもすでに身に付けた少年が声を掛けた。
丁寧な研磨を施した、ちいさな板状の黒曜石は円形だ。周囲をいぶし銀で囲んだそれを、見やすいように掲げてくれている。
セディオは片手を腰に。片手をかれの手首を掴んで引き寄せると半身を傾け、目をすがめて覗き込んだ。
「【この者、生粋の彫刻師にして繊細なる美を生み出すもの。稀有なる魔術師の弟子にして将来を嘱望されし学徒なり】……へぇ、いいじゃねぇの」
「! あ、ありがとうございます……!!」
空色の瞳を伏せたキリクは頬を赤らめた。照れているらしい。
すると、順番を待っていた少女がわずかな距離を跳ぶように駆け込み、青年との距離を一気に詰めた。こちらはすでに、期待で頬が紅潮している。
「わ、わたしっ……わたしのは?? 読んで、セディオさんっ!」
「あー……【この者、稀有なる魔術師の預かりものにしてあらゆる理を学ぶ者。学術都市のうら若き民なり】……間違っちゃいねぇが律儀だな。【精霊】とは一文字も入っちゃいない。これは、身分証としての配慮か? ウォーラ」
嬉しそうにはにかむエメルダの頭をぽふぽふと撫でつつ、セディオはソファーで寛ぐ白と虹色の青年を眺めた。
優美、としか言い様のないその指には、何個目か不明の焼き菓子がつままれている。(甘党かよ……!)と声には出さずに突っ込むものの、辛うじて完全無視を貫いた。
細工師からの微妙な評価をよそに、ウォーラはひどく淡々とその一片を口にした。表情は変わらない。が、前回よりも機嫌は悪くないようだ。
―――前回にして初見。一行が都市を訪れた際の、挨拶のときに比べれば。
「そうだね。エメルダは立場上、スイの供で人の世に行くことも多いだろう。馬鹿正直に精霊と明記するわけにはいかない。すぐに狙われるだろうから」
びく、と少女の肩が心細げに跳ねる。セディオは眉をひそめた。
「あんたなぁ。相手見てもの言えよ。正しいからって、突きつけちゃ酷なこともあんだろ?」
「生憎、こういう性分なので。……年若い精霊は奴らの格好の餌食でね。これ以上仲間を失いたくない。だが……すまないエメルダ」
「?! いいえっ? あの。ごめんなさいウォーターオパールさん。連れていかれた姉様達のことがあるから、つい」
エメルダは雨に打たれる可憐な花のように萎れた。そこで「まぁまぁ」と、のんびりとした声が割って入る。
「大丈夫だよ。スイが決して、きみをそんな目には合わせないから」
「……黒真珠さん」
ほぅっ……と吐息し、エメルダは肩の力を緩めた。
無意識に縮こまっていた。驚きつつ、あらためて自覚する。
「――ですよね。スイのことは、何より誰より信頼してるの。ありがとう」
「どういたしまして」
にこにこと屈託なく笑む黒真珠の精霊は、茶器に残っていた最後の一口を飲み干した。
受け皿のない薄手の陶磁器。それをコトリ、と卓に戻す。
どこか苛々と腕を組み、セディオは黒銀髪の青年を睨めつけた。
「あんた、基本、スイに任せきりだな。元精霊でこの都市の長だったにしても今は人間の女でしかないだろ。――心はともかく、体は。何かあったらどうすんだよ」
黒真珠が意外そうに両眉を上げた。明らかに面白がっている。
「いろいろと誤解を招く言い方だね?」
「いや気にすんな。……って、そうじゃなくて。今も単身、王子の護衛だろ? 普通、そーいうのは傭兵ギルドでも上位ランク保持者が複数で当たるもんなんだよ。頼むから人間基準ってやつをそろそろ、あいつにも教えてやってくれよ……」
相当心配らしい。声音が切実だ。いつも飄々と不真面目なほどの青年が、その実とても繊細な心根の持ち主であることに薄々気づき始めていたキリクは、口を挟むべきかどうか迷った。
その間隙を突き、ウォーラが事も無げに呟く。
手には、また一枚の焼き菓子。どうやら真の甘党らしい。
「生憎だが。……言って聞くような彼女なら、もう彼女とは呼べないだろう」
「ぐ」
「あぁ……」
「わかるわ、それ」
「…………」
満場の一致。
全員の脳裡に、あざやかに黒髪を閃かせて微笑む軽やかな魔術師の姿がまざまざと、同時に浮かんだ。




