表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
翠の子  作者: 汐の音
5章 二つの魔術

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

61/88

59 単騎の逃亡者※

 街道から外れた明るい森。

 細い白樺が密集している、そのさ中を。


 

 ザッ、ザザァッ…………!


 迫る幹を()け、落ち葉を蹴散らし、倒木を跳び越えて疾走する駿馬の姿があった。



 単騎だ。

 全身の筋肉が、うつくしい毛並みの下でしなやかに動いている。地を蹴る蹄の音は軽やかで力強い。

 馬は障害物など何もないように、飛ぶように森を駆けたが、騎乗する人間にとってはその限りではなかった。

 もう、何度もあちこちの茂みや張り出した枝に上体を。油断すれば頭部や顔を引っ掛かれる惨事に見舞われている。

 かれこれ、逃げ始めて二十分は経ったろうか。


(……くっ!)


 パシィッ、と細枝に弾かれ、額にうっすら傷が付くと同時に外套のフードをはね上げられた。

 弾かれたように溢れる、ほの暗い赤毛。

 ゆるく波打つそれは、木漏れ日の差す緑陰にあざやかに映えた。


「痛……つつ。ろくでもないな……」


 ちょっとした不満が呟きとともに漏れ出る。ブルルゥッ……!! と葦毛の馬が、それに苛立たしげに反応した。


 心持ち上半身を伏せ、馬体にしがみつくように彼女――牝馬なので――を走らせていた青年は、甘い容貌に苦笑を(たた)え、ごく軽い仕草で馬首を叩く。

 断じて立ち止まって良い局面ではない。労いの意味だ。


「すまない、秋雨(しゅうう)。もう少し堪えて。困ったことに私一人になってしまった」


 青年は再び前を見据え、キッと視線を険しくした。額がじんじんと痛むが、今はどうでもいい。


(油断……したつもりは無かったんだがな。随従のほぼ全員が()()()とか、ないだろ……)


 紛れもない悪態。それは、胸の(うち)で遠慮なくこぼれた。


 最寄りの港湾を抱える東の隣国に、新王即位の式典に呼ばれた。ついでに今後の船舶入港税だの、輸出入の関税だの魔術師をもっと寄越せだの、さんざんな言い分を適当にあしらって来たのだ。

 不躾な物言いにもにこやかに応じ、ケネフェルの王太子としての務めはきっちり終えた。守るべき一線も維持してある。

 あとは帰国するだけ――の、消化日程だったのに。



 ヒュウゥッ……



「!!」


 (くう)を裂く音。

 ぞくり、と耳朶を掠めた矢羽根の感触と鋭い痛み。

 後方から放たれた矢は、青年よりわずかに左側に逸れて通過し、前方へと抜けて行った。



 タァンッ!



 斜め前方の木に刺さる。それが、さらに複数。


(まずい。もう追い付かれた。連中の馬、一体どうなってる……!??)


 焦燥に鼓動が速まる。土地勘のある現地のならず者集団でも雇い入れたのか。後方から迫るのは明らかに複数の馬蹄(ばてい)による振動。

 さながら、猟犬に追われる鹿だった。この際、白っぽい葦毛(あしげ)の秋雨は格好の的でしかない。


 自分はもちろんのこと、彼女に当たりでもしたら。


(終わりだな)

 淡々と可能性を胸中で反芻(はんすう)しつつ、青年は諦めずに愛馬で駆けた。

 が、その背にまさに、一本の凶矢が届こうとした――――瞬間。



“風の子! 遮って!! ()()()()()()()()!!”



 森の上空、進行方向で突如、真っ白な光が生じた。

 さえざえとした、音のない爆発のごとき閃光。青年は躊躇せず手綱を引き、思わず目を瞑った。

 馬も竿立ちになり、戸惑うように嘶いたがすぐに落ち着いた。ひらり、と鞍から降り、念のため「どうどう」と宥めてやる。



 常ならば、追手から逃れる最中の急停止など自殺行為でしかない。


 が、経験上知っていた。

 この声。この光。このタイミング。

 ――間違いない、()()()、と。


「助かった……ありがとう秋雨。少し休んでて」


 自分でも驚くほどの疲弊感を滲ませた声で愛馬を(いたわ)り、青年――フランは「もしも」に備え、抜剣する。鋼と鞘の(こす)れる硬質な音が辺りに響いた。


 先ほどまでの馬群の轟きが嘘のように、後方からは時おり『うぎゃあっ!』『わあっ! ……助け……あぁっ!!』など、あられもない男どもの悲鳴が聞こえたが、それもすぐに鎮まる。


 息を殺し、待つこと三分。


 ――さく。さく、パキン!


 枯れ葉や小枝を踏みしめるささやかな音が一転、森へと染み渡った。


 おそらく、わざと気配を隠さず(あゆ)んでいるのだろう。佳人にふさわしいその足音は優しげで、朗らかですらある。荒事のあととは到底思えない。


 フランは改めて、ふー……っと息をつき、肩を降ろした。速やかに、使わずに済んだ剣を元通りに納める。


 やがて、こんもりとした藪の影から長靴(ちょうか)に包まれた華奢な爪先が見えた。

 次いで、女性らしいドレープを控えめに描く白地に紫の縁取りがなされた長衣。白い外套。



「や、フラン王子。遅くなってごめんね。少し、ごたついちゃって」


 飄々と語る耳触りのよい声。靡く黒髪、紫がかった黒瞳。

 ――学術都市の、栄えある特級魔術師の姿がそこにあった。


「いいえ。いつもありがとうスイ。お陰さまで、今日も助かりました」


 黙っていれば美女そのものの魔術師に救われた王太子フランは、額に浮かぶ汗も爽やかに。

 晴れやかに、にこっと人好きのする笑みを浮かべた。


フラン王子のイメージはこちら。

挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ