58 女王夫妻の願いごと
「隣国から戻る第一王子の護送……――は? なんでスイに?」
台詞の後半。早口のそれ。
セディオのすっとんきょうな声は、吹き抜けとなる居間の天井にまで届いた。
魔術師の家は、そう狭くもないが広くもない。あらかじめ複数の他人が暮らすことを想定したのか、小じんまりとした居間とダイニングテーブルのあるキッチンは同じ天井を有している。背の高い衝立のようなパーテーションで区切っただけの、開放的な造りだ。
中央ではなく、角に詰める形で置かれた四人掛けのソファーが二つ。明るい色合いの一枚板のローテーブルを挟み、手前側に背もたれのないスツールが三つ。更に、壁際のやや離れた場所に安楽椅子が一つ置かれている。
セディオの問いに、場は一旦凍りついたように固まったが―――
「ちょっと失礼」
軽く述べた当のスイは、人数分のちいさな茶器とたっぷりとした容量のポットを盆に乗せたキリクを背後に従え、手際よく各人に焼き菓子の皿を配って回った。
ふと振り返り、少年からそっと盆を受けとる。
「ありがとうキリク。きみも、エメルダの隣に座りなさい」
「でも」
「いいから」
「……はい」
有無を言わさぬ師の笑顔に、一番弟子の少年はすごすごと引き下がった。
片方のソファーに、既にセディオと並んで腰掛けていたエメルダはぽふぽふ、とみずからの左の座面を叩く。
「おつかれキリク、ん」
「うん。エメルダも」
言葉少なく互いを労う兄妹弟子に微笑みを浮かべ、スイも適当なスツールに腰を降ろした。
ゆっくりとした手つきで茶を淹れる。
ついさっき王都で購入したばかりの茶葉は上等で、甘い香りがした。
コト。……コトン、カチャ、と。
不思議なもので、彼女が「どうぞ」と言い添えて湯気ひく白磁の茶器を配り終えるまで、礼を述べる声以外は一切あがらない。
座る姿勢はまちまちだが、全員が家主のスイに敬意を払っているのが空気に透かし見えた。
もう片方のソファーに並ぶ二人の精霊――ウォーターオパールと黒真珠は、全員に茶が行き渡るのを確認し、器を手にとる。
ふぅ……と湯気を飛ばして一言、都市の長が口をひらいた。声音は淡々としている。
「なんでも何も。きみの両親からの要請だ。従う義理はないがスイはこの通り、何でもほいほい引き受けるからね。すっかり頼られてる」
「ほいほい……」
セディオは絶句した。訊かねばならないことが多すぎる。
見かねたスイは苦笑を浮かべ、やんわりと長を嗜めた。
「また。ウォーラ……! 言葉を惜しみすぎだ。
セディオ、私はケネフェルの女王と王配の君に面識がある。貴方の兄上にも。だから、これは無茶な要請じゃない。知己からの頼みごとだよ」
「知己……でもな。それ、一個人には重責じゃねぇの。あんたの利点は? 釣り合うだけの見返りはあんのかよ」
訝しげな青年の瞳に、スイはひょい、と肩をすくめる。
「もちろん報酬はあるよ。依頼だし。けれど、一々利で計って動いてたら人生は窮屈だ。――そうじゃない? 私の大事な、未来の伴侶どの」
スイの投げた不意打ちの変化球――あるいはド直球に、同席した少年少女は揃ってぎょっとする。
セディオは一見、嫌そうに口をへの字にした。す、と目を伏せると長い指の大きな手で口許を押さえ、俯いてしまう。
が、思いきったように左右に首を振ると、バッ! と勢いよく顔を上げた。
青いまなざしは魅力的な恋人であるスイに。それから、都市の長をつとめる青年へと向けられる。
「ぅぐっ……くそ。いや、嬉しいけど。今回ばっかりは誤魔化されねぇぞ、スイ?
――ウォーターオパール。報せについて、もっと詳しく教えてくれ。あと、その手段。一般的に、学術都市と渡りをつけるには風の精霊に託けるより他ないというが。旧式魔術か? 副都……職工の街にはギルドの影すらなかったが」
いつの間にか菓子を食べ終えていたらしい、けぶる白と虹色の青年が目を瞬いた。一口、茶を含んでから答える。
「そう。我々にとっては、人の子のいう『旧式』こそが本来の魔術。スイは、その最高峰の実力者だ。知らなかった? 彼女は、律儀に王都の旧式魔術師ギルドで登録もしているよ」
「まじか」
「―――何。まさか無免許だと思った? 私は筋を通さないと気が済まない質だし。人の子になってしばらくして、すぐに行ったよ……、じゃなくて。ウォーラ、続きを」
瞬間、拗ねたような黒髪の魔術師がほほえましい空気をまとう。つん、と誰とも目線も合わせず茶器を唇に当てていたが、黒真珠の何気ない「フフっ」という笑い声に、さらにそっぽを向いた。
「「「…………」」」
大人達は黙り込み、各自そのさまを見守っている。
(お師匠さま……ときどき、反応が年齢不詳なんだよな……)
大人しく話に耳を傾けるエメルダの隣で、はむ、と菓子をつまむ。
果物のリキュールを塗ったしっとりとした一口大のパウンドケーキを味わいつつ、少女のような師とそれを愛でる大人達を、キリクはぼんやりと眺めた。
何にせよ、口を挟む余地はなさそうだ。
「とにかく」
こほん、と咳払いした水蛋白石の精霊が、場を取りまとめるべく発言した。
「女王夫妻は、議会の暴走で明らかとなった第二王子――……セディオ。きみがかれらの手に落ちないか危惧しているらしい。
議会の中心勢力の狙いは大っぴらな“精霊狩り”だからね。保守派の女王と王太子は邪魔なんだろう。
今、ケネフェルじゃ正規騎士団も動員しての大捜索中らしいよ。『どうか、奴らに先んじて二人目の息子を見つけ出し、保護してほしい』と。……こっちが主だったかな。最初に言った王太子の護衛は『余裕があれば』だそうだ。
……忙しいなスイ。本当に引き受けるのか?」
すでに、半分は達成したも同然だが――と。
誰よりも精霊らしい風貌でありながら為政者の顔も併せ持つ白い青年は、残りの茶を飲み干すべく、しずかに茶器を傾けた。




