53 スイと黒真珠
引っ越しだとか、新居とか。住まいを新たにするのは何かと物要りだ。
少し肌寒いが晴天の下、穏やかに行き来する人びと。まだ昼前の街に響く伸びやかな鳥の声。
ふぅ……と、小さく吐息が漏れる。
黒銀の柔らかな前髪をかきあげた黒真珠は、三歩先をゆく女性の背にのんびりと問いかけた。
「スイ。あとは何を買うの?」
「んー……私用の寝台と、絨毯を三枚。道向かいの家具屋さんでいいのがあればいいんだけど。もうちょっとしたら横断する。申し訳ないけど、頑張って」
「了解っと」
スイ自身も食料品や衣類を入れた肩掛け鞄を二つ下げていたが、黒真珠は食器類や寝具を包んだ五歳児ほどの大きさの袋を片手で抱えている。
さっきまでは両手で持っていたので、そろそろバランスがきつい。右手を戻し、「よいしょ」と持ち直した。
スイは、きょろ、と辺りを見回す。
「それにしても……寂れてるなぁ、王都は」
「副都は、もっと賑わってた?」
「えぇ」
こくり、と頷きつつ黒紫の視線を―――ぴたり、と街の中央に聳え立つ尖塔、その頂上に翻る細長い国旗へと定める。
背後を切り立った高い岩山。三方を平地に囲まれたケネフェルの首都は、ただ“王都”とのみ呼び習わされる。
王家と家臣たる貴族。中央府に勤める官吏とその家族が住民の大半を占める、石造りの古い街だ。
もちろん、彼らが必要とする品々を扱う大店は主街道沿いにいくつも軒を連ねている。老舗と呼ぶにふさわしい、格調高い宿や料理屋のたぐいも。
雑多だが活気に溢れ、下町のような風情があった副都とは性質がまったく違う。
迷う手間は省ける。
――が、少し高級品に偏る。商品を選ぶ余地は、ほぼない。
「なら、副都に飛べばよかったのに」
軽い調子で言ってのける青年に、スイはじとりと視線を流した。
「無理。セディオがいなくなった日と私達が副都を出た日は同じだ。門番には顔を覚えられてる。細工師ギルドでもそう。捜索の追っ手がかかってたとしたら、何らかの追及は免れない。移住の旨は、いずれ都市の長であるウォーラが、かれの両親に伝えてくれるけど。それまでは波風を立てたくない」
「まぁ……そうだろうね。じゃあ《姿変え》の魔術は? 幻を被せるやつ」
ふるふる、とスイは頭を振った。
「そこまで副都にこだわることないと思って。あと……現在の王都に、少し興味があったから」
「ふぅん?」
あちこち綻び、欠けた石畳の街道を横切り、スイと黒真珠は目当ての家具屋へと辿り着いた。
この辺りは花崗岩の産地らしく、店々も大きく切り出したそれを丹誠に組み上げて造られたものが多い。
自分から学術都市を出ることはない黒真珠にとっては、出会うものすべてが新鮮だ。まじまじと店舗を眺める。
きちんと磨かれたガラス越しに映る店内に、他の客の姿はない。覗き込む黒髪の男女の二人連れが、鏡のようにほんのりと浮かぶ。すると。
(………………あっ)
唐突に、黒真珠はセディオに言われたことを思い出した。再度右手を荷物から外し、さほど背の変わらない、慕わしい魔術師の肩を指先で叩く。
「あのさ、僕ってきみの弟に見える?」
ぱち、と目をひらいたスイは、どこか少女めいて見えた。今なら兄にもなれるんじゃないかな――など、黒真珠はこっそり思う。
スイはすぐに破顔し、普段どおりの口調でにこにこと答えた。
「あぁ、セディオに言われた、あれ? 自分じゃわからないけど……考えたこともなかったな。でも、嬉しかった」
「嬉しい?」
青年は意外そうに首を傾げ、瞬く。
水晶などの結晶体ならともかく、海に眠る貝のなかで一粒だけ、ゆっくりと育まれた彼には、そもそも“兄弟”を心情として理解するのが難しい。
スイは磨りガラスの嵌め込まれた扉を押し開け、後ろの青年に入店を促した。
チリン……と、扉の上辺に付けられた鈴が鳴る。
「だって、私は中途半端な人の子だから。気持ちの上では宝石の精霊を身内のように感じるけど、実際はそうじゃない。でも――まだ、どこかで繋がるところがあるのかなって。
可笑しいよね。セディオと出会ってからそういうことが多いんだ。自分で、自分に驚く」
「――――へぇぇ……」
「……その間と相づちは何? 黒真珠。ひどいな。そんなに、私に繊細な感情は似合わない?」
「まさか」
うろんな眼差しとなるスイ。
精霊の青年は、そんな彼女に声をひそめつつ、ほつこりと笑みを浮かべた。内緒の、大切なものを自分のなかに見つけて。
「僕も今、すごく嬉しくなった。なるほど……精霊が人の子を守護したくなるのは、そういう感情の揺れに惹かれるのかも。
いいね。僕、きみを守護したい。スイ。僕の持ち主にならない?」
甘えたような素振りで、整った顔を寄せる青年に。
スイは、ふふっと微笑み、「どうしようかな」と溢した。
ちなみに、躊躇いつつも声がけのタイミングを計っていた店内の従業員の男性は――
(……姉弟? 新婚にも見えるって、一体どっちなんだよ??)
――と。
接客のアプローチに頭を悩ませ、涼しい顔の下で内心、唸っていた。




