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翠の子  作者: 汐の音
4章 枷と自由

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45 それぞれの石

“其方らに祝福を”


 それだけを実に素っ気なく告げたアクアは、浜辺に降ろしたかれらを省みることなく、ふいっと来た方向に蛇体を(ねじ)ると同時にチャプン、と消えた。水に沈んだ……というより、水そのものと同化したらしい。


「……ご気分を、害されたんでしょうか」


 炎の司(サラマンディア)と違い、一人一人に声を掛けることなく去った彼女に、キリクの表情が曇った。

 弟子の少年を慮ったスイは、おや、と苦笑する。いっそ申し訳なさそうですらある。


「大丈夫。アクアは元々、人の世に全く興味がないんだ。他の人を連れて来ても姿を見せたことはなくてね。今回は顕現して、あぁやって優しく運んでくれたわけだし。キリク達のことは気に入ったんだと思うよ?」

「……お師匠さまの、昔の持ち主(マスター)や僕のおじいさまが来たときも、あんな感じでした?」


 訊かれた内容が意外だったのか、黒髪の魔術師の眉がぴん! と跳ね上がった。一瞬後、「そうだね……」と、懐かしげに瞳を細める。


「あのときのアクアは怖かった。私はまだ色々と経験の少ない紫水晶(アメシスト)の精霊だったし、かれらも若かった。……会えばわかると思うけど、昔の私の人型はこれから向かう第三階層の主、アーシィの姿に似ててね」

「はい……?」


 一行は、スイの語り口調に惹き込まれたように聞き入っている。が、動き始めた彼女に従い、歩き始めた。

 キュ、キュ……と、足元の砂が鳴る。とても細かい砂だ。それが四人分。

 水晶の林は深く、奥へ進むほどにその高さを増している。今はまだ足首までしかないが、遠目に見える下り坂の入り口周辺には、エメルダの背丈ほどの塊もあった。


「ずっと、本体(わたし)の宝石はアーシィが持ってたんだよ。だから、里帰りみたいなものだと甘く見てた節があって。サラ……サラマンディアはあの通り人の世に興味津々だからね。あっさりとかれらの移住を認めてくれた。アーシィもね。問題はアクアだった」

「……まさか、問答無用で攻撃されたのか?」


 半ば確信に満ちた低い声。セディオの問いにこくり、とスイは頷いた。


「うん。さっきの湖、最初は誰もいなくて急に水が渦巻いたでしょう? あんな感じでね。水弾・津波は挨拶程度。ひどくなると鋭い氷弾になる。あれはだめだね、えげつない。氷水(ひょうすい)の結界の流用でこっちの火の結界を水蒸気で役立たずにしたり……土の結界はぐずぐずに溶かされちゃうし。風の魔法は、地下だから効きが悪い。“門の子”に境目だけ異界に隔離してもらう方法を思いついて、ようやく互角に戦えるようになったんだ」

「えぇと? 師匠。聞き違いじゃなきゃそれ、立派な戦闘よね? アクアさん、本気で殺しにかかってるよね……??!」


 ーーそれがなぜ、あぁまでスイにべた惚れになったのか。

 三名が同時に抱いた疑問は次の瞬間、魔術師本人の晴れやかな笑顔で払拭された。


「どうもね、私がかれらに連れ去られて、無理やり使役されてると勘違いしたらしい。あの時の私は指輪の姿を好んでて、持ち主(マスター)に身に付けてもらってたから。

 でも、アクアとは対話の必要性を痛感してね……。人型をとったアーシィからみっちり“失われた言語(ルーン)”の発音を習って、後日私だけで地底湖に行ったんだ。

 ……一発で認めてもらえた。あやうく水底(みなそこ)に引きずり込まれそうになったけど」


 (((あ……っぶな!!! 何、その命がけの対話っ!?)))


 またしても、スイ以外で心の声が一致した。


「まぁ、今となってはいい思い出だよ。私もアクアは好きだし、問題ないから……そろそろ石を選ぼう? アクアも別れ際、『好きな石を好きなだけ選ぶといい』と、言ってくれたことだし」


 しれっと促す右手の先。

 確かにそこは、見事なクリスタル・クォーツの柱が岩肌を覆う、透明な光の乱反射による虹の坩堝(るつぼ)だった。

 よく眼を凝らすと、草入りのもの、気泡を閉じ込めたもの、乳白色のものなど様々だ。


「わっ……すごい、たくさん。どれも綺麗……!! 師匠のもここで?」

「うん。有無を言わさずアクアに押し付けられた無色透明のやつ。……いや、嫌いじゃないよ。好きだよ、うん」

「いいんですか? そんな基準で……」


 キリクが珍しく、スイを気の毒そうに眺めている。

 スイは特に気にした様子もなく軽く吐息し、ひょいっと肩をすくめた。


「いいよ。要は、一生涯気に入って身に付けられる素材なら何でもいいんだ」

「それ、結構悩むわね……あ。でもわたしは、師匠と同じがいいって決めてたから。これにするわ! キリク、採って?」

「え? あ、うん。いいよ。ちょっと待ってて」


 ごそごそ、と腰のポーチから養い親(トーリス)譲りのノミと木槌を取り出すキリク。天然の水晶群を前に、きん、と気配を研ぎ澄ませる。

 最も、高い透明度。最も澄んだ結晶体ーー

 空色の瞳がつかの間、感情と温度の一切を消し去る極度の集中。


 (これかな)


 胸に浮かべる言葉はあくまで優しく、しかし手つきは無駄なく。

 狙い定めた六角形の結晶の根元にノミの刃先を当て、躊躇せずコンッ! と、一打(ひとう)ち。

 ぽろっ……と零れたそれを、素早く持ちかえて空けた左の手のひらで、危うげなく受け止める。「はい」とそのまま、翠の妹弟子へと手渡した。


「ありがとう……! さすがキリク、格好いいっ!」

「えっ……? な、何で? 採っただけなのに??」

「それがいいのよ。ねぇ、師匠?」

「うん。すごく格好よかった」

「ーーーッ!! も、もういいでしょう? さぁ次! 次、行きましょうっ」


 「はいはい」とゆるく応じる師。

 にまにまする妹弟子。

 彼女らを置き去りに、キリクはどんどん幅が狭くなる通路を、さらに奥へと突き進んだ。

 その十二歳にしては華奢な背を、エメルダも「待ってー!」と、慌てて追う。


「……」


 スイは、しずかに水晶の壁面を撫でる青年の側へと近寄り、真剣な横顔を覗き込んだ。

 ーーこちらも、職人の表情(かお)だ。


「俺、ここの銀砂を精製して、……こいつを装飾に使おうかな」


 ぴたり、と。

 セディオが長い指先を止めたのは、透明な水晶群の端でわずかに色を(たが)える、粒の小さな結晶体。そのごく一部が、うつくしい宵闇の色を控えめにまとっている。ーー紫水晶(アメシスト)だ。


「いいんじゃないかな」


 にこ、と。

 魔術師はほんの少し、頬を染めて微笑んだ。


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