33 ちいさな守護者
「下層部分?」
「そう。この食事が終わったら行こうかって、今朝キリクと話してた。行くでしょう?」
時刻は午前七時二十分。
パリパリの、こんがり焼けたパイ皮を突き崩してスープに浸し、ご満悦になっていたエメルダはもちろん、元気よくこれに答えた。スプーンを持っていない左手を挙げて、はいはい! と大きく自己主張する。
「行く行く、師匠。ここの地下、初めて来たときからすっごく気になってたの」
「ふうん? どんな風に?」
「どんな…? そうね。とっても大きくて、暖かいものや静かなもの。広くて大きいもの……そういう、つよくて豊かなものがたくさんいるってわかるの。地下に降りたらわたし、うっかり本体に戻って寝ちゃいそうよ」
黒髪の魔術師は、素直な精霊の少女の闊達さにくすくすと笑った。
「さすがだね、概ね合ってる。……セディオは? 四人で行った方がいいと思うよ」
「俺? …あぁ、もちろん。必要なことなんだろう? さっさと済ましちまえばいい」
そう言うと、意外に綺麗な仕草で焼きたてのベーコンエッグをナイフで適当に切ると、くるくると器用に巻いてフォークに刺した。そのまま、すっと口に運ぶ。
「何? なんか、付いてる?」
視線を感じたのか、セディオは訝しげに青い目を細めた。
スイは頬杖をつき、「いいや? 何も」と言いつつ、正面に座る青年を眺めている。にこにこと、どことなく嬉しそうだ。
「……」
「…」
四角いテーブルの両隣に座る少年と少女からも、空色と翠色の視線がそれぞれの温度で突き刺さる。あんまりなので文句を言おうか……そう考えた瞬間。
青年は、はたと気がついた。
(いや、こいつらは本当に刺してるつもりなんだよな。師匠に手を出すなって、釘を)
ようやく心当たりに思い至った青年は、にこっと微笑んだ。――実に、非の打ち所のない好青年の表情で。
「悪いな。お前らの大事なお師匠さまを、昨夜貰っちまって」
「!」
「えぇ?! 何それ、聞き捨てならないわ! 師匠、ほんとなの?」
スイは、変わらずにこにこと笑んでいる。
が、エメルダの皿にさや豆のサラダを取り分け、自家製ドレッシングをかけてやると……コトン、と彼女の目の前に置いた。
「さぁ? どうだろう。今日の予定にはあんまり関係ないことだよね。…ね、セディオ?」
迫力の黒紫の視線が、エメルダの方に向けた綺麗な顔から、すぅっと流された。青年はこれを真正面から受け止め、にやりと片頬を緩める。
「そうだな、スイ。口が過ぎたし、色々と嬉しすぎた。以後気をつける」
「気をつけるも何も、実際なにもないんだから…お願いだからそれ以上、大事にしないでくれる? 行けばわかると思うけど、これは貴方のためでもある。――忠告だ。照れじゃない」
青年は、ふーん…と考える素振りで腕を組むと、神妙な顔で天を仰いだ。「なるほど」と、小さく呟いている。
おもむろに姿勢を正した。
「わかった、スイ。おっかない後見に挨拶を済ませるまでは、ちゃんとお利口さんにしとくよ」
「えぇ。そうしてください」
「「………!」」
どうしよう。まるで秒読み段階だと、特に翠の少女は焦った。
(師匠ったら…! どうして、そう傷つけられるかも知れない方向にばっかり、行くのよ…!! 人間だよ? セディオさんだよ? そりゃ、ちょっとは恩人だけど! 悪気なく、いつ、めちゃくちゃ痛い目に合わされるかわからないってのに)
―――ここの、多くの精霊達がそうであるように、エメルダにとってもまた、スイは純粋な人の子とは到底呼べない。
うつくしい紫水晶の輝きは今でも彼女を包んでいるし、反面、“核”と呼べそうなものは時を止めてしまっている。
生きている、とも言いがたいそれを、紫の淡い光が何とか活かし、動かしている状態。
……危ういのだ。とても。
だから放ってはおけない。
(だから、わたしはスイをひとめ見て持ち主に定めたんだわ。…今ならわかる。この綺麗なひとを――壊させやしない)
元気で、素直で、伸びやかな若い緑柱石である少女は、意図せず核心を見抜いてしまう。
そして。
まだそれを、誰にも告げてはいない。




