22 結託する弟子、愛される魔術師
優しい風がそよぐ。
野宿していた古い大樹の根元から歩いて二分ほど。木立の疎らな開けた場所に、浅い渓流があった。
さらさらさら……と涼やかな音を奏でる流れはうつくしく、きらきらと昇りたての朝陽が乱反射する様はひたすら眩しい。澄んだ水の底には時おり色とりどりに光る石が見受けられ、さながら伝説の楽土とされる宝玉の都のようだ。
キリクとエメルダは柔らかな緑の下草と落葉を纏う土を踏みしめ、連れだって川沿いを歩く。顔を洗うにしても、もう少し深い場所がいい。それに魚がいればな…とも。
魚影は今のところ見当たらない。
川の流れを視線で追いつつ、いつもの賑やかさは夢の中に置いて来たのかな…? と少年が案じてしまうほど黙りこくっていたエメルダは、ふと真剣な面持ちで口をひらいた。
「キリク……怪しいわよあの二人」
「う~~ん……そう?」
「そ・う・よ! 特にセディオさん。師匠のこと、じーっと見すぎ。一々近いわ!もう、やんなっちゃう!」
ぷりぷりと元気に憤慨して見せる翠の少女。
怒っても、一片たりとも愛らしさが損なわれない妹弟子に、金茶のふわふわ頭の少年は困った表情で眉を下げ、空色の瞳を和らげた。
―――もちろん、エメルダが嘆く内容にはとっくに気づいている。
職工の街のセディオの家で、かれを連れて学術都市に向かうと告げられたときからずっと、「お師匠さまの好みは、本当に解せない」……と、一番弟子の少年は少しばかり悶々としている。
* * *
薄蒼い闇に包まれていた輝水晶の谷と違い、鬱蒼と茂る森の中では何故か太陽と月の運行が認められた。
スイ曰く、門の精霊の力が満ちた場所では「時」の概念がなくなるらしい。
……その仕組みはよくわからなかったが、お陰で概ねの時間は計れる。おそらく今は午前六時半すぎ。
木陰の向こうから真っ直ぐに広がる黎明の光で目覚めた弟子二人は、師である女性から爽やかに『おはよう、二人とも。顔を洗っておいで。ただしキリクはこれを使って。直接川に触れたら、水の乙女に連れていかれると思ったほうがいい』…と、小さな盥を手渡された。
大人二人は既にこざっぱりと朝の支度を調えていた。火の番を交代でしていたこともあり、夜明け近くから起きていたのだろう。
そのことはいい。自分達が幼いせいもあり、ただ休ませて貰えたことに素直に感謝する。
しかし、樹の乙女に放り出されたとき咄嗟に受け止めてくれたのは、かれだと聞いた。
――……口ほどに悪い大人ではない。細工の仕事に関しても正しく圧巻の一言だった。
敵わない。
でも……大人の男のひとだと認めてしまう反面、狡いなと感じる。
(なんか、悔しい)
そこまで考えてキリクはハッ……と現実に戻り、ふるふるっと頭を振った。気を取り直し、ざっと踵を返す。
「エメルダ、戻ろう? 魚はいなさそうだし。さっさと顔を洗って戻らないと、セディオさんを喜ばせるだけな気がする」
「同感ね」と、翠の少女は力づよく頷いた。
* * *
「――で、お師匠さま。これは何なんです?」
「あぁ。おかえりキリク、エメルダ。見てのとおり果物だよ?」
「いえ。それは、見ればわかります。ではなくて……出所が、わからなくて。荷物にはありませんでしたよね?」
川から戻ると、焚き火の炎で小鍋に湯を沸かし、香草茶を煮出すスイの姿があった。隣でセディオが、黙々と見事に熟れた葡萄や林檎、梨を種類別に選り分けている。よく見ると栗や柑橘類の類いもあった。それぞれ、小山になっている。
にこ、と黒髪の魔術師が微笑む。――傍らの古い大樹そのものに。
“ありがとう森の最長老。やっぱり、森で夜明かしをするときは貴方の膝元がいちばん安らぐね”
“……お褒めに預り光栄だ、我らの魔術師。うちの若い森の守り手衆が、張り切って実らすもんだから。……まぁ、儂らは皆お前さんが愛おしい。運べるだけ持っていけ”
くすくすくす、と擽ったそうにスイが笑う。
“そのわりには、昨日若い乙女達に絡まれたよ”
“あぁ――あいつらか。へし折っておこう”
“穏便にね”
“其方も……”
ちら、と樹の幹に、うろのような黒々とした目が二つ浮かび上がり、スイの傍らの青年を見つめた。
「!」と、セディオが息を詰める。
“……ほどほどにな”
「『ほどほどにな』だって」
「え? あ、あぁ。いや……どうだろう。約束はしかねるけど。―――って、ちょっと待て! 訳さなくていい。お願い訳さないで」
「わかった、伝えないでおいてあげよう」
口をあんぐりと開け、呆然と立ちすくむキリクとエメルダ。
やがて森の最長老はめきめきめき……と軋む音をたてながら、再びごく普通の古い大樹となった。
さわさわさわ……と、何事もなかったように風に揺られた梢の葉が頭上で鳴り渡る。
「……」
「さすが、スイよね。えーと……こういうの。精霊たらしって言えばいいの?」
状況は、翠の子の一言に集約された。




