12 二人の師
彫金は、読んで字の如く金属を彫ること。キリクは朝食後、セディオに連れられて二つ並んだ作業机のうち、右の壁側の椅子に腰を下ろした。
眼前の窓からは角度の和らいだ朝陽がほのかに差し入り、室内を照らしている。
雑多に見えて主の意思を映し、一定の決まりごとに則って配置された細かな道具たちが、机上に整然と立ち並ぶ。
窓辺は一種独特な、職人の工房らしく侵しがたい空気に満たされていた。
小豆色の髪の青年は手に持っていた金属の板をカタン、と少年の前に置いた。きらり、と白っぽい光を弾く軟らかな金属。銀だ。
「普段は、彫刻刀とか、ノミに木槌か?」
「はい。扱うのは石材や木材でしたから」
セディオは「ふーん……」と思案した。無意識なのか、無精髭がなくなった口許に長い指を添えてぴたり、と机の上の練習用の銀板に視線を落としている。
「銀粘土にして、後で磨くか……? いやでも、仮にも精霊付きの緑柱石の台座だし……」
そのままぶつぶつ言い始めたので、キリクもぼんやりと祖父から引き継いだ道具の数々を脳裡に思い浮かべた。次いで銀板と巾着に包まれた原石に目を遣り、こくん、と一人頷く。――決めた。
「セディオさん」
「んあ? 何、坊主」
この人にとっての自分は、まだ“坊主”なんだな……と苦笑を浮かべた少年は、構わず言葉を続ける。
「僕は、わりと器用です。初めての道具でも半日あれば慣れてみせます。…彫金専用の道具があるんでしょう? 使い方を教えてください。僕の彫りに納得いかなければ、貴方が彫ればいい―――違いますか?」
ふわふわの金茶の髪、夢見るような春の空色の瞳。キリクは愛らしい容貌に反してぴりりと理知的な物言いをする。
セディオは、口許に添えた指はそのまま、「へぇ…」と呟き、にやりと微笑った。
眼差しにうっすらと好戦的な色合いが滲む。視線はすでに、不思議な緊張感を以て少年のそれと結ばれている。
「違わねぇな」
一言、愉しげに返した。
* * *
「スイ」
落ち着いた声で名を呼ばれ、魔術師の女性は後ろを振り向いた。手には果物ナイフと剥きかけの林檎。食後のデザートに…と思いつき、手に取ったところだ。
邪魔にならぬよう、うなじで結った黒髪がスルッと背から肩に滑った。
「なに、セディオ」
「ちょっとギルドに顔出してくる。材料の手配とか、あと色々」
「ふうん……? わかった。いってらっしゃい」
綺麗な顔が、にこっと微笑む。
(……)
青年は暫し、固まった。
自宅の厨房で、妙齢の美女がくだけた格好で調理をしつつ、出掛ける自分を笑顔で見送る。
――はからずも、ときめいてしまった。
「くっそう……悔しいな。あんた、色々ずるいよ」
「うん? よくわからないけど、ごめん…?
あ、待って。はいそのまま口開けて」
トン、とまな板の上でナイフが鳴る。
「?」と佇んだ青年の顔の前に、ごく自然に指でつままれて差し出されたのは―――ご丁寧に一口大に切られた林檎だった。みずみずしくて、美味しそうな。
セディオは半目になり、口許を苦笑いの形に歪めた。
「スイ。あのな…」
「あれ、嫌いだった?残念……って、こらっ! 痛っ……くないけど、それ、違う!!」
スイは、にわかに慌てる。差し出した指ごと食べられた。引っ込めようにも手をがっしりと掴まれている。
セディオは林檎だけを口に残して咀嚼し終えると、ごくんと満足そうに飲み込んだ。
「…違わない。世界中の紳士に訊ねてもきっと、これが正解って言うから」
「《紳士の常識》って永遠に謎だわ……。キリクにはそういうの教えないでね?特級細工師さん」
たちまち、じろりと横目で流してセディオから距離を取ったスイは、かれの呼び方を意図的に改めた。
青年もそれに気づき、ちょっと残念そうな表情になる。
「あー……悪い、悪かった。うん、キリクには教えないすみません」
「わかれば宜しい。留守なら任せてご用事どうぞ」
つん、と明後日の方向を向くスイ。
セディオは静かに破顔した。
「ごちそーさん、旨かった」
ひらひらと手を振って工房と家の主を追い出したスイは、青年が去ったあとの出入り口をちらりと眺め、吐息を漏らす。
「また、迂闊だとかなんとか、叱られるかしら…」
まぁいいかと気を取り直し、彼女は再び林檎に向き合った。




