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死に際メリー  作者: gojo
第一章 1988
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1988(4)

 次第に辺りは暗くなり、キリンの首のような電灯がチカチカと明かりをともす。

 道の上を僕は気だるげに歩いていた。そして、すぐ後ろに大輔がいた。彼は木の枝を振り回しながら、ずっと、僕についてきている。

 砂利の転がる音と草の揺れる音、遠くからは車の音、それらはとても微かで、漂う静けさを引き立てていた。


 無言の時間に耐えかねたのか、唐突に、大輔が僕の背中に向かって言う。


「あんま草むらに近付かないほうが良いぞ。マムシがいるから」


 僕は視線を少しだけ後ろに向け、歩いたまま返事をした。


「マムシ? 毒蛇の? そんなの山にしかいないだろ」

「その辺のブッシュに普通にいるぜ。捕まえて遊んだことないのかよ」

「あるわけないだろ」

「都会育ちは違えなあ。ゲームばっかやってんだろうな」


 無駄話に付き合って損をした。僕は黙って前に向き直った。

 すると、大輔は落ち着いた声色で呟いた。


「直樹、なんか、ごめんな」


 あの手この手で話しかけてくるなよ、と思いながら、短く言葉を返す。


「なにが?」

「分かんねえけど、俺、また悪いことしちゃったんだろ? 俺さ、すぐに人を怒らせちゃうんだよな。母ちゃんや先生からいつも怒鳴られてる」

「別に、僕は怒ってないよ……」

「そうか。それなら良かった」


 彼は歩みを速めて僕のことを追い抜いた。


「それより大輔くん、なんでついてくるんだよ」

「あ? 家出に付き合おうって決めたんだ」

「これは遊びじゃない」

「俺だって遊びのつもりはねえよ。でさ、これ、どこに向かってんだ?」

「とりあえず、上流に……」


 それ以上、なにも言えなかった。

 死に場所を探しているなんて告げることはできない。


 再び静かになると、前を行く大輔は枝をクルクルと回して鼻歌を歌い始めた。


 切れのある、心地よいメロディー。

 それは、何度も繰り返し聞いたことのあるフレーズだった。


「それ、『Dreamin』だろ?」


 尋ねると、大輔は足を止めて振り返った。


「直樹、お前、BOOWYのこと知ってんのか?」

「ああ、うん、いつも聴いてる」

「マジか! 俺もだ! 最高にイカしてるよな!」


 彼は両手を広げ、興奮気味に叫んだ。

 普段であれば、そんなやかましい奴は無視をする。けれど好きな音楽のことについて語るのならば話は別だ。いままでBOOWYの曲を知っているクラスメイトに会ったことがない。僕はここぞとばかりに、大輔と同じテンションで、自分の想いを口にした。


「カッコ良いよな。ヒムロックの歌声が刺さるんだ」

「だよな! でも俺は、氷室よりもギターの布袋に惚れてんだ。チャラチャラしたことはしないで図太いビートを刻む姿は男だぜ」


 それから僕らはいくつもの楽曲について語り合った。あれは誰が作詞したとか、GIGの締めはこれが良いとか、あそこのフレーズは盛り上がるとか。


 そして、ギターソロについての話になった時、大輔が真剣な顔をした。


「俺さ、将来はギタリストになりたいんだ。でもうちの親がうるせえんだよ、不良になるなんて許さねえって。俺は不良になりたいわけじゃない。だからって健全になりたいわけでもないし、水泳選手になりたいわけでもない。ギターを弾きたいんだ」


 彼は僕の目を真っすぐ見て、更に言葉を続けた。


「……だからさ、直樹、俺と一緒に夢を叶えに行こうぜ」

「ユメ?」

「ああ、夢だ。このまま旅を続けて、どこかの街で成功するんだ」


 そう言われても明確な夢なんて持っていない。

 返答に困る僕をよそに、大輔は自身の胸を親指で示しながら畳みかけてきた。


「ハートならここにある。はじけようぜ!」


 加えて、力強く一歩を踏み出す。

 こうなってしまっては、ますます死に場所を探しているなんて言えない。

 僕は、戸惑いながら、大輔の後ろについていった。


 しばらく進むと、川のほとりにグラウンドがあり、大輔がそのひらけた場所を忙しなく指差した。一体なんの用があるのだろう。そう疑問に思っていると、彼は、「漏れる漏れる」という言葉を連呼しだした。示された場所を改めて見下ろしてみると、グラウンドの端に簡易トイレが備えられている。


「悪い。ちょっと行ってくる。待っててくれ」


 大輔は、駆け足で土手を降りていった。

 遅れて僕も土手を降り、ベンチに腰を掛けて律儀に彼を待つことにする。

 その時、どこからか、聞こえてきた。


 トゥルルルル、トゥルルルル……


 辺りを見回すと、近くの駐輪場に電話ボックスが佇んでいた。暗がりの中、黄色味を帯びた光を放っている。そこに設置された緑色の公衆電話が、鳴っていた。

 誰が電話をかけてきたのか察しがついたので、迷わず近寄り、ボックスのドアを開け放ったまま受話器を手に取る。


「もしもし?」


 面倒臭そうに問いかけると、案の定、彼女の声がした。


『あたしメリーさん。いま、あなたの……』

「後ろにいるんだろ?」


 そう言って振り返ると、メリーさんが不機嫌そうに立っていた。


「あたしに決め台詞を言わせたくないの?」

「用があるなら無駄を省いて速やかに話を進めて欲しいんだよ」

「忙しいの?」

「え、いや、そういうわけじゃないけど……」


 言い淀むと、メリーさんは訳知り顔で頷いた。


「まあ、良かったわ。自殺をしそうな気配もなくて」

「邪魔が入って計画通りにいかないんだ」

「もう自分一人で死ぬのは諦めたら? 家に帰って当たり前の日常を送りなさいよ。そうすれば、幸せを見つけることができると思うわよ」


 今朝までの『日常』を振り返ってみる。とてもではないけれど、あの環境に幸せが落ちているとは思えない。


「僕は、帰らないよ……家族も学校の奴らも、みんな汚くて、醜くて、わがままで、愚かで、下等だ。あんな奴らと、まじわりたくは……」


 そこまで言った時、メリーさんが僕の話をさえぎった。


「それは嘘よ」


 囁くような音量なのに、その声は耳の奥に突き刺さるように聞こえてきた。

 わずかに狼狽えた僕のことを、彼女は目を細めて眺め、口角をそっと引き上げた。


「……あなたは嘘をついているわ。本当は怖いだけでしょう? 妬んでいると言っても良いわ。やりたいことのない、やれることもないあなたは、器用に楽しむことのできる周りの人たちに劣等感を抱いているのよ。でも、それを認めることができなくて、無理やり他人を見下そうとしている。他人を見下すことで強い人間の振りをしている」


 それ以上、話を聞きたくなかった。

 僕は、すべて消えてしまえと願いながら、電話ボックスから飛び出してメリーさんに手を伸ばした。瞬間、彼女の体がグニャリと歪み、黒い渦となって闇に溶ける。

 伸ばした手は、空を切った。

 電話を切って消えたのだろうか。そう思った時、背後から声がした。


「まだいるわよ」


 振り向くと、電話ボックスの中に、メリーさんが腕を組んで立っていた。


「知らないかもしれないけど、あたし、人の背後に立つのが得意なの」

「知ってるよ……」

「ねえ、勘違いしないでね。あたしはあなたのことを非難するつもりはないわ。自分以下の存在を探して安心感を得ようとするなんて、よくある話だもの。でもね、その精神バランスの取り方には限界があるの。自分は強い人間だと言い聞かせ続けなければならないなんて単なる拷問でしょ。あなたの考えは前提から間違っているわ。いい? 強いからといって勝ちとは限らないし、弱いからといって負けとは限らない。そうね、いまのあなたに必要なのは理解者。本当の自分を晒すことのできる理解者だわ」

「理解者……」


 噛み締めるように復唱する。メリーさんは冷めた表情をして更に話を続けた。


「友達を作りなさい。たった一人でも良いから友達を作るの。そうすれば、いまのあなたは救われるわ。幸せになれるわ」


 僕は彼女のことを見据え、ゆっくりとした口調で尋ねた。


「つまり友達を作れば、君は僕を殺してくれるんだね」


 メリーさんは首を傾けて唸り声をあげた。そして、なにか思い付いたのか、大きく一つ頷くと、僕のことを指差した。


「いいわ。呪い殺してあげる。でも、あなたに友達を作ることなんてできるのかしら」

「できるさ。それくらいのこと」


 語気を強めると、彼女は唇に人差指をあてがい、声を潜めた。


「シーッ、戻ってきたわ。じゃあ、期待してるわね……」


 電話機のフックがガチャリと下ろされる。同時に、メリーさんの姿は消えた。


「いやー、出た出た」


 大輔の暢気な声が聞こえる。声のしたほうへ視線を向けると、彼はTシャツで濡れた手を拭きながら、こちらに向かって歩いてきていた。


「直樹、どうしたんだよ。電話ボックスになにかあったのか?」

「え、いや、受話器が外れたままになっていたから、直してあげようと思ったんだ」


 ぶら下がったままの受話器をフックに掛け、ドアを閉じる。

 大輔は不審がることもなく、川の上流を指差した。


「じゃあ、行こうぜ!」


 そして土手へと走りだす。僕は、その背中に向かって慌てて声をかけた。


「な、なあ、大輔くん!」


 大輔は足を止めて、神妙な面持ちで振り返った。


「あ? なんだよ」

「大輔くん、あ、あのさ、と、と、友達にならないか?」


 緊張する僕に対し、大輔はあっけらかんと笑った。


「突然なに言ってんだよ」

「どうなんだよ。友達にならないのかよ」


 必死に問い詰めると、彼は口元を引き締めた。


「友達になるぜ。モチのロンだ。ってか、俺らはとっくに友達だろ」

「え? そうなの?」

「だから、大輔って呼べよ。呼び捨てするほどの仲だろ」


 僕は唾を飲み込んで、彼に向かって言い放った。


「大輔、よろしくな」

「おう、よろしく相棒!」


 二人で土手に向かって歩き始める。

 途中、大輔が不思議そうに僕の顔を覗き込む。


「どうして浮かない顔してんだ?」

「友達ができたんだなって……考えていただけだよ……」


 これで、僕の死は、確定したんだ。


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