第五十八話『夜を行く』
咄嗟に飛び退く喬示。
幾何学模様の断面をさらす捩じれ裂けた空間を見て、次にそれを行った人物に視線を移す。
「どういうつもりっすか……隊長!」
目の前の人物──嵯峨野に対し声を荒げる喬示。
「まったく……役に立たない連中だ。結局、俺がやらなければいけないのか」
嵯峨野は喬示の言葉を無視しひとりごちる。
その視線はムカデに向いている。
「説明してもらえるんですよね?」
「説明もなにも……分かってるんだろ?」
怜也に視線を移し、言葉を返す嵯峨野。
「アンタが裏切り者ってことだろ。虫籠ってのもアンタの組織か?」
喬示から殺気が放たれる。
嵯峨野は動じず、視線だけを喬示に返す。
「俺と戦うつもりか?」
「俺ら三人相手じゃ流石のアンタでもキツイだろ」
「否定はしない。だから一旦引くとする」
「ああ?」
嵯峨野の周囲の空間が歪む。
彼一人だけなら、ワームホールを開かずとも空間転移が可能だ。
「追ってくるなら、相手をしてやる」
その言葉だけを残し、嵯峨野の姿は消え失せた。
「追うぞ!」
喬示は舌打ちして、そう言うと、旅館のロビーに向かってズカズカと歩き出す。
「追うぞって、どこ行ったのか分かんないじゃん」
涼の言葉に喬示は立ち止まって振り返る。
「お前、虫籠って組織の人間だろ? アジトの場所は?」
喬示の言葉はムカデに向けられたもの。
彼女は少し考え後で、ため息を吐く。
「二つある。一つは市内のオフィスビル。こっちは霊能者じゃねえ連中が仕切ってる。元ヤクザの奴らとか。私は殆ど行ったことねえけど……」
「もう一つは?」
「この南阿蘇村にある。山の方にある廃ホテル。私がいつもいるのはこっちだ」
「どっちに行く?」
「どうすっかな……」
再び歩き出す喬示。
三人もそれに続く。
外に出て、夜空を見上げる。
「そういや、愛生さんって女の人知らねえか? 三十代の女性で多分スーツ姿だ」
「いや……知らねえな」
「手がかりがないね」
「二手に分かれる?」
「戦力を分散するのは上手くないね」
「多分、ボスは廃ホテルの方にいると思う……」
ムカデが小さな声で言う。
「廃ホテルの方は表に出せねえ金の管理と死体処理をやるための場所なんだ。ボスは多分、それを片付けに言ったんだと思う」
「なるほどね……。んじゃ廃ホテルに行くぜ」
ムカデの言葉を頼りに、一同は廃ホテルを目指す。
☆
阿蘇山の中腹。
ひっそりと佇む建物。
特徴的な赤い三角屋根をしたこの建物は、第二次大戦勃発の少し前に国策ホテルとして開業した。
当時としては珍しい本格的な西洋式のホテルだったが、火災や経営不振などもあり閉館。
今は廃ホテルとなっている。
そんな廃ホテルの一室に一人の男がいた。
「あれほど禍対の人間には手を出すなと言った筈だぞ。面倒なことになるからと」
スマホ片手に通話中の嵯峨野。
電話相手を叱責するような口振りだ。
『今回の件に関しては本当に悪かったよ。私の監督不行届だ』
電話相手は謝意を示すが、嵯峨野の表情は険しいままだ。
「これは借りだぞ」
『分かっているさ。相応のお詫びはさせてもらうよ。なにが良い?』
「……その話はまた今度だ。まずは事態を収拾させなくてはならない。ここにある資産などを移動させなくては」
『こういう時に君の能力は便利で良いね。君もさっさと逃げればいいんじゃないか』
電話相手の言葉に嵯峨野は溜息を吐く。
「そうしたいのは山々だが、敵に回るなら今のうちに消しておかねばならない者たちがいる」
『高嶺喬示と槻舘怜也か。確かにあの二人が順調に成長すれば、いずれ手のつけられない強者になるだろうね。私はまだ九州にいるから、今から引き返そう』
「お前が来る頃には片がついている」
『それならそれで一仕事を終えた友を労うとするさ』
友という言葉に嵯峨野がハッと笑う。
「心にも無い言葉を」
『本心だとも。まぁ、ともかく後で会おう。嵯峨野』
「ああ。崩」
電話を切り、スマホをしまい、嵯峨野は再び溜息を吐く。
そこに一人の男が現れた。
「アジト内の片付けはほぼ終わりました」
二十歳くらいの青年。
ハチという虫籠の構成員だ。
「ご苦労。直に禍対のほうの俺の部下たちが来る。表で迎撃しろ」
「分かりました。あの女はどうしますか? 一応バラさずにいましたが」
「……捨て置いていい。どのみちアレでは助からない」
嵯峨野がそう言うと、ハチは頭を下げて出ていった。
☆
一方の喬示たちは廃ホテルを目指し移動していた。
煌々と輝くヘッドライトが夜道を照らす。
旅館から車を借り、それを涼が運転しているのだ。
「おい運転下手じゃね?」
「しょうがないじゃん! ペーパードライバーなんだから! 普段運転しないし!」
助手席から文句を飛ばしてくる喬示に反論しながら運転する涼。
本人も言っているようにペーパードライバーであり、都内在住であるため普段の生活で車を運転することも殆どない。
さらに今回のように夜道の運転はほぼ初。
おっかなびっくりハンドルを握っている。
「もうちょいスピード出せよ。これじゃ着く頃には朝になってんぞ」
「うるさいな〜!」
「こいつら、いつもこんなか?」
「そうだよ。ケンカップルってやつだね」
「誰と誰がカップルだって?」
「こんな奴が彼氏とかありえないから!」
後部座席で交わされる怜也とムカデの会話に聞き捨てならないワードが出たことに反応する二人。
「そりゃこっちのセリフだろ。お前と付き合うぐらいなら怜也と付き合うわ」
「私だってアンタと付き合うぐらいなら怜也と付き合う!」
「反論がズレてんだろ。お前みてえな女と付き合うぐらいなら男と付き合うって言ってんだから、お前は女と付き合うって言うべきだろ」
「そっか! じゃあアンタと付き合うぐらいならムカデちゃんと付き合う!」
「アタシ!?」
ムカデの反応に喬示たち三人は吹き出す。
「そういやお前、ムカデって名前はコードネームかなんかだろ? 本名はなんて言うんだよ?」
「……忘れた」
「ああ?」
ムカデのまさかの返答に怪訝な表情を浮かべる喬示。
「子供の頃に前のボスに買われたんだ。その時に本当の名前は捨てた。寄処禍に覚醒してからムカデって呼ばれるようになって、前の名前は忘れた」
「そんなことある?」
「アタシらは皆そんな感じだ。さっきの奴らもカブトとクモって呼ばれてて本当の名前は知らない」
「そりゃあんまりだろ」
「喬示が名前付けてあげなよ」
「はあ?」
涼の唐突な提案に喬示は当惑する。
「だって喬示が拾ったようなもんじゃん」
「犬や猫じゃねえんだぞ」
「でも拝揖院で身柄を預かるにあたって名前がないのは困るよね」
「そうそう。ムカデちゃんもちゃんとした名前欲しいよね?」
「名前……うん」
しばらく考えたあと、ムカデはそう答える。
「ほら。考えてあげなよ」
「あ〜、わーったよ」
涼にぞんざいな返事をして喬示は窓から外を眺め思案する。
「まず苗字は……百々《どうどう》だ。百に踊り字のな」
「百足だから? 安直だなぁ」
「黙れ。んで名前は……」
そこで喬示はふと空を見上げる。
夜空にいくつもの星がまぶされたようにキラキラと光り輝いている。
「晶だ。日が三つの」
「百々晶……」
ムカデもとい晶が、今しがた命名された自分の名を復唱する。
その口元にはわずかな笑み。
涼はバックミラー越しに、怜也は隣でそれを微笑ましそうに見る。
旅館からここまでの緊張感が薄れ、和やかな雰囲気が流れる。
その時──
「涼!」
四人の乗る車に向かって、斬撃が飛来した。




