第五十四話『高嶺喬示、十七歳』
東京・渋谷。
都内有数の心霊スポットとして知られる千駄ヶ谷トンネルに一人の少年が足を踏み入れる。
深夜のトンネル、人通りも車通りもない。
そんなトンネルの車道を少年は徒歩で悠々と歩く。
新しく設置されたばかりのLEDライトがその姿を照らし出す。
深夜にも関わらず学ラン姿の少年──高嶺喬示。
「ずいぶん明るくなったなぁ」
千駄ヶ谷トンネルでは他のトンネルと同じくナトリウムランプが使われていたが、来たるべき東京五輪の開催に向けた再整備の一環でLED照明に変更された。
以前の薄暗さはなくなり、明るくなったトンネルを見て、喬示は感心したように呟く。
千駄ヶ谷トンネルは墓地の下にあるトンネルで、その立地のためか心霊現象の体験談や幽霊の目撃情報が有意に多い。
実際、このトンネルには禍霊が住み着くことが多いため、禍隊による定期的な祓除活動が行われている。
喬示は以前から何度もここで祓除を行っているのだ。
「まぁ、明るくなろうがお前らには関係ねえわな」
喬示がまるで誰かに話しかけるように言う。
すると、LEDライトが喬示の近くの物から順に消えていく。
一瞬にして暗闇に包まれるトンネル。
数秒あって、すべてのライトが一斉に点灯。
「いいやァ? 明るいほうが助かるぜェ」
現れたのは、身体のあちこちに眼球のついた禍霊。
「ああ? 癲恐禍霊かよ……」
明らかに自分への返答と思われる言葉に、身体を襲う怖気。
相手を禍霊の上位種である癲恐禍霊であると判断し、喬示は禍仕分手を発動して警戒の度合いを強める。
「つーかお前、アレだな。サウ◯ンド・◯イズ・サクリ◯ァイスみたいな見た目してんな。知ってる? 遊◯王」
「知らねェーーーーーーーッ!」
大量の眼球がついた触手をしならせ、振るう。
それはトンネルの支柱を叩き折りながら喬示に迫る。
「だよな」
ヒョイッと後退して触手をかわす喬示。
支柱が折れたことでトンネルが崩落。
崩れる天井が迫る。
「"翳月"」
憑霊術を発動。
身体を漆黒の靄が包む。
降り注ぐ瓦礫は靄に触れたそばから消え失せる。
さらに周囲に漆黒の波動を放ち、瓦礫の山を消し飛ばす。
トンネルが崩落したことで、喬示を間世の夕日が照らす。
両の手をポケットに突っ込んだまま棒立ちだ。
「さあさあ! 目競しようぜェ! この矯眇さまとなァ!」
「テンション高えなオイ」
「逸らすと負けよぉ〜あっぷっぷ!」
「あ?」
──なんだ? 身体が動かねえ。
「俺の目勝ちぃ! ひゃあっ!」
「ぐおおおっ!?」
矯眇の放つ触手が喬示を捉える。
喬示は回避行動を取らない。
なぜなら身体に纏う靄が触手を消し去るからだ。
しかし、触手は靄に触れても消え失せることなく、喬示を吹き飛ばした。
「どうなってやがる」
すぐさま体勢を整える喬示。
数メートル吹き飛ばされたが、ダメージは見られない。
「そらぁ! もう一勝負! 逸らすと負けよぉ〜あっぷっぷ!」
「またかよ……!」
「俺の目勝ちィ! ひゃあっ!」
「ぐっ!」
またもや動きを封じられ、翳月の防御も無視され吹き飛ばされる。
「……なるほどね」
先ほどと同じように素早く体勢を整えた喬示は、矯眇の能力を分析する。
──コイツの能力はにらめっこだ。勝利条件は相手を笑わせることじゃなくて、目を逸らさせること。
喬示の分析は正しい。
にらめっこは古くは目競と呼ばれ、武士の訓練の一貫で行われていたものだ。
お互いに睨み合い、先に目を逸らしてしまった方が負け。
矯眇の能力はそれを元にしている。
──負けた方は動きを封じられ、防御も無力化されるってとこか? 攻撃力は大したことねえのが救いだな。にらめっこに関しちゃ、ようは目を逸らさなきゃ良い話だが……
「ズル過ぎんだろ。お前」
改めて矯眇の姿を確認する。
身体のあちこちに眼球がついたその姿。
二つしか目のない喬示では、そもそも矯眇の目のすべてと目を合わせることすら出来ない。
必然的に"目を逸らした"扱いとなり負けになる。
多くとも二つしか目を持たない人間でははなから勝ち目などないのだ。
──にらめっこでは勝てねえ。なら勝負が始まる前に潰す!
駆け出す喬示。
しかし、
「逸らすと負けよぉ〜あっぷっぷ!」
「くっそ!」
「またまた俺の目勝ちィ! いえいいえい!」
「どわっ!」
喬示が攻撃を加えるより早くにらめっこが始まる。
当然、勝ったのは矯眇。
喬示を触手で吹き飛ばす。
「埒あかねえぜ」
どうしたものかと考える喬示。
その時、矯眇のある言葉を思い出した。
"いいや? 明るいほうが助かるぜ"
──そうか!
「んん? なんだい諦めたのかい?」
棒立ちの喬示に矯眇が言う。
喬示はそれには答えず、右手の人差し指を空に向ける。
「フィールド魔法を発動するぜ」
「ああん?」
「"翳月・夜降"」
間世の夕暮れ空が闇に覆われていく。
現れたのは、夜。
月も星も浮かんでおらず、間世であるため街灯もない。
周囲は完全な真っ暗闇となる。
「なんだァ!? 見えねェ!」
再び目競を行うとする矯眇だが、肝心の対戦相手が見えない。
これでは目競は成立しない。
「なにも見えなきゃ、にらめっこのしようもねえだろ」
喬示が凄まじい速度で矯眇に迫る。
この夜には喬示の身体能力を向上させる効果がある。
背後に回り込み、触手を引きちぎる。
「ぎいやあああああああああああああああああっ!」
「なんだよ」
蹴り倒し、漆黒の靄を全身に浴びせる。
「逆垂加使えねえのか? 拍子抜けだぜ」
矯眇が夜の闇に消える。
その後、喬示の抖擻発動によって生み出された夜も消える。
「拍子抜けって」
不意に声が響く。
「逆垂加使われたらヤバいでしょ。喬示は弑逆礼法使えないんだからさ」
「怜也」
現れたのは、喬示と同じ学ラン姿の少年。
肩につく長さの色素の薄い髪を揺らしながら喬示に近づく。
右手には買い物袋を提げている。
槻舘 怜也。
喬示と同じ拝揖院禍霊対策局第二部隊の隊員だ。
「お前がいるから問題ねえ」
「僕だって常に一緒にいる訳じゃないんだから。いい加減習得しなよ」
怜也に言葉を返さず、喬示は手を叩き現世に戻る。
「だいたい喬示は能力に頼り過ぎだよ。そんな強い禍霊に憑かれてたらしょうがないのかもしれないけど、もう少し他の……」
「うるせ〜。わざわざ説教しに来たのかよ? 暇だなオイ」
喬示の言葉に、怜也は買い物袋を見せつける。
「夜食を買ってきてあげたんだよ。わざわざね。要らないなら良いけど」
「いや〜。持つべきは親友だな〜」
「………………」
☆
深夜の公園。
喬示と怜也はそこのベンチに座り夜食をとる。
怜也が買ってきたのは唐揚げ弁当。
近頃ぽつぽつと増え始めている無人販売点で購入してきた物だ。
「うまっ」
唐揚げにかぶりつき、白米を頬張る。
「そういえば、隊長からのメールちゃんと見た?」
「んん?」
唐揚げを口に含んだままで喬示はポケットからスマホを取り出す。
そこには直属の上司から、明日の昼に本部へ来るようにという内容のメールが来ていた。
「気付かなかったわ。なにかあんのか?」
「さあ? あんまり良い予感はしないけど」
「だな」
しばらくして弁当を食べ終わる二人。
すると公園の入口に車が停まり、クラクションを鳴らす。
ちょうど良いタイミングで補助員が迎えに来たようだ。
二人は弁当ガラを袋にしまい、立ち上がる。
喬示はふと空を見上げる。
まだ夜は終わらない。
この後もまだ、祓除任務は続く。
未曾有の世界的パンデミック。
昼も夜も人の減った都市。
反比例するように増えた禍霊との戦い。
祓って祓って、また祓う。
その繰り返し。
今から五年前。
高嶺喬示、十七歳の青春。




