第五十三話『俺を被るお前は誰?』
天平が目を覚ました時、彼はベッドの上にいた。
身体にあちこち、特に背中の痛みを感じながら半身だけ起こす。
周囲を見渡し、ここがどうやら病室であることを理解する。
しかしベッドは自分が寝ている物だけで、部屋もやたらに広く、妙に高級感がある。
ここは特別療養環境室、いわゆる差額ベッドと呼ばれる個室タイプの病室だ。
保険が適用されないので料金は患者の自己負担になるが、天平の場合は拝揖院が支払ってくれる。
「天平くん。起きた?」
ベッドの向かいのソファに座っていた純礼が天平が起きたことに気づき近寄ってくる。
同じようにソファに座っていた他の四人も続く。
他の四人とは夏鳴太、喬示、野津、そして莉々紗だ。
「俺、どれくらい寝てた?」
「三時間くらいじゃないかしら」
「身体大丈夫なんか?」
「背中はまだ痛む……」
「そりゃそうだろうな」
「でも胸はなんともないんですよ。刺された筈なんですけど」
「胸の傷は塞がってたらしいぞ」
「ええ?」
ガウンタイプの患者衣の胸元を覗く天平。
確かに傷跡のようなものがある。
「なにがどうなって……。俺、途中の記憶がないんですけど、なにがあったんですか?」
「ん? あ〜、それより、言いたいことあるんだろ?」
喬示は頭をかきながら少し思案し、誤魔化すように話の流れを変える。
「莉々紗ちゃん……」
喬示に促され、莉々紗が前に出る。
「良かった。無事だったんだね」
言葉通り本当に安心したような表情を浮かべる天平。
それを見た莉々紗は泣きそうな顔になる。
「ごめんなさい! 私のせいで大怪我させちゃって。何回も止めようとしてくれたのに……私……」
「いや大丈夫大丈夫! 気にしないで!」
頭を下げる莉々紗に慌てる天平。
「莉々紗ちゃんが無事に戻って来れて良かったよ」
天平に優しい言葉に遂に莉々紗は泣き出した。
野津がそっと寄り添い、天平に視線を向ける。
「本当にありがとうございました。なんとお礼を言ったら良いか……」
「莉々紗ちゃんを引き戻したのは純礼ちゃんですから。お礼は純礼ちゃんに」
「貴方が眠っている間に散々言われたわ」
泣く莉々紗の頭を撫でながら純礼が言う。
その姿を見て、なんだか姉妹のようだなあと天平は思った。
「莉々紗ちゃん、これからどうなるんですか? まさか矯正施設行きとか?」
「そうするしかねえと思ったが、どうやら能力が使えなくなったみたいでな」
「え? そんなことあるんですか?」
「莉々紗ちゃんの憑霊術は本人のトラウマに基づいた能力なのよ。今回の件でそのトラウマが解消……とまではいかないけど弱まったから、能力が上手く発動できないみたい」
「本人の精神状態に能力が左右されるってのは珍しい話じゃねえ。まったく使えなくなるってのは初めて見るがな」
「へぇ〜。それじゃあ矯正施設行きは免れるってことですよね?」
「そうなるな。能力が使えないんじゃ矯正のしようもねえ」
「良かった……。いや良かったのか? 矯正施設行きが無くなったのは良かったけど能力が使えなくなったのは……」
「ううん。良いの」
ぶつぶつとひとりごちる天平に、涙を拭いながら莉々紗が言う。
「あんな力があったら、また間違えちゃうかもしれないし。能力は使えなくても霊能者ではあるから、島根支部で野津さんと一緒に禍霊から皆を守るために頑張る!」
莉々紗の言葉に、今度は野津が涙目になる。
「うん。莉々紗ちゃんなら出来るよ。俺も頑張る!」
「えへへっ!」
その後、莉々紗と野津は改めて天平たちに礼を言うと、別れの挨拶をして病室を後にした。
時刻は既に夜の十時過ぎ。
天平たち四人はソファに座り、今回の島根出張の総括を行う。
「まずはお疲れ。色々あったが、全員無事で良かったぜ。出張の目的は青駕来に憑霊術の扱いを教えた男の調査な訳だが……」
そこまで言って、喬示は純礼を見る。
「その男が運営しているという児童養護施設は既に閉園していました。代表者の名は天見逸臣。ただこの人物が青駕来に憑霊術を教えた人物かどうかは分かりません」
純礼が言うと、喬示は頷く。
「ほぼほぼ確定やろ。あの連中が根城にしてたんが、その児童養護施設やろ? 施設に寄処禍集めてたってことやんな」
「よくもまあ集めたもんだと思うがな。しかも蠱業物持ちに癲恐禍霊まで」
「蠱業物持ちゆうたら、アイツ、俺の兄貴の名前知ってましたわ」
「そうなの?」
純礼の言葉に、夏鳴太が難しい顔をして頷く。
「死んでもうたから話聞かれへんけどな」
「コマ野郎は捕まえたんだ。そいつが知ってるかもしれねえ」
「あの施設には他に誰もいなかったの?」
「ええ。でも明らかに複数の人間が生活している痕跡があったわ。他にも仲間がいるはず。それと、もう一つ気になるのは蠱業物持ちの男が言っていた……」
「禍霊の発生そのものを止める云々だろ? そんな話、俺も聞いたことないぜ」
純礼の言葉を遮るように喬示が言う。
天平が目覚める前に、莉々紗が皎に協力していた理由を聞いていたのだ。
「俺もあらへんな」
「前から気になってたんですけど、禍霊って日本以外の国にもいるんですか?」
天平の問いは喬示へ。
「いや、いない。ただ、似たような霊的存在はどの国にもいるし、それに対抗するための組織もあるがな」
「なるほど……あっ」
組織という言葉に天平があることを思い出す。
「そういえば、蠱業物持ちの奴が組織の名前を言ってました。確か……おうそって」
「おうそ? 聞いたことねえな」
「でも名前が分かれば、多少は調べようがありますね」
「天見逸臣ってのが頭なんかな」
「いや、多分違う」
夏鳴太の言葉はただのひとり言だったが、喬示が否定する。
「頭は長屋崩って奴だ。癲恐禍霊がそれっぽいこと言ってやがった」
「長屋崩……。それも聞いたことのない名ですね」
「俺はある。五年前にな」
五年前という言葉に純礼がぴくっと反応する。
それを見て、天平も気づいた。
「なんすか? 五年前って?」
「それに関しちゃ、東京に帰ってから説明してやる」
喬示はそう言って、ゆっくりと立ち上がる。
「とりあえず、今日で出張は終わりだ。天平。その身体でフライトはしんどいだろうが、本部に戻れば透流くんがぱぱっと治してくれるから我慢しろ」
「え? 君付けで呼んでるんすか?」
思わず夏鳴太がツッコむ。
「拝揖院じゃある程度歳の近い先輩は君付けで呼ぶんだよ」
「そんな某アイドル事務所みたいな感じなんですか?」
「出鱈目よ」
呆れたように純礼が言う。
「とにかく、明日朝イチで迎えに来るから。今日はもう休め」
「分かりました」
喬示に続いて純礼と夏鳴太も立ち上がり、病室を後にする。
一人残された天平は部屋に備え付けられた洗面所で歯を磨く。
うがいをして、そのまま顔を洗う。
洗面台に手を置いて、自分の顔をじっと見る。
──結局、なにが起きたのかは教えてくれなかったな。でもあの感じは多分、また暴走したんだ。
天平は今日の出来事と、夜の路地裏で純礼と出会った日の出来事を思い出す。
あの時と似たような感覚が確かにあった。
──憑霊には自我がないって隊長は言ってた。じゃあ俺が意識を失ってる間に身体を動かしてたのは誰なんだ。
天平はじっと鏡に映る自分を見る。
「……俺の中に誰がいるんだ?」
鏡に映る自分にそう問いかけても、当然答えはない。
ただ天平は鏡に映る自分が、別人のように思えた。
まるで、誰かが自分のガワを被っているような。
「……」
天平はため息を吐いて、タオルで顔を拭く。
「寝よ」
そのままベッドに入り、就寝。
その数時間後には機上の人となった。




