第四十七話『濤声』
間世の出雲市上空。
二つの水の球体が浮遊している。
「どこまで行くんだよ?」
それに乗っている喬示がうんざりした様子で言うと、彼の乗っている球体が破裂する。
「おいおい」
落下する喬示。
数十メートル以上の高さからこともなげに着地を決める。
「お前は降りてこねえのかよ」
浮遊する球体に乗ったまま、こちらを見下ろしている海石榴。
その周囲に、小さな水の球体が発生。
それが一斉に喬示に放たれる。
「おっと」
道路を駆けて回避。
「あの嬢ちゃんから離れてても能力はやっぱ使えねえか」
走りながら翳月が未だ使用できないことを確認する。
「まぁ良いか」
歩道の街灯を強引に引き抜く。
「おらよっ!」
槍投げよろしくソレを投擲。
狙いは海石榴ではなく、乗っている水の球体。
見事に命中し、破裂。
海石榴も地上に降り立つ。
「うふふふ」
不気味な笑い声を漏らす海石榴。
癲恐禍霊特有の恐怖の波動が放たれる。
常人ならば崩れ落ち、全身をガタガタと震わせながら泡を吹くだろう。
だが天平は立ったまま、髪の毛一本すら揺らさず笑みを浮かべている。
「やっぱり、良い動きするわね。それに何と言っても顔が良い」
「そりゃどうもぉ!」
一気に距離を詰め、蹴りを放つ。
それは水の壁に阻まれる。
壁を構成する水が逆巻き、数本の鞭に変わる。
「おっと」
打ちつける水の鞭を素早い動きで回避する。
「粗野なところも乙女心をくすぐられるわぁ」
「乙女って歳と見た目じゃねえだろ?」
「エイジズムとルッキズムは良くないわよぉ!」
水の鞭が破裂。
水の散弾が降り注ぐ。
「何歳でも、どんな見た目でも乙女を自称して構わない筈よ」
「随分とリベラルなこと言うじゃねえか……」
水の散弾をすべて回避し、距離を取る。
海石榴はそれに対し、水を大量に発生させけしかける。
「まぁ、でも確かに。年齢や容姿を揶揄すんのは良くねえよな。悪かったよ」
小規模な津波ともいえるソレを、建物の外壁を駆け上がって回避する。
「あら、意外と素直なのね。本格的に好きになっちゃいそうだわぁ。これが沼るってやつかしらぁ?」
「もしかしてSNSやってる?」
外壁を駆け上がりながら、ツッコむ喬示。
海石榴は巨大な水の砲弾を頭上に浮かべる。
「ただ一つ言っていいか? お前も顔が良いとか言ってるよな?」
「それを言われると弱ぁい!」
叫ぶと同時に水の砲弾を放つ。
喬示が駆け上がっていた建物を粉々にする。
「この程度じゃ死なないでしょ?」
「たりめえだろ」
「──っ!?」
数メートル前方にいたはずの喬示の声が背後から聞こえた。
驚いた海石榴がバッと振り返ると、道路を挟んで向かい側の歩道の自販機の上でヤンキー座りをした喬示がいた。
一体いつの間に。
海石榴がそう問おうとする前に、喬示が口を開く。
「水遊びじゃあ俺は殺せねえな。他になにか特技は?」
「……水遊びですってぇ?」
挑発的な喬示の言葉に青筋を立てる。
尋常ではない殺気と霊気が海石榴の全身から放たれる。
「いいわ。本気でヤッてあげる」
そう言って左手で刀印を組み、顔の前にかざす。
「"逆垂加"──"海石榴八ッ牼"」
海石榴の姿が変容していく。
身体が膨れ上がり、頭部に巨大な二本の角が生え、顔は鬼のように。
胴体は牛のようで、足は八本。
その姿は妖怪の牛鬼によく似ていた。
「良いね。殴りやすくなった」
「いつまでそんな態度でいられるかしら!?」
逆垂加により擬神と化した自分を見ても余裕の態度を崩さない喬示に迫る。
先端の尖った八本の足で地面を突き刺しながら、猛スピードで迫る。
喬示は依然として、自販機の上でヤンキー座りのまま。
「立ちなさい!」
足を振り下ろす。
それは自販機を容易く貫き破壊する。
「"弑逆礼法"・"式微神籬"」
跳躍して攻撃を回避した喬示は、そのまま上空に浮いたまま弑逆礼法を発動。
周囲一体を神殺しの結界で覆う。
そこに、海石榴が水を噴き出す。
高圧水流と呼ばれるそれは謂わば水のレーザービーム。
当たれば人体を容易く貫通するだろう。
「ふん」
喬示はそれを空を蹴って回避。
そのまま上から海石榴に飛び蹴りを喰らわせる。
「ぐうっ!? このっ!」
足を刃のように振り回し攻撃する。
しかし、ひらりひらりとかわされ掠りもしない。
逆に足を一本掴まれた。
「おらよっと!」
そのまま投げ飛ばされる。
数メートル飛んで、建物に激突。
壁にめり込む海石榴。
そこに喬示が飛び込んでくる。
「んぐぅ!? んんんんんんんんんんんんっ!」
顔面を押さえながら、建物をいくつも突き破りながら進む。
「んんんんんんんんんっ!」
「なんだってぇ? なに言ってんだか分かんねえよっ!」
顔を掴んで反転し、来た方向へ投げ飛ばす。
「ぐっ! 乙女の顔を掴むなんて!」
体勢を立て直す海石榴。
その八本の足元から水が発生。
それはどんどん水嵩を増してゆく。
「んん?」
水が喬示の足元まで達する。
波の音が不気味に響く。
「街を水浸しにして、それがなんだってんだ?」
言いながら、踏み出す喬示。
しかし次の瞬間、なにかが足を引っ張る。
「んんっ!?」
一瞬で水の中に引き込まれた喬示。
先ほどまで地面に足をつけていた筈なのに、今はなぜか水中にいる。
──どうなってやがる。
周囲を見渡す喬示。
彼の足には、植物の根がまとわりついており、これが水の中に引きずりこんだのだと分かる。
そして、その根の繋がっている先。
遥か下の水底に巨大な椿の花が咲いている。
その椿の根が伸びて、喬示を足を絡め取っているのだ。
喬示は根を解こうとするが、それより早く他の根が迫り、もう片方の足に両腕、やがては全身に絡みつく。
「うふふふふふふふっ」
水面を見つめながら笑う海石榴。
「どれだけ強くても、所詮は人間。呼吸が出来なければ、いずれ死に至るわぁ。美形は水死体になっても美形なのかしら? うふふふふふふふふふ」
海石榴の笑い事と波音が響く。
しかし直ぐに、その音はかき消された。
「なっ!?」
水面が大きな飛沫をあげて、なにかが飛び出す。
それは巨大な椿の花を持った喬示。
「おらよっ!」
喬示はそれを海石榴に叩きつける。
「くっ!」
海石榴はそれを足で斬り裂く。
「受け取ってくれよ。女は花をプレゼントされたら喜ぶんじゃねえのか?」
「人によるわねぇー!」
高圧水流のレーザーを放つ。
喬示は軽くかわし、海石榴に迫る。
「そりゃそうか。まぁ、お前は人じゃなくて禍霊だが」
軽口を叩く喬示にいくつも高圧水流のレーザーを放つ。
それは喬示には掠りもせず、建物をいくつも切断し瓦礫の山を築く。
「このっ……ぶっ!」
懐に潜り込み、顔面を思い切り蹴り飛ばす。
斜め上空に飛ぶ海石榴。
「がっ!?」
吹き飛んだ先で、なぜか自分より先にそこに飛び上がっていた喬示にダブルスレッジハンマーで叩き落とされる。
ちょうど真下には十階建てのホテル。
十ある階層のすべてをぶち抜いて、一階まで落ちる。
「な……なんて身体能力してるのよ……うっ!?」
またしてもいつの間にか喬示がいる。
喬示は両手で海石榴の二本の角を掴み振り回す。
「あああああああ」
ぐるぐると高速で振り回される海石榴。
「そらっ!」
「ああああああああああああああっ!」
そして投げ飛ばされる。
「どうせまた何故か先にいるんでしょお!?」
「御名答ぉ!」
「ぶへらっ!」
またまた先回りしている喬示に蹴り飛ばされる。
その後も何度も何度も殴り飛ばされ蹴り飛ばされる。
無論、海石榴とて無抵抗にやられ続けているわけではない。
殴り飛ばされ蹴り飛ばされながらも、高圧水流のレーザーを放って反撃している。
しかし、鉄筋コンクリート造の建物も容易く両断するその攻撃は喬示に掠りすらしない。
「なんなの……なんなのよアンタぁっ!」
憑霊術が使えない状態の相手に、擬神と化した癲恐禍霊の自分が手も足も出ずに圧倒されている。
その状況が海石榴には理解できない。
「ふぅ……ふぅ……ふぅ」
連撃から解放される海石榴。
彼女は自身の身体が小刻みに震えていることに気づいた。
「まさか……恐怖しているというの? 癲恐禍霊である私が! 恐怖を与える側の存在である私がぁーっ!」
絶叫する海石榴。
それに呼応するように水面が揺れる。
「おいおい」
それはやがて巨大な津波と化す。
「死になさい!」
天を摩するほどに巨大な津波が喬示を襲う。
「お?」
そのタイミングで喬示の力が戻る。
莉々紗が敗北したのか、なにか他の事情か。
それは喬示には分からないが、確かに彼の翳月を封じ込めていた力が消えた。
それを示すように、喬示の全身を黒い靄が包んでいる。
「ちょうど良いタイミングだったな」
津波が喬示を呑み込む。
建物という建物をすべて押し流し、都市一つを文字通り壊滅させる攻撃。
その只中にあって、喬示は微動だにせず傷一つもない。
彼の纏う漆黒の闇が、彼に触れる何もかもを消滅させているのだ。
「そ、そんな……」
能力の戻った喬示を見て絶望する海石榴。
能力が封じられていた時ですら手も足も出なかったのだから、能力が戻れば敗北は決定的だ。
「終わりだな」
喬示はそう言うと、両手の指で四角を作る。
いわゆる手カメラのポーズを取り、海石榴を指で作ったフレームに収める。
「"朔"」
海石榴の身体の内部から漆黒の球体が発生。
それは海石榴を内側から消し去っていく。
「ああ……」
祓除を悟った海石榴が切なげに息を漏らす。
「ごめんなさい、崩……」
この場にいない誰かの名を呼び、敗北を詫びる。
喬示はその名に聞き覚えがあった。
「崩? 長屋 崩のことか?」
「知っているの? 私の主を」
「主だぁ? 癲恐禍霊ともあろうもんが人間の手下やってんのか?」
「そうじゃないわ……崩は……」
そこまで言ったところで海石榴の全身を漆黒の球体が呑み込み消滅させる。
その球体も少し経って消える。
「長屋崩……」
それには目もくれず、喬示はそう呟く。
どこか遠くを見るような瞳には、仄暗い光が宿っていた。




