第三十五話『F』
「いや確かにジンジャーエールのジンジャーは生姜で、エールは炭酸飲料のことだけど、だからって炭酸水に生姜ぶち込んだだけじゃジンジャーエールにはならな……ん!?」
天平がハッと目を覚ますとベッドの上にいた。
「どんな寝言やねん」
「夏鳴太?」
ベッドを囲うように閉じられていたカーテンが開き、夏鳴太が現れた。
「私もいるわよ」
「純礼ちゃん!」
夏鳴太の後ろから純礼が顔を出す。
天平はベッドから起き上がり、カーテンから出る。
ここは拝揖院本部の医務室。
自身の机の椅子に座る村崎と、ソファに座る梓真と禅がいた。
「帚木く〜ん。お疲れ様〜」
「幸富隊長。俺なんでここにいるんですか?」
「寝てたところを僕が連れて来たんだよ〜」
「そうだったんですか。ありがとうございます」
「聞いたで。掛祀禍終使えるようになったんやて?」
「え? なんで知ってるんだ?」
「僕が教えたんだよ〜。帚木くんが掛祀禍終発動したあたりから見てたからね〜」
「そうなんですか?」
「危なかったら助けようと思ってたけど必要なかったね〜」
「いやあ。すでに結構ボロボロだったんで。相楽副隊長のおかげです」
「いやー。それほどでもないっすよー」
禅が照れくさそうに頭をかく。
さっき会った際には彼もボロボロだったが、今は傷一つない。
天平はそこで自分の身体も傷一つない綺麗な状態になっているのに気づいた。
「治してくださったんですね。ありがとうございます。村崎さん」
「気にするな。それが仕事だ」
机でなにやらスマホをスクロールし続けている村崎が顔も向けずに答える。
「村崎〜。勤務中にマッチングアプリは辞めなよ〜」
「俺の勤務時間は怪我人がいる時だけです。それ以外は休憩時間ですよ」
「それ局長の前でも言えるの〜?」
「言えるわけないじゃないですか。ふざけてるんですか?」
「こっちの台詞だよね〜」
以前にも聞いたようなやりとりに天平は苦笑する。
「そういえば、青駕来はどうしたんですか?」
「"異却囹"に送ったよ〜。串間兄弟もろともね〜」
「いきゃくりょう?」
「霊能犯罪者専用の監獄のことよ」
聞き慣れない言葉に首を傾げる天平に純礼が言う。
「そんなのがあるんだ」
「私も実際に行ったことはないけどね」
「蛇蝎も壊滅したし、あとはザナドゥの製造者だけだね〜」
「あ、それなら青駕来が殺したみたいです」
「マジッすか?」
「はい。本人が言ってました」
「なら青駕来の確認待ちだね〜。ともあれ帚木くんの仕事はこれで完了だよ〜。本当に助かったよ〜。お疲れ様〜」
梓真が労いの言葉をかけたのと同じタイミングで医務室の扉が開く。
入ってきたのは喬示。
「隊長。お疲れさまです」
「おうお疲れ。大手柄だったらしいじゃねえか」
天平に挨拶を返し、笑みを浮かべる。
「掛祀禍終習得したんだって? お前マジで天才なんじゃねえか」
「間違いなく天才だよね〜。今からでもうちに異動しない?」
「やめてくださいよ。うちの貴重な戦力っすよ」
「仁尋とトレードしようよ〜」
「ぜってぇイヤ」
梓真と会話をかわしながら、喬示は懐からなにかを取り出し純礼に手渡す。
「なんですか?」
「天平も純礼も夏鳴太も夏休みに入ってから働き通しだろ。明日は一日休暇にしてやる。息抜きしてこい」
そう言って、喬示はニッと笑った。
☆
翌日、天平はプールにいた。
遊園地内で夏季限定で営業される屋外プール場。
喬示にそのチケットを貰い、やって来たのだ。
「女子組遅いわ」
隣にいる夏鳴太が言う。
二人は水着姿で純礼と、もう一人の人物を待っている。
「まぁ、女の人は色々時間がかかるんだろ」
二人がそんな話をしていると、待ち人がやって来た。
「お〜い。お待たせー」
手を振りながらやって来たのは仁尋。
喬示が渡したチケットが四枚だったため、仁尋も誘うことになったのだ。
仁尋から少し遅れて、純礼もやって来る。
言うまでもなく、二人とも水着姿だ。
仁尋は赤のモノキニビキニ。
純礼は白のフリルワンピース水着。
「どう? 似合ってるかなー?」
「あっ、はい! すっごく似合ってます!」
「声でかすぎやろ」
「すみーもさー、もっとセクシーなやつにすればいいのに。せっかくスタイル良いんだしぃ」
「別に普通です」
「Fカップも完全に隠れちゃって」
「ちょっと仁尋さん!」
「F!? ABCDE……F!?」
「落ち着けや」
さらっとカップ数を暴露する仁尋に詰め寄る純礼。
それに興奮を隠せない天平を諌める夏鳴太。
そんなこんなで四人はプールで遊びだした。
「人多いな〜」
「そら夏休みやしなぁ」
浮き輪に乗ってぷかぷか浮かぶ天平と夏鳴太。
仁尋は純礼を半ば無理矢理連れてスライダーに行っている。
「正直そんなプールって好きちゃうねん」
「俺も嫌いじゃないけど好きってわけでもないな〜」
くるくる回りながら、空を見上げ会話する二人。
「でもまぁ、水に浸かりながらのんびりするのは気持ちいいな」
「せやなぁ」
水に浮かびのんびりしている二人を急に大きな波が襲う。
「うわっ!?」
「ぶはっ!? なんやねん!」
浮き輪がひっくり返り、二人とも逆さまに。
すぐに体勢を整えて、波が来たほうを見ると、そこには巨大なタコの禍霊がいた。
タコ禍霊は八本の腕をうねらせ波を巻き起こす。
謎の波にプールで遊んでいる人々は困惑し、小さな子どもはちょっとしたパニック状態に。
そうやって発生した恐怖を、あのタコ禍霊は喰らっている。
「せっかくの休暇なのに!」
天平は愚痴りながらも禍仕分手を発動。
タコ禍霊を祓うべく行動する。
「行くぞ夏鳴太」
「いや無理」
「は?」
「刀持ってきてへん」
休暇だったため刀は置いてきていた夏鳴太。
刀の素体となっている禍霊と縁穢が繋がっているため、持っていない状態でも禍仕分手での移動は可能。
とは言え刀がなければ戦力にはならない。
「ひとりで気張りや」
「ったく! 明星!」
天平は憑霊術を発動。
球体をタコ禍霊に放つ。
しかしそれより早く、
「どーん!」
どこからか飛んできた仁尋がタコ禍霊を蹴り飛ばした。
「滑ってたら見えたから来たよーん」
仁尋は言いながらタコ禍霊を追撃。
「"悦背搲"」
憑霊術を発動しタコ禍霊に迫る。
しかし腕ではたき落とされる。
「あんっ♡」
ダメージが快楽に変換され喘ぐ仁尋。
一方のタコ禍霊の腕には快楽分の裂傷が刻まれる。
「仁尋さん! その格好でそれはマズいですよ!」
「なんや今の……」
目の前で起きた現象が理解できない夏鳴太に、天平が仁尋の憑霊の能力を説明する。
「なんちゅう能力やねん」
至極まっとうなリアクションを見せる夏鳴太。
その間も仁尋とタコ禍霊の戦闘は続く。
何度も腕で仁尋を叩くタコ禍霊。
それにより身体に裂傷が刻まれ続けるが、タコ禍霊の知能では因果関係を理解できない。
傷だらけになりながら、何度も腕を振るう。
「あっ♡ やっ♡ ひんっ♡」
「ちょっと仁尋さん! いい加減にしてくださいよ!」
「だ、だって、これすごっ、やんっ♡」
「ちょっと〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
「"臈闌花"」
タコ禍霊を無数の花びらが襲う。
「なにをふざけてるんですか?」
純礼が仁尋に冷たい口調で言う。
「ふざけてないよぅ」
「それと天平くん。貴方はなぜさっきから前屈みになっているの?」
今度は天平に。
口調の冷たさが増している。
「いやっ! 決してやらしい気持ちになってるわけじゃないよ! 生理現象! 生理現象だから!」
「必死過ぎやろ」
必死に弁明する天平を冷たい目で見る純礼。
ため息を吐き、タコ禍霊に向き直る。
タコ禍霊はかなりの傷を負っているが、まだまだ元気なようだ。
標的を天平に変え、腕を振るう。
「ん?」
生理現象をおさめるのに必死な天平は反応が遅れ吹き飛ばされる。
「ぐえっ!」
数メートル吹き飛びプールサイドに落下する。
ダメージはまったくなく、むしろタコ禍霊のほうが熱によるダメージを受けている。
「このくそタコが。お前のせいで純礼ちゃんにゴミを見るような目で見られたぞ」
「それは自分のせいやろ」
夏鳴太のつっこみを無視し、天平は右手で刀印を組む。
「さっさと消えろ!」
そしてそれを、顔の前にかざす。
「"掛祀禍終"──"天織鈿梭明星"」
上空に巨大なオニヒトデが顕れる。
全身をキラキラと輝かせ、棘だらけの触手をうねうねと動かす。
「うおっ。これが天平の……」
それを見た夏鳴太たち三人は一様にそれを見上げる。
明星が触手をタコ禍霊に一振り。
タコ禍霊は八本の腕すべてで迎撃するが、神威で無力化され、一撃で消え失せた。
「いや〜ほんま使えるようなったんやな〜」
「寄処禍に覚醒して二ヶ月とかでしょ? 史上最速じゃない? 凄いよね」
タコ禍霊を祓い、現世に戻った四人。
夏鳴太と仁尋の言葉に「いや〜それほどでも」と返す天平。
その後、仁尋にスライダーへと連行される夏鳴太を見送り、プールサイドに座る純礼のもとへ。
「ま、まだ怒ってる?」
隣に座り、おずおずと尋ねる天平。
「まだもなにも最初から怒ってないわ。軽蔑してるだけ」
「もっとヤバいやつじゃん!」
目を見開いて言う天平に、純礼はいたずらっぽく笑う。
「冗談よ。貴方も男の子だものね」
「いや、まぁ、そうだけど」
しばらくの間、沈黙が流れる。
気まずさはなく、むしろ居心地の良さを感じる沈黙が。
ややあって、純礼が口を開いた。
「先を越されたわね」
「え?」
「掛祀禍終。私もまだ習得してないのに」
「ご、ごめん」
「別に謝るようなことじゃないわ」
純礼がクスッと笑う。
「前なら焦ってたと思う。自分より遥かに後に寄処禍になった人に追い越されちゃったら。でも頼りあって助けあうんだものね?」
「そうだよ。競い合ってるわけじゃないし」
天平も純礼に微笑みを返す。
しかし謎の引力により胸元に視線が引き寄せられる。
「私刑人はどうだったの? 強かった?」
「え? Fカップがなに? 痛ぁ!」
強かったをFカップに聞き間違えるというアクロバティックな思春期性を発揮した天平を、純礼はノータイムでプールに蹴り落とす。
「ちょ! 純礼ちゃーん!」
プールから飛び上がり、慌てて純礼の後を追う天平。
その後、謝罪とご機嫌取りでなんとか許して貰い、四人で休暇を楽しんだ。




