第三十四話『跪き、天を仰いで、星を見ろ』
刀印を結んだ状態で意識を極限まで集中させる。
天平はかつてないほど明星の力が増大するのを感じていた。
死に近づくことで掴んだ、憑霊術の極致。
その力の名を口にする。
「"掛祀禍終"──」
脳内に、言葉が浮かぶ。
降臨せんとする神の名が。
「──"天織鈿梭明星"」
力の奔流が巻き上がる。
五つの球体は消え去り、かわりに上空に巨大なオニヒトデが顕れた。
うねうねと動く棘に覆われた触手。
中心部にはまるで宇宙空間が広がっているような空洞がある。
全身がキラキラと光り輝き、まるでオニヒトデ型のイルミネーションのようでもある。
「死の淵で習得したか?」
上空でキラキラと光り輝く明星を見上げながら青駕来が言う。
「どれ程のものか、見せてもらおうじゃないか」
青駕来の言葉に合わせ、腐端正が動く。
手を振り上げ降ろす。
それに明星が棘だらけの触手をぶつける。
衝撃が発生するが、天平も青駕来も身じろぎひとつしない。
明星の触手と腐端正の腕が何度もぶつかり合う。
「ん?」
青駕来はふと、明星の中心部に目をやる。
宇宙空間が広がっているようなその場所にキラキラと点滅するものがある。
「星……?」
青駕来の言う通り、それは宇宙の闇に瞬く数点の星。
その中で一際大きく輝く星が二つ。
その星の一つと別の小さな星が線で結ばれる。
次の瞬間、その二つの星が位置を入れ替えた。
「なに?」
その瞬間、青駕来は腐端正の頭部から天平の目の前に移動。
すかさず天平の拳が飛ぶ。
「なんっ!?」
泥での防御も間に合わず殴り飛ばされる青駕来。
青駕来の纏う紫黒色の光は、掛祀禍終発動後に輝きを増した天平の纏う光に相殺される。
天平の拳が爛れることも、青駕来が火傷を負うこともない。
そこから再び天平の目の前に移動。
飛んでくる拳に泥の壁を作り防御を試みるが、その壁が消える。
「なにっ!?」
殴り飛ばされ、なにかに激突。
それは今しがた、自分の作った泥の壁。
いつの間にか、自分と泥の壁の位置が入れ替わっていたのだ。
「なるほど……。そういう能力か」
二度目の移動の前に青駕来は見た。
天平が石を蹴り上げ、その次の瞬間に自分が移動したのだ。
さらにその後、泥の壁とも位置が入れ替わった。
そこから、青駕来は天平の掛祀禍終の能力に気づく。
「一段階目では自分と球体のみの位置交換。二段階目ではそれ以外のものの位置交換も可能になるというわけか」
口元の血を拭いながら、青駕来が得意気に言う。
天平は肯定も否定もせず黙っているが、青駕来の言うことは当たっている。
天織鈿梭明星の能力は地上にあるすべてを宇宙空間に点在する星と対応させ、その位置を自在に入れ替えるというもの。
先ほどの三回の入れ替えのうち二回は蹴り上げた石と、一回は泥の壁と青駕来を入れ替えたのだ。
「分かったところで、どうにかなるのか?」
天平が自分と泥の壁の位置を入れ替える。
青駕来の背後に一瞬で移動し、蹴りを放つ。
「ちっ!」
泥で剣を作り、振り向きざまに振るう。
しかし次の瞬間には握られているものが剣から小さな石ころに変わる。
「ぐっ!」
そのまま腹部を蹴りつけられる。
さらにそこに、明星の触手が迫る。
「腐端正!」
腐端正に迎撃を促す。
しかし明星と位置を入れ替えられる。
そのまま触手が叩きつけられた。
「ぐっ……!」
なんとか直撃は避けた青駕来を、天平は追撃。
そこに腐端正から紫黒色の光線が放たれる。
「うおっ!」
位置交換で回避。
光線が当たった地面は泥沼になる。
「あれに当たったらやばいな」
それを見て、冷や汗を流す天平。
間髪入れず二発目が放たれる。
天平は自分と青駕来の位置を入れ替える。
それにより光線は青駕来に直撃するが、自分の憑霊の力であるためダメージはない。
「調子に乗り過ぎだ」
青駕来が言うのと同時に腐端正が八つん這いの体勢に戻る。
すると泥沼の範囲が急速に拡大。
ビルを始めとした建造物が泥沼に呑み込まれ池袋の街自体が沈んでいく。
「おっと!」
同じように呑み込まれる天平だが、自身の能力で軽々と抜け出す。
「ちょこまかと……」
青駕来が刀印を組む。
「"蓮迄溷腐端正・婆稚"」
腐端正の姿が変容する。
掛祀禍終は習得すればそこで終わりというわけではない。
力を使いこなしていくことで際限なく力を拡張していくことが可能だ。
これは蓮迄溷腐端正の拡張された力とその姿の一つ。
足と六本の腕がなくなり、だるま状態に。
さらに全身を縄で雁字搦めにされている。
「なんだ?」
明らかに戦闘向きには見えない姿に変わった腐端正を見て、困惑を隠せない天平。
すると腐端正の三つの顔の口から、紫黒色の煙が勢いよく噴射された。
その煙に触れた周囲の建物が、腐り落ちて汚泥と化していく。
「おいおい!」
それを見た天平は慌てて人差し指を天に向ける。
「"射光"」
明星の中心部の宇宙空間、そこに無数の星が煌めき──降ってくる。
「なんっ……ぐおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」
まるで流星群のように降り注ぐ無数のレーザービーム。
煙をかき消し、泥沼に無数の穴を開け、周囲に破壊を撒き散らす。
それに晒される青駕来は泥で防御するが、容易く撃ち抜かれ傷を負う。
「このっ……!」
レーザービームの降り注ぐ地帯からの脱出を試みる青駕来。
ようやく抜け出そうとした瞬間、先ほど自分が防御のために生み出した泥と位置を入れ替えられ、振り出しに戻された。
「ちぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
絶叫する青駕来。
再び右手で刀印を組む。
「"蓮迄溷腐端正・佉羅騫駄"」
腐端正の姿がまたしても変容する。
縄が消え、六本の腕が戻ってくる。
その手には先ほどまでは持っていなかった刀や槍、弓といった武器が携えられている。
変わったのは手だけではない。
足は二本から四本に増加。
馬のような下半身に変化し、さながらケンタウロスのようだ。
仏教の存在である阿修羅とギリシア神話の存在であるケンタウロス。
その奇妙なハイブリッド存在と化した腐端正は、空から降り注ぐレーザービームを己の身体ですべて受け、青駕来をかばう。
弓に矢をつがえ、上空の明星へ射出。
それは位置交換で別の場所に飛ばされる。
それを見た腐端正は猛然と駆け出す。
音が動きより遅れて聞こえ、衝撃波が発生する。
それはつまり移動速度が音速を越えているということだ。
そのまま一気に明星まで迫り、飛びかかる。
しかし、突き出す刀が触れる前に位置交換で別の場所に強制移動。
それでも腐端正はすぐさま明星へ迫る。
位置交換をできる範囲はさほど広くない。
現在の腐端正のサイズと移動速度ならばすぐに元の場所へと戻ってこられる。
「くっ……ぐあっ!?」
腐端正が明星に迫るたびに位置交換を行う天平。
そちらに意識が向きすぎて、青駕来の接近に気づくのが遅れる。
汚泥の剣で左肩を斬り裂かれた。
さほど傷は深くないが、付着した汚泥が腕に垂れてゆき、左腕が爛れる。
「そろそろ終わりにしよう」
「お前の負けでな!」
天平が強烈な光を纏った右拳を放つ。
それは泥の剣に触れると蒸発させ消し飛ばす。
「なにっ!? がっ!」
剣を失った青駕来の腹部に、爛れている左の拳を放つ。
青駕来はよろめきながらも、新たな剣を作りだし振るう。
しかし今度は石ころと入れ替えられ失い、蹴りつけられる。
「こ……のっ……!」
自由自在にあらゆるものの位置を入れ替えられる天平相手に接近戦ではまるで歯が立たない。
その事実が青駕来に重くのしかかる。
「一つ聞かせろ」
天平が不意に口を開く。
「なんで私刑なんてやってるんだ?」
青駕来の動きがぴたりと止まる。
「犯罪者を殺してまわって、それで世の中が良くなるなんて本気で思ってるのか?」
青駕来は俯いたまま、なにも答えない。
「なんとか言えよ」
「靴の中の小石だ」
ようやく青駕来が口を開く。
俯いたまま、手には剣との位置交換でやってきた小石を持っている。
「……なんだって?」
「靴の中の小石だよ。取るに足らない存在だが、放って置くには不愉快すぎる。だから、取り除かなくてはならない。僕がやっているのは、そういうことだ」
「……理解できないな」
「言ったはずだぞ。議論する気はない!」
大量の泥を発生させ、放つ。
天平の姿が消える。
なにと位置を交換したのかと青駕来が確認するより早く、答えが来た。
「腐端正?」
消えた天平と入れ替わりで腐端正が現れた。
その衝撃で青駕来はがくっと膝をつく。
さっきまで腐端正がいた場所には天平と明星。
天平の身体には明星と同じようなキラキラと光り輝く粒子が纏わりついており、彼を空に浮かべている。
「美しい……」
空に星のように浮かぶ天平を見て呟く青駕来。
次の瞬間にハッと我に返る。
──なにを。
自分の発した言葉を振り払いかき消すように頭を振る。
一方の天平は、膝をついた状態で自分を見上げる青駕来を見つめている。
「俺は人が死ぬのは止めなきゃと思うよ。それがどんな人間であれ」
「ハッ! ご立派なことだな。聖者にでもなったつもりか?」
「そうじゃない。でも、こんな力を手に入れたのはきっと、人を助けるためだ」
「違うな。世の中から不要な連中を排除するためだ」
「分かりあえそうにないな」
「今さらだ」
腐端正が弓に矢をつがえる。
その矢に膨大な泥が収束し、凝縮される。
一方の天平は、手を銃の形にして構える。
数秒間の沈黙。
そして同時に、攻撃を放つ。
明星からは光り輝く一筋の光線が。
腐端正からは紫黒色の巨大な矢が。
ぶつかり合い、押し合い、そして大爆発。
「ぐ……うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
「がっ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
池袋の街一帯を吹き飛ばす大爆発に天平と青駕来も巻き込まれる。
「ぐっ……! いってぇ……」
瓦礫を押し退け、立ち上がる天平。
全身に汚泥を浴び、酷い状態だ。
それでも身体を動かし、青駕来を探す。
ダメージで強制的に発動が解除されたのか、明星も腐端正も消えている。
「いた。よし。生きてるな」
数十メートル離れた先に倒れていた青駕来を発見。
全身に酷い火傷を負い、気も失っているが、死んではいない。
「まず幸富隊長に連絡して、それから……」
天平はふらふらとよろめき、そして倒れる。
今まで掛祀禍終発動の影響でハイになっていたが、発動が終了したことでそれも終わった。
完全に意識を失う天平。
そこに、ゆっくりとした足取りで一人の男が近づいてきた。




