第三十話『あぶく』
禅と青駕来の戦いが決着を迎える少し前。
板橋区にある蛇蝎の所有する倉庫では引っ越し作業が行われていた。
組織のトップである串間兄弟の弟──英二が拝揖院に捕まり、情報が漏洩することを恐れてのものだ。
その指揮をとるのは勿論、串間兄弟の兄である英一。
昨日からずっとこの作業にかかりきりだ。
既に新しい倉庫は用意してあるが、この倉庫にあるザナドゥは膨大で、まだ半分の移送も終わっていない。
外の自販機のそばて小休憩にコーヒーを飲んでいると、背後から足音が聞こえた。
ただの足音。
しかし妙に背筋が寒くなるような響きをしている。
串間兄は缶コーヒーを握り潰し、ゆっくりと振り向いた。
「こんばんわ〜。昨日ぶりだね〜」
現れたのは梓真。
相変わらずのニコニコ顔で近づいてくる。
「なんで……ここが……」
「君の弟くんのおかけだよ〜」
「アイツがこの場所を吐いたってのか!?」
「いやいや。彼はだんまりだったけど、こっちには情報を抜き取る手段があるからね〜」
──ちっ! 甘楽の野郎が言ってた通りってことか。
串間兄は缶コーヒーを投げ捨て、一歩踏み出す。
「それで、俺を捕まえに来たってわけか」
「そういうこと〜」
「悪いが、おとなしく捕まってやる気はねえ」
──こいつ一人なら、ぶっ殺して逃げちまえばいい。
串間兄は腰に手をやり、そこに装着していた鞭を手に取る。
「投降しなよ〜。わざわざ痛い思いすることもないって〜」
「ほざけ!」
叫び、鞭を振り上げる。
「"蛇紋"」
鞭を地面に振り下ろす。
鞭状の蛇行した亀裂が走る。
するとその亀裂が蛇に変化する。
「蛇?」
それを見て興味深そうな顔をする梓真。
串間兄はさらに地面に鞭を叩きつける。
計三回。
三つのくねくねと曲がった亀裂が地面に生じ、それらもすべて蛇に変化した。
──蛇の輪郭を作ったら、それを本物の蛇に変えられるってことかな?
「ユニークな能力だね〜」
「いつまでヘラヘラしてやがる!」
串間兄の叫びに呼応して、計四匹の蛇がシャーと威嚇音を出しながら、梓真へ飛びかかる。
「よっと」
どこに忍ばせていたのか、スーツの裾からネイルハンマーを取り出す梓真。
もちろんホームセンターなどに売っているような普通のネイルハンマーではない。
拝揖院の武具製造部門によって作られた、霊的な存在にも触れることのできる特別なネイルハンマーだ。
それを右手に握り振り回す。
釘抜きの部分で飛びかかってくる蛇を切り裂いた。
「ちっ!」
串間兄は鞭で地面を何度も何度も打つ。
それにより大量の蛇が出現し、梓真に襲いかかる。
「無駄だって〜」
それをネイルハンマーで一匹残らず八つ裂きに。
「クソが!」
また地面を鞭で打つ。
今度は亀裂の入った部分を何度も。
亀裂が大きくなり、それによって出現する蛇も比例して巨大になった。
「アナコンダって昔の映画思い出すな〜」
自身の身の丈よりはるかに大きい蛇を目の前に呑気なリアクションを取る梓真。
ネイルハンマーを一旦しまい、両手を合わせる。
「禍仕分手」
梓真と串間兄、そして大蛇が間世に転移する。
「それじゃ行くよ〜」
きょろきょろと周囲を見渡している串間兄をよそに、梓真は再びネイルハンマーを取り出し、大蛇に殴りかかる。
シャーと威嚇しながら噛みついてくる大蛇の横面を思いっきりネイルハンマーの槌の部分で殴り飛ばす。
大蛇は身体を浮かせ、輸送コンテナの山にぶち当たる。
それを見た串間兄は同じように数匹の大蛇を出現させけしかける。
「"鰭姫"」
梓真が憑霊術を発動。
大小さまざまな泡が出現し、ふよふよと漂う。
それは大蛇の頭部に接触するとパンッと音を鳴らしながら破裂。
大蛇の頭部を吹き飛ばした。
「なにっ!?」
「一度見てるよね〜?」
うろたえる串間兄の直ぐ側にも泡が。
接触する前に破裂し、その衝撃で吹き飛ばす。
「ぐおおおおっ!?」
数メートル吹き飛び壁を破って倉庫の中へ。
梓真はゆっくりとそれを追う。
「ぐっ……このっ……」
よろよろと立ち上がる串間兄。
さほど大きなダメージは見られず、まだまだ元気なようだ。
「舐めんじゃねえぞぉぉぉ!」
怒鳴りながら、やたらめったらに鞭を振り回す。
倉庫の床や天井。
無数に積み上げられている輸送コンテナ。
それら至るところに蛇行した亀裂が刻まれ、蛇に変化。
それら大量の蛇が津波のように梓真に迫る。
「こんな光景、蛇嫌いの人だったら卒倒しちゃうだろうな〜。蛇嫌いじゃなくて良かった〜」
そんな状況でも梓真は余裕だ。
負けず劣らずの大量の泡を発生させ、蛇の津波にぶつける。
当たったそばから破裂していき、次々と蛇を木っ端微塵にしていく。
「ほらほら〜。生産が追いついてないよ〜」
「ぐっ! このクソ野郎がっ!」
鞭を振り回し蛇を発生させてゆく串間兄。
しかし、それより速く泡が蛇を消し飛ばしていく。
蛇を出現させるためには鞭で亀裂を刻む必要がある串間兄と、棒立ちのままで泡を発生させられる梓真とでは、生み出すペースに大きな差がある。
やがて押し負け、破裂による衝撃で再び串間兄が吹き飛ぶ。
「ぐあっ! ぐおおおおっ!?」
輸送コンテナの山に激突。
それによって山が崩れ、上から降り注ぐ輸送コンテナに生き埋めにされる。
「クソがあああああっ!」
怒声を上げながら、力任せに輸送コンテナの山から這い出す。
肩で息をし、頭部からは出血している。
「力の差は分かったよね〜。そろそろ降参すれば〜?」
「うるせえ!」
梓真の降伏勧告をはねつける。
そして鞭を床に何度も打ちつけ、大蛇を出現させる。
「だから、そんなの通じないって〜」
「うるせえつってんだ!」
呆れた調子で言う梓真を怒鳴りつける。
そして出現した大蛇を鞭で打つ。
大蛇の身体に無数の蛇状の傷ができる。
その傷もまた蛇に変化し、大蛇から無数の蛇が生えているような姿になる。
「ヤマタノオロチどころじゃないね〜」
迫ってくる大蛇に大量の泡をぶつける。
大蛇から生えている無数の蛇が泡とともに破裂していく。
すると大蛇から生えている蛇たちが長い舌を出す。
その舌を鞭のようにしならせ、母体である大蛇を打つ。
その傷がまた蛇となり、その蛇がまた蛇を生み出す。
やがて少しずつ泡が押し負けだし、すべて破裂。
しかしまだ大蛇もそこから生えている蛇たちも健在だ。
「そのまま噛み殺してやれ!」
「そうはいかないよ〜」
梓真の前に大きな泡が出現する。
「デカいからなんだ!? 吹き飛ばそうが何匹でも増えるぜ!」
大蛇の牙が泡に触れる。
すると泡に牙が食い込む。
そのまま大蛇の頭が押し込まれ、球状だった泡が三日月のような形になる。
やがて泡が押し返し、大蛇が宙に浮く。
「は?」
ぽよーんという音とともに跳ね返された大蛇は宙に浮き、串間兄めがけて落下する。
「うおおおおっ!?」
自身の憑霊術で生み出したこの蛇で串間兄が傷つくことはないが、反射的に回避。
そこに泡が迫り、破裂。
「ぶっ!?」
衝撃波で吹き飛ぶ串間兄を梓真は追撃。
「らあっ!」
鞭で直接、梓真を攻撃する。
しかし梓真の前に漂う泡に跳ね返される。
鰭姫の生み出す泡には破裂性と弾性の二種類があり、梓真の意思で自由自在かつ瞬時に変更が可能だ。
今しがた鞭を防いだ泡を破裂性のものに変え破裂させる。
その衝撃で串間兄の手から鞭をはじき飛ばす。
「しまっ……ぶへっ!?」
間髪入れず小さな泡を複数放ち、破裂させる。
連続で衝撃波を喰らい、串間兄は膝をつく。
「とどめ行ってみよ〜」
握り拳の形をした巨大な泡が出現。
「待っ!」
それは串間兄を殴りつけるように降下。
接触した瞬間に破裂し、凄まじい衝撃が発生。
周囲の輸送コンテナがすべて吹き飛び、床を陥没させクレーターを作った。
そのクレーターの真ん中で串間兄はうつ伏せでのびている。
「はい終了〜」
それを確認した梓真は串間兄を連れて現世に帰還。
その後、拝揖院によってザナドゥも押収され、串間兄は逮捕。
それによりトップの串間兄弟を失った蛇蝎は壊滅となった。




