第二十七話『ザナドゥ』
豊島区・池袋。
東京屈指の歓楽街であるこの街にMushussuというクラブがある。
串間兄弟がオーナーを務めるクラブの一つであり、兄である串間 英一のお気に入りの店でもあった。
「なんだと!?」
そんなクラブのVIPルームでスマホを片手にした串間兄の怒声が響く。
電話の相手は部下の一人。
イベント会社に大勢駆けつけた連中の一人だ。
その部下から弟の串間英二が拝揖院の人間に敗北し身柄を確保されたと連絡が来た。
天平に伸されて、目覚めた時に串間弟が連行されるのを見て逃げ出したという。
「ちっ! あの馬鹿が!」
一方的に通話を切り、高級感溢れるソファから立ち上がる。
そして扉に向かおうとするが、不意にそれが開いた。
「こんばんわ〜」
現れたのは梓真。
その後ろには慌てた様子の店員。
「いや〜探したよ〜。いっぱいお店持ってるんだもんね〜」
「……どちらさんで?」
串間兄は店員に対し下がるように手を振りながら、梓真に言う。
「こういう者で〜す」
そう言って梓真が取り出したのは警察手帳。
無論本物ではないが、偽物とも言えない。
なぜなら実際に警視庁によって作られているから。
言うなれば存在しない警察官の手帳。
作り自体は本物なので、警官であっても見破ることは不可能だ。
「刑事さんがなんの用で?」
串間兄は元いた位置に戻り、ソファに腰を下ろす。
「またまた〜。分かってるくせに〜」
梓真はその対面に座り、ニコニコと笑顔を向ける。
「ザナドゥ。君の組織が東京での流通を仕切ってるんだよね?」
梓真の言葉に串間兄がため息を吐く。
「刑事さん。そういうのは証拠の一つでも掴んでから来てくださいよ。そうやって聞かれたところで、はいそうですなんて言う奴がいますか?」
「それもそうだね〜」
梓真は相変わらずのニコニコ顔で、口元を隠すように手で覆う。
そして小声でなにかを呟く。
すると彼の周囲に小さな泡が一つ発生した。
それはふよふよと漂い、串間兄が手に取ったグラスに接近。
次の瞬間、破裂。
それによって発生した衝撃でグラスを砕き割った。
「うおっ!?」
いきなりグラスが割れたことに串間兄は驚く。
泡の存在には気づいていないような素振りだ。
「……」
それを見ていた梓真はニコニコ顔のまま立ち上がる。
「それじゃあ今日は帰るよ〜。今度はちゃんと証拠掴んでから来るね〜」
そう言ってVIPルームを後にする。
串間兄は梓真が完全に部屋から出ていったのを確認し、舌打ちをする。
「あの野郎……。なにが警察だ。あの泡、俺らと同じ類の力だな」
串間兄には梓真が憑霊術で発生させた泡が見えていた。
それも当然で、彼も弟と同じように寄処禍なのだ。
串間兄はそのままVIPルームを出て、駐車場に向かう。
愛車の真っ赤なランボルギーニ・ウラカンに乗り込む。
咆哮のようなエンジン音を響かせながら夜の池袋を疾走。
数十分ほど走りやって来たのは、板橋区にある物流倉庫。
ここでザナドゥの製造と管理を行っている。
セキュリティを抜け、倉庫の中に入ると数人の男がいた。
黒のロングチャイナシャツを着た男が一人、それ以外は作業服を着ている。
作業服を着た男たちは全員が外国人で、跪いている者たちと、立っている者たちの二つのグループに分かれている。
そして跪いている方のグループの男たちは一様に酷い怪我を負っている。
「甘楽。なにをやってる?」
「あれ? どうしたんです。来る予定ありましたっけ」
男が串間兄に顔を向ける。
甘楽 幹彦。
ザナドゥの製造者である寄処禍だ。
「報告があってな。それよりこいつらはなんだ?」
作業服の男たちを見ながら串間兄が言う。
「彼らは新入りですよ」
「新入り?」
「ええ。そこの跪いてる彼らがザナドゥをくすねていたのでね」
「なんだと!?」
「だから処分して代わりを入れるわけです」
甘楽が跪く男たちに近づく。
「"桃華幻"」
そして憑霊術を発動。
桃色の煙が発生し、男たちはそれを吸い込む。
すると、次第に男たちの目がとろんとしていき、口がだらしなく開く。
桃華幻の能力は煙を吸い込んだ者に、その者の理想とする世界の幻を見せるというもの。
億万長者を夢見る者には、そうなった世界を。
世界平和を志す者がいれば、それが成された世界を幻として見せる。
今しがた煙を吸い込んだ男たちも、各々の理想や夢や願望の叶った世界を幻として見ている。
そしてその世界を受け入れてしまうと、
「か……あっ……ああっ」
男たちの身体が全身桃色に染まっていく。
桃華幻の見せる偽りの世界を受け入れ、ここで生きていくと決めてしまえば、現実での命は失われる。
その際に、こうして身体は桃色に染まる。
「さて」
甘楽がハンマーを手に取る。
それで跪く男の膝を砕き割った。
パラパラと砕け、桃色の粉末が散らばる。
「これがザナドゥです」
その粉末を手の平に掬い、立ち尽くす男たちに見せる。
皆一様に息を呑んでそれを見つめている。
この粉末を吸い込むと、桃華幻の煙を吸い込んだ時と同じように自分にとっての理想郷の幻を見る。
ただし効果は短く、一度味わってしまえば何度も買い求めるようになる。
やがては中毒状態になり夢遊病患者のようになってしまうのだ。
「ザナドゥはこうやって、私だけが持つ特殊な力によって製造されています。貴方がたの仕事は"これ"を細かく砕いて梱包するだけ。簡単な仕事でしょう? ギャラも良い。この人たちの様におかしな真似をしなければ安全に大金を稼げます。理解出来ましたか?」
甘楽の言葉に男たちは青い顔で黙って頷く。
「よろしい。では運んで作業を始めてください」
男たちは一斉に桃色の木偶を抱え去っていく。
「落とすなよ」
串間兄は注意を飛ばしながら、甘楽に近づく。
「それで報告とは?」
殺風景な倉庫に似合わない高級感のあるリクライニングチェアに腰掛ける甘楽。
一方の串間兄は立ったままだ。
「二つある。一つはさっきクラブにある男が来た。刑事の振りをしてやがったが、俺らと同じような力を持ってやがった。あんたの言ってた拝揖院って奴らだろう」
「へえ」
「もう一つは、英二がその拝揖院らしき奴らに負けて捕まっちまったらしい」
「それは問題ですねえ」
一つ目の報告には大して興味を示さなかった甘楽だが、二つ目の報告には眉をひそめる。
「弟さんから情報が漏れる可能性があります」
「アイツは弟だぞ。俺を裏切るようなマネをするわけがねえ」
「別に裏切るとは言ってません。彼が口を割るかどうかは関係ありませんから」
「どういう意味だ?」
「拝揖院には私たちのような特殊な力を持った者が大勢いるはずです。その中には例えば相手の思考を読むとか、嘘を見破るとか、そういう力を持つ者がいるかもしれません」
甘楽の言葉を串間兄は黙って聞いている。
「そうなれば黙秘しようがなにをしようが意味ありません。もちろんこれは仮定の話ですが可能性は高いですよ。私も似たようなことはできます。桃華幻の応用で擬似的な洗脳をするんです。それで名古屋の拝揖院支部の職員から情報を引き出したんですよ。まぁ、大した情報じゃありませんでしたがね」
「ならどうする?」
「まずこの場所は破棄して、他に移るべきでしょうね。弟さんの知らない場所に」
「……手配する」
「お願いしますよ」
甘楽はそう言って立ち上がり、出口へ向かう。
「何処へ行く」
「食事ですよ。ここにはもう戻りません。新天地へ移り終わったら連絡してください」
甘楽を手を軽く振り倉庫から出て行く。
「簡単に言ってくれる」
舌打ちをしながら言う串間兄。
これからしなければならない作業を考えれば無理もない。
しかし、やらないという選択肢もない。
この場所がバレる可能性があるからというのは勿論だが、なにより甘楽が移動させると決めたからだ。
二人はビジネスパートナーとして建前上は対等だが、ザナドゥの製造が甘楽の能力有りきである以上、そこには権力勾配が発生する。
甘楽の提案は実質、命令であり、従う他ないのだ。
──まずは在庫の移送だな。まとめて動かすのはリスクが大きすぎる。小分けにして、運び屋もルートも逐一変えて……いや、その前に新しい倉庫を見つけねえと。
これからの算段を立てながら、頭をガシガシとかく。
「たくっ。英二の野郎、手間かけさせやがって……」




