第二十五話『ニアミス』
北区・赤羽。
東京最北の繁華街であるこの街のオフィスビルにあるイベント会社が入居している。
主に芸能関係のイベントの設営を行うこの会社は、実際には蛇蝎がマネーロンダリングを行うための会社だ。
蛇蝎がダミー会社を通じてこの会社に仕事を発注し、報酬として非合法に稼いだ金を振り込む。
その非合法に稼いだ金というのは特殊詐欺や組織窃盗によるものだが、ここ最近はもっぱら違法薬物ザナドゥによるものだ。
社員も全員が蛇蝎の構成員であり、普通のサラリーマンには見えない。
そんな彼らは今、荒れ果てたオフィスで物言わぬ汚泥と化している。
「な、なんなんだ、テメェは……!?」
この会社で社長の立場にある男が叫ぶ。
目の前には一人の男。
フードを目深に被っており、顔はよく見えない。
この男がこの惨状を作り出した。
突然オフィス内に現れたかと思うと、瞬く間に社員たちを汚泥に変えていったのだ。
「ザナドゥの製造者はどこにいる?」
「ああ!?」
「聞こえなかったか?」
フードの男が言うと、周囲に紫黒色の光が発生する。
それが社長である男の足に触れると、その部分が瞬く間に腐り落ちる。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああっ!」
自分の足が汚泥になるのを目の当たりにし絶叫する。
「ザナドゥの製造者はどこにいる?」
絶叫をよそにフードの男は再び同じ質問をする。
「し、知らねえっ! ボスしか知らねえよっ!」
激痛に耐え、涙と鼻水を流しながら答える。
先ほどのような対応をすれば、次は全身が汚泥になると馬鹿でも分かる。
「なら、そのボスはどこにいる?」
「それも知らねえっ! 本当だ! ボスがどこにいるかなんて俺みたいな下っ端には分からねえよっ!」
その答えにフードの男はため息を吐く。
「そ、そうだ! 蛇蝎が経営してるクラブのどこかにいるはずだ! 全部教えてやるか……ぎゃあああああああああああああああああああああああっ!」
言葉の途中で、再び紫黒色の光を浴びせられる。
今度は全身が光に包まれ、他の者たちと同じ物言わぬ汚泥と化した。
「蛇蝎が経営してるクラブなど少し調べればすぐ分かる。どのクラブにいるかを言えよ」
フードの男は吐き捨てるように言う。
「禍仕分手」
そして手をパンと叩き、次の瞬間にはオフィスから消え去った。
☆
フードの男が去ったすぐ後、ビルの前に一台の車が停まる。
清掃会社の社用車らしきその車の扉が開き、出て来たのは天平。
彼が第四部隊へ応援に来てからまる一週間が立っていた。
その間ずっと私刑人を見つけるため、ターゲットになっている蛇蝎に関係する場所に潜り込んでいるのだ。
毎日この時間は、このビルにある蛇蝎の関連企業であるイベント会社で清掃員になりすまして過ごしている。
ビルに入り、イベント会社のオフィスへ。
インターホンを鳴らす。
いつもなら一番下っ端らしきヘラヘラした男が応対するが、反応がない。
「まさか……」
不審に思った天平は禍仕分手を発動。
間世で扉を蹴り破り侵入し、現世に戻る。
そしてオフィスに入るが、そこには複数の腐乱死体。
写真で見た汚泥と化した人間の死体だ。
「くそ! 入れ違いになったか!?」
死体をすべて確認する天平。
するとスマホの着信音が鳴る。
相手は下の車にいる補助員。
「蛇蝎のメンバーらしき者たちが大勢そちらにむかっています!」
「ええ!?」
通話アイコンをタップするなり放たれたその言葉に天平は困惑するが、直後に数人の男がオフィスに踏み入ってくる。
「なんだこりゃあ!」
「テメェがやったのかぁ!?」
「げぇっ!」
現れた男たちは一様に鉄パイプなどで武装している。
フードの男が現れた際、社員の一人が仲間に連絡を送っていたのだ。
「俺じゃない! 第一発見者です!」
「うらぁ!」
「うおっ!?」
問答無用とばかりに殴りかかってくるのをかわし、オフィスの出口を目指すが、次々と武装した男たちがなだれ込んでくる。
「何人いるんだよ!?」
一番手前の男を蹴り飛ばし、人の波を後退させる。
「禍仕分手」
間世に移動し、一気に下まで降りる。
「消えやがった!」
「ボスたちみてえに妙な力を持ってやがる!」
「やっぱりこいつがやりやがったんだ!」
それを見た男たちはさらに怒りのボルテージを上げる。
下まで降り、車まで辿りついた天平。
周囲には男たちが乗ってきたであろうワゴン車が何台も路上駐車されている。
天平は車に乗り込まず、運転席にいる補助員に報告をする。
「会社の人たちは私刑人に皆殺しにされてました。一旦戻って処理班を呼んでください」
「分かりました。君は?」
「俺はこのまま私刑人を探します。まだ近くにいるかも」
そう言って補助員と別れる。
すると男たちがビルから出てきた。
「待てこらぁ!」
「ぶっ殺してやらぁ!」
先頭を切って襲いかかってきた男を軽くいなす。
ビルからは続々と男たちが出てくる。
──禍仕分手を使って逃げてもいいけど、こんな物騒な連中を放置しとくのも気が引けるな。
天平は逃走ではなく戦闘を選択する。
民間人に対して寄処禍が憑霊術やその人間離れした身体能力を用いて危害を加えることは拝揖院の規則で厳しく禁じられている。
ただし、自衛のためであれば最低限の力の行使は許されるのだ。
「おらぁっ!」
鉄パイプを振るってくる男。
天平はそれを屈んでかわし腹に蹴りを放つ。
男は吹っ飛び、後方にいた数人の男もろとも倒れ込む。
「クソガキがあっ!」
横から挟み撃ちのように二人の男が襲いかかる。
二方向から振り下ろされる鉄パイプをそれぞれ片手で掴む。
「うおっ!」
「なんっ……!」
そのまま引っ張り持ち上げ、空中で二人の男をぶつける。
天平が見せる人間離れした力に男たちは一瞬だけ怯むが、自分たちを奮い立たせるように怒鳴りながら向かってくる。
「ふっ!」
鉄パイプを振り上げる男の足を掬い、宙に浮かせる。
それを空手の上段蹴りで蹴り飛ばす。
別の男がこれまた鉄パイプを持って突進してくる。
「よっと」
スイングされた鉄パイプを片手で受け止め掴み、男の腹を蹴り飛ばす。
そのまま奪った鉄パイプで男たちを打ち据えていく。
「なんだこのガキっ!」
手も足も出ずに蹂躙される男たちが叫ぶ。
天平は今まで喧嘩すらしたことはなかったが、寄処禍としての人間離れした身体能力と、これまでの禍霊との戦いや最近行っている喬示との特訓により普通の人間では何人がかりでも敵わない戦闘力を持っている。
「殺すっ……! マジで殺してやるよっ!」
一人の男が鉄パイプを投げ捨てバタフライナイフを取り出す。
カチャカチャと音を鳴らしグリップを開き刃を向けながら突撃してくる。
「おいおい……」
天平はナイフを持つ手を片手で弾き、ナイフを払いのける。
そして手刀打ちを顎に放つ。
手刀打ちを受けた男は失神し、糸の切れた操り人形のようにガクッと崩れ落ちる。
「おおっ! 上手くいった!」
アクション映画でよく見る技を思いつきで真似した天平だが、思いの外うまくいき
テンションが上がる。
そのままの勢いで他の男たちも打ち倒していき制圧を完了する。
「よしっ。私刑人を追うか」
天平は場を離れようとする。
しかしそこに、黒いメルセデスのセダンが突っ込んできた。
「うおおっ!」
横っ飛びで回避する天平。
素早く立ち上がり、臨戦態勢に入る。
「おいおい。全員やられてんじゃねえか」
車の扉が開き、二人の男が現れた。
「こいつ……」
天平は現れた男を見て、第四部隊の事務所で見た写真を思い出す。
現れた男の片方はその写真に写っていた。
串間 英二
蛇蝎のトップである串間兄弟。
その弟の方だ。




