裏話 第一話 味噌&醤油作り
今夜は三話投稿です
「刺身が食いたい」
ハルトは突然呟いた。
「また生魚ですか? そんな気色の悪いものよく食べようと考えますね」
ロアは眉を顰めた。西方には生魚を食べる習慣がない。そもそも食べるという発想そのものがないのだ。
「まーま、まーま、まんま」
ロアの膝元から可愛らしい声が聞こえる。レアだ。最近ようやく言葉を覚え、まーまとまんまを言えるようになった。なお、ぱーぱはまだ言えていない。ご飯以下の扱いを受けているハルトは泣いてもいい。
「はい、はい」
ロアは服をはだけさせ、胸を出す。レアはロアの乳首を加えて美味しそうに母乳を飲み始めた。
「生魚を食べるならお医者さん同伴の上で、隠れて食べてくださいね。アスマ商会の会長は生魚を食べるゲテモノ大好き野郎なんて言う噂が立ったら問題ですから」
「生魚じゃなくて刺身な。刺身には醤油が必要不可欠なんだよ」
醤油無しの刺身はお世辞にも美味しいとは言えない。一度、塩水を醤油の代替品として刺身に付けて食べたが、ただのしょっぱい生魚だった。
「というか醤油と味噌があれば日本の料理はある程度何とかなるんだよな……無いから困ってるんだが」
ハルトは腕を組み、うんうん悩む。
「さっきから豆が腐った物、豆が腐った物、何連呼してるんですか?」
ロアがドン引きしながら言った。ハルトの加護は常時発動してしまう。固有名詞は固有名詞であると意識してから言わないと、別の言葉で置き換わって聞こえてしまうのだ。
「すまん、固有名詞だ。豆が腐った物じゃなくて、醤油と味噌だ。あと腐ったじゃなくて発酵だ」
「同じじゃないですか」
「じゃあお前、チーズは牛乳が腐った物か? 違うだろ。発酵した物だろ」
「まあ、そうですけど」
人間に害があるのは腐敗。有益なら発酵。案外、言葉は適当にできている。
「美味しいんですか?」
ロアは少し興味が湧いたという顔で身を乗り出す。母乳を飲み終えたレアも、きょとんと首を傾げてハルトの方を向いた。未だに名前を憶えて貰ってないハルトはチャンスとばかりに、少し張り切って答える。
「ああ。どっちもしょっぱいのは変わらないが、塩とはまったく違った味がある。西方のどの調味料にも無い味だから、もし再現できたら革命だぞ」
ハルトは胸を張って答えた。そこまで言われると、ロアも食べてみたくなる。
「へえー、どんな見た目なんですか?」
「醤油は黒い液体だ。味噌は茶色い粘土みたいな感じかな?」
「え!? 何ですか、その物体。食べれるんですか? なんだか狂気を感じます……」
ロアは再びテンションを下げた。
「いや、確かに冷静に考えてみると見た目はアレだけど旨いぞ」
「そうですか? で、どうやって作るんですか?」
「知らん」
「は?」
ハルトはロアの「何言ってるんだこいつ」という表情を見て、言い繕う。
「いや、知ってたらもう作ってるから。しょうがないだろ。お前だって日常的にチーズやパン食ってるけど、作れって言われたら作れないだろ。それと同じだよ。普段は専門の業者が作ってくれるから買うだけで良かったんだ。作る必要性なんて皆無。というか醤油と味噌を作れる奴なんてそうそういないし」
「はあ。じゃあどうするんですか」
「具体的な作り方は分からんが、材料なら分かる。試行錯誤すればいけるさ。金は腐るほどあるからな.。取り敢えず砂漠の民に大豆を頼むか」
ハルトはそう言ってアイーシャのところへ向かった。
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六か月後、砂漠の民から送られてきた大豆の山を見て、ハルトは呟く。
「思ったより時間掛かったな……」
「そりゃ、砂漠でも西方でも知られてない作物だからね。物凄く大変だったって届けてくれた人が言ってたよ」
アイーシャが苦笑いで言う。砂漠の民には頭が上がらない。
「それでどうするんですか?」
「うーん、どうしよう。何か、菌が必要なのは分かるんだが……何菌だ? そもそもどうやって菌を確保すればいいのか」
ハルトは悩む。とはいえ分からない物は分からないのだが。
「そうか、にがりだ! ……あれ? にがりって菌なのか?そもそもあれは豆腐だったのような…… ああ、もう分からん! 取り敢えず腐らせてみれば分かるだろ」
「そんなんで大丈夫なんですかね?」
ロアは不安げに呟いた。
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約二週間後、ハルトは茹でた後に放置した大豆を確認するために鍋の蓋を開ける。そしてすぐに閉めた。
「どうでしたか? まあ隙間から漂う異臭からある程度察せられますが」
「普通に腐ってるな。やっぱしダメだ。まあ失敗は成功の元って言うし、何とかなるだろ」
早急に味噌、醤油がなければ死ぬということはない。気長にやればいいのだ。
「次は塩を入れて腐らせよう。味付けは塩で間違いないはずだからな」
ハルトはそう言って準備に取り掛かった。
約二週間経過。
「やっぱしダメか」
「そりゃ、塩入れただけですし。こんなんで完成しないでしょ。やっぱり菌が必要なんですよ。心当たりはありますか?」
「といってもなあ……」
分からないものは分からない。それは真理だ。
「はあ、分からん。やっぱり俺には無理なのか……」
エジソンも言ったではないか。発明はどんなに努力しても閃きがないと意味ないと。
「利用するのなら、物凄い身近なところにある食材の菌だと思うんです。何かないですか?」
ロアに言われ、ハルトは頭を捻る。日本人にとって一番身近な食材。それは……
「そうだ! 塩麹! 確かあれは原料が米だ!」
冷静に考えてみると、麹の使用用途は多岐に及ぶ。その中に醤油と味噌があったはずだ。なぜ今まで思い出せなかったのか。
「早速、米を腐らせよう!」
「腐らせる方針は変わらないんですね……」
こうして麹作りが始まった。
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二人は取り敢えず、米を腐らし、カビを取って培養を始めた。培養しないことにはどれが麹菌か分からない。
「問題はどれが麹なのか……」
「麹って言うカビは食べれるんですよね? じゃあ誰かに毒見して貰いましょう」
「そうだな。でも人だと死んだとき後味悪いからな……犬にでも食わすか」
非道ではあるが、食の発展には仕方がない犠牲だ。そもそも野良犬は危険なので死んでも誰も困らない。むしろ感謝されるだろう。ハルトは開き直った。
犬の尊い犠牲により、麹の厳選は完了した。といっても安心して食べられるかといったらそんなことはない。犬が大丈夫だからと言って人間も問題ないと判断するのは早計だ。やはり人で試さなくてはならない。
「というわけで食ってみないか? 金貨十枚やるぞ」
「え!? 金貨十枚! ……でも死ぬ危険あるんですよね? じゃあいいです」
ハルトは奴隷に頼んでみるが、全て断られる。やはり命≧金という認識はみんな変わらない。そもそもそんな大金がなくとも、ハルトの元で働いていればいつかは自由になれるので賭けに出る必要はないのだ。
「くそ。誰か金≧命の馬鹿な奴居ないかな……」
ハルトがそう呟いた時だった。
「ここに居ます、会長。俺に食わせてください!」
セリウスだった。
「いや普通の人間のデーターが欲しいのにお前みたいな非人間のデーターを集めても仕方がないだろ」
セリウスは象と相撲が取れる化け物だ。当然胃袋もそれ相応と考えた方がいい。
「いや、俺たちの加護は筋肉と五感以外には働きませんよ? 胃袋は普通の人間並みです。実際、俺は初めて帝都に来た時オリーブを使った料理の食い過ぎで腹を下しました」
要するに毒には弱いらしい。ハルトはセリウスに弱点があったことに少し安心した。
「そうか。じゃあよろしく頼む。死んだら広い食いしたことにするからよろしくな」
こうしてセリウスの協力の元、菌を三つに絞ることができた。
「三つあるんですが……どうなんですか?」
「三つとも麹なんじゃないか?」
ハルトはそう考えて、一番数が多く見た目がいい菌を採用した。
茹でた大豆に麹を入れて、塩で味付けした物を十二の陶器に入れて分ける。これを一か月ごとに開けていくのだ。そうすれば適正な発酵期間も分かる。
一か月経つごとに、大豆が少しづつ変化していく。匂いや色からして、カビているわけではないのが分かる。ハルトはついに、十二番目の陶器を開けた。
「よし、今度こそいけるはずだ。セリウス、よろしく」
「はい!」
セリウスはスプーンで掬い、舌でなめてから、一気に口の中に入れた。
「うん。いけますね!」
「そうか! でも心配だな。取り敢えず三日様子見るか」
三日経ってセリウスが死ななければ、ハルトも食べれるということだ。
三日後、セリウスは死ななかった。ハルトは恐る恐る、完成した味噌を口に運ぶ。
「おお! 味噌だ。……でも不味いな」
出来たのは確かに味噌だった。だが不味い。美味しくするには試行錯誤が必要になるだろう。
「そしてまだ醤油はできてないという……気が遠くなるなあ」
何しろここまで来るのに六年掛かってるのだ。醤油も開発し、さらに美味しくするにはまだまだ時間がかかる。
「まあまあ、気長にやればいいじゃないですか」
「そうそう。あとこれ結構おいしいね。ちょっと貰っていい?」
ロアとアイーシャはハルトを励ました。
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味噌は完成した。あとは温度や湿度の調整だけだ、次は醤油の開発だ。
「醤油は液体だ。だから塩じゃなくて塩水でやってみる」
ハルトは麹と大豆、塩水を組み合わせて発酵させた。
「これ確かに液体ですけど……水で溶いた味噌みたいですよ? 本当に別の調味料何ですか?」
完成した醤油擬きを舐めたロアが言った。冷静に考えてみれば水入れただけであんなに味に違いが出るはずがない。
「まあまあ、落ち着け。試行錯誤だ」
一度味噌が完成した余裕があり、ハルトは落ち着いていた。取り敢えず温度や湿度、麹の種類をいろいろ変えてみればいいのだ。
……そして時は流れ、味噌の完成から七年、ハルトは三十六歳になった。
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「糞、何が違うって言うんだよ……」
醤油は完成していなかった。どう頑張っても水っぽい味噌になるのだ。おそらく何かが足りないのだ。決定的な何かが。もしかしたら麹菌以外の菌が必要な可能性がある。
とはいえ、まったく進んでいないというわけではない。味噌はかなりの完成度で、十分売りに出せるレベルになって居る。子供達にも好評だ。麹も木灰を混ぜることで、麹以外のカビを殺して、麹だけを培養可能になった。米も大豆も仕入れるのが面倒なので、庭で栽培をするようになった。
「分からない……分からない……」
ハルトはぶつぶつと呟いた。
「パパ、調子はどう?」
真っ赤なルビーのような髪の美少女がハルトに声をかけた、レアだ。幸運なことに顔や髪はロア似だ。だが性格的にはハルトに似たようで、表情や行動、キレイ好きなところがそっくりだ。十四歳になり、女らしくなったことで多くの男性から熱いアプローチを受けているようだ。なぜ伝聞なのかと言うと、なかなかそう言うことを話してくれないからだ。難しい年頃なのだろう。パパとしては心配で、いろんな人に聞いて回っている。
「全然。まあいつも通りだよ。どうして完成しないのか……」
「発想を変えてみたら? 菌とか温度じゃなくて、他の材料が足りないんじゃない?」
「他の材料?」
言われてみると、大豆と塩と菌以外に必要な物があるか考えたことがない。味噌はその三つで完成してしまったので、他の材料はいらないと先入観を持っていたからだ。
ハルトは目を瞑り、醤油の瓶のラベルに書いてある原材料を思い出す。大豆以外に何が書いてあったか……何しろ大昔のことなので、いまいち覚えていない。確か……
原材料:小麦、大豆、食塩、米
「あ!」
ハルトは思わず声を上げた。そう小麦だ。小麦があった。
「どうしたの?」
突然、黙り込んでしまったハルトを見て、レアは心配そうにハルトの顔を覗き込んだ。ハルトは思わずレアに抱き付いた。
「ありがとう! さすが俺の娘。天才だ!」
「いや、ちょっと。離れて。味噌臭いから。髪を掻きまわさないで!」
レアは嬉しいような、鬱陶しいような微妙な顔でハルトを突き放した。ハルトは笑顔で言う。
「早速作ってくる!」
こうしてあっさり醤油は完成した。
ちなみに醤油が売れるレベルになるまで四年、味噌と醤油を作る大規模な施設と大豆畑と田んぼが完成するまでには五年掛かったという。




