第20話 脅し
ハルトは一瞬固まるが、すぐに取り繕う。平静を装って質問する。
「どうして砂漠の民を?そう言えば最近砂漠の民を多く見かけるが……関係あるのか?」
「さすがだな。なかなか鋭い……。複雑な事情だが……要約するぞ。」
ユージェックはそう言って話し始める。
「大体4か月前だな。アイーシャという砂漠の民の女が入国した。その女はどういうわけか滞在税を払わずに2級市民になった。たぶん金が無くなったんだろう。食い逃げをしでかしたんだ。それで一度奴隷になった。俺は政府からアイーシャを2億で買い上げた。ここまではいいな?」
ハルトは表情が外に出ないように注意しながら頷く。ハルトが頷いたのを見て、ユージェックは話を続ける。
「それで俺はアイーシャを5億ドラリアで売ろうとしたんだ。買い手もついて、さあ売ろうということころで問題が起きた。脱走したんだ。まさか鎖を噛み千切られるとは思わなかった。」
ハルトは奴隷商館の鉄でできた牢と鎖を思い返す。あんなものを噛み千切ろうとしても、普通なら歯が持たないような気がする。
「ここまではいい。俺の落ち度だからな。だがさらに状況は悪化した。あの女、砂漠の民の族長の娘だったんだ。」
ユージェックは一呼吸置いてから話を再開する。
「それが発覚したのは、アイーシャが脱走してから10日後だった。砂漠の民がやってきて、捜索願いを出してきたんだ。俺は必死になって探したが見つからなかった。仕方ないから議会に相談した結果、議員や一部の信用できる商人、傭兵、警吏で探し出すことになった。」
ユージェックはハルトを見つめて再び聞く。
「心当たりはないか?」
「すまんがない。何か分かったら連絡しよう。」
ハルトは堂々と嘘をついた。
「そうか……夜分遅くにすまなかったな。じゃあ。」
ユージェックはそういって去っていく。ユージェックが見えなくなると、ハルトはドアを締めて寝室に向かい、クローゼットを開けた。
「お前の聴力なら聞こえてただろう。事情を話してもらおうか。」
アイーシャは静かに頷いた。
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「その、実は……西側の世界を見たくて来たというのは嘘で……」
「だろうな。それで、なんでクラリスに来たんだ?」
アイーシャはオズオズと答える。
「その……結婚から逃げてきました。」
「結婚ねえ……確か族長の娘なんだよな?政略結婚っていうやつか?」
ハルトがそう聞くと、アイーシャは少し悩んでから首を横に振った。
「何人か男性を紹介されて、この中から選べって言われて。もちろん全員有力者だから政略結婚の要素もあるけど。とにかく誰でもいいから結婚しろと言われて。私はまだ結婚したくなかったんだけど、あまりにもうるさかったからそのまま……」
「家出したと」
ハルトは深いため息をついた。
「あの少しいいですか?」
ロアが手を挙げて質問する。
「さっきから何の話をしてるんですか?」
そう言えばロアはユージェックの話を聞いていない。ハルトがロアに説明してやると、ロアは目を丸くした。
「アイーシャさん族長の娘だったんですか!すごいじゃないですか!」
驚くロアにハルトは言う。
「別に驚くほどのことでもないだろ。こいつは家の方針でキリス語を習ったっていただろ。外国語を家の方針で習うなんて金持ちくらいだからな。ある程度裕福な家で生まれ育ったくらいは想像できる。」
ハルトはアイーシャに向き直る。
「そう言えば結婚にうるさいっていってたけど、お前まだ16、17くらいだろう?急ぐほどの年なのか?」
ハルトの疑問にアイーシャは答える。
「砂漠の民は大体12.13歳くらいで婚約するのが当たり前なんだよ。15くらいならみんな嫁いでる。普通の家ならまだ文句は言われないと思うけど、私は族長の娘だから……」
「なるほど。砂漠は過酷だから、早い内に結婚して子供を多く残さないといけないってことか。」
ハルトの言葉に、アイーシャは頷く。
「それで食い逃げの話は本当か?」
「ええ、まあ。本当にお腹がすいてて……。すみません。」
頭を下げるアイーシャ。ハルトは笑って返す。
「大丈夫だ。ロアなんて掏り、万引き常習犯だったからな。それに比べればかわいいもんだろ。」
ロアは何か言いたそうな顔をしたが、事実なので反論できない。
「奴隷狩りは嘘か?」
「いや奴隷狩りは言葉のあやというか……警吏は私を捕まえて奴隷に仕様としてたんだからある意味奴隷狩りといえなくないんじゃない?」
「警吏は真面目に職務を果たしてただけだろ。謝れ警吏に。」
ハルトは苦笑した。
「俺はお前を突き出すしかないんだが……恨むなよ?」
「別に恨みはしないけど……結婚を回避する方法ないかな?」
アイーシャはすがるような目でハルトとロアを見る。1か月同棲した仲なので、このまま見捨てるのも後味が悪い。
ハルトとロアは腕を組んで考える。
「合法的にクラリスにとどまる方法があればいいんだが……。」
ロアはその言葉を聞いて、目を見開いた。
「そうだ!石鹸です。石鹸を族長さんに見せればいいんです。それで石鹸を学ぶためにクラリスに留まりたいって頼めばいいんです。」
アイーシャはロアの手を取って握りしめた。
「なるほど!!石鹸は一族全体の利益になる。石鹸を学ぶにはキリス語ができないとダメだから普通の砂漠の民が行っても意味がない。ここで結婚に消極的で、キリス語に堪能な私が名乗りを上げる。ナイス、ナイスだよ、ロア!!」
アイーシャはロアの腕をぶんぶん振り回す。ロアは「千切れる、千切れるから!!やめてください!」っと悲鳴を上げる。
「さすがだなロア。俺なんてアイーシャが酒の席で酔っぱらって凄まじい痴態をさらすとか、その程度しか考えつかなかったぞ。」
「いやー、それほどでも。」
ロアは自慢げに胸を張る。
「まあ、策としては薄いがこれくらいしか手は考えつかないな。族長が石鹸を気に入らなかったら諦めて腹をくくれよ。さて、ここからは悪巧みだ。」
ハルトはにやりと悪い笑みを浮かべる。
「今回はチャンスだ。上手くいけば砂漠の民と商談ができる。最大の利益を得られるように、この話の主導権を俺たちが握るぞ。アイーシャ、ロア、協力しろ。俺たちの手でクラリスと砂漠に民の間で和平を結ばせるぞ。」
3人は3日間、策を練り続けた。
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「今回みなさんに集まっていただいたのは……お察しでしょうが、私はアイーシャを保護しています。」
ハルトはユージェック、ブランチ、アドニスを見回して言った。
ここはクラリスにある高級ホテルの一室だ。完全防音なので、密会にはもってこいの場所だ。
「なるほど。お前はあの時俺を騙していたのか。」
ユージェックが不敵に笑いながらハルトを見た。自分の陣営だと思っていた人間に騙されたのだ。いい気分ではないだろう。
「それについてはすまないと思っているよ。だがアイーシャに話を確認するまでは報告する訳にはいかなかった。何しろ彼女は奴隷狩りに追いかけられていると言っていたからな。」
ハルトの返答にユージェックは鼻を鳴らす。そして足を組み、ワインを一気に煽ってから口を開く。
「納得してやろう。それで、これはどういうことだ?分かりやすく説明してもらおうか。」
ユージェックはアドニスとブランチを見て不機嫌そうに言った。この場にアドニスとブランチが同席していることが気に食わないのだ。
ハルトは肩をすくめる。
「どういうこと?よくわからないな。クラリスと砂漠の民を左右する重要な話し合いだぞ。有力な3人の議員の方をお招きするのは当然だろう?」
ハルトが白々しく言うと、ユージェックは眉を顰める。ハルトの言い分が正しいと判断したからだ。
「そろそろいいかしら?本題に入っても?」
「そうそう、わざわざ集めたんです。こちらがアイーシャです、どうぞ。っという話ではないんでしょう?」
ブランチとアドニスはハルトを見つめて言った。ハルトは3人をもう一度見回して用件を言う。
「私を砂漠の民との交渉に加えさせていただきたい。それだけです。」
ハルトの言葉を聞いて、ユージェックは驚きで目を見開き、ブランチは興味深そうにハルトを見つめ、アドニスは面白そうに笑った。
「そんなこと条件、飲めると思うか?」
ユージェックは鋭い目つきでハルトをにらむ。ユージェックの鋭い目つきで、ハルトは一瞬怯むが、相手のペースに飲まれたら負けだと、自分を奮い立てて答える。
「飲んでもらわないと困るな。アイーシャは砂漠の民に、奴隷にされたことを言うと言っているんだ。彼女を止められるのは俺だけだよ。」
3人の顔に敵意が混じり始める。当然だ。ハルトは今、3人を脅したのだから。ここからが正念場、ハルトは加護を発動させた。
「あなた、自分が何を言ってるのか分かっているの?」(少し調子に乗って居るようね。まだ商売始めたばかりの若造が。返答次第では潰してやる。)
相当嫌われてしまったようだ。ここから巻き返す必要がある。ハルトは慎重に言葉を選ぶ。
「すまない。これではまるで俺が脅しているような形になってしまうな。ちゃんと説明しよう。」
ハルトはロアとアイーシャと考えた『言いわけ』を話す。
「アイーシャは結婚から逃げてきたんだ。このまま戻って結婚したくないと言っている。砂漠に居る限り結婚の話は彼女を付きまとう。それを避けるためにはクラリスに合法的に居続けるしかない。そのためには彼女の祖父である族長に、クラリスに居続けるメリットを提示する必要がある。つまり石鹸作りの技術を学ぶためにクラリスに滞在する。これしかないだろう。あなたたちだって俺の石鹸の価値を認めてるだろう?もっとも、そのためには和平を結ぶ必要があるし、直接俺が出向いた方がやりやすい。そういうことだ。」
まあまあ、筋が通っているはずだ。ハルトは3人の様子を見る。3人とも考え込んでいるようだ。さっきまでこの部屋を満たしていた敵意はかなり薄まっている。
「あなたのメリットは何ですか?そうまでアイーシャに協力する理由は?」(こいつは何を企んでいる?少なくともそれが分かるまでは返事がだせん。)
アドニスの質問に、ハルトは笑って答えた。
「簡単ですよ。砂漠の民の族長と専売協定を結べます。それにタダで技術を教えるつもりはありません。儲けの何割かを貰う予定です。何より砂漠の民の族長と直接話せるというところが大きいですね。」
普通の一介の商人では族長に会うことなどかなわないだろう。だが外交官という立場なら問題ない。一度話せばつながりもできる。
「なるほど。だがそう簡単に認めるわけにはいかないな。何しろお前は新参者なんだ。」(俺に利益がないとな。今回の件でだいぶ損をしたし。)
ユージェックの思考を読んで、ハルトはにやりと笑う。懐から紙を取り出して3人に見せた。
「私の考えた条約です。読んでみれば分かりますが……あなた方にも少なくない利益がありますよ。」
3人はハルトの渡した紙を見て、目を丸くした。そしてにやりと笑う。
「なるほど。よく考えてあるわね。でもどうしてここまで考えられたのかしら?」(この条約、本当に良くできているわ……。クラリスも砂漠の民もこれなら納得するだろうし、私たちもこれだけの利益を提示されたら頷かないわけにはいかない。でもこんなもの個人でできるのかしら?)
ブランチの言葉と本音の両方をハルトは答えた。
「私は東方出身なんです。だから砂漠の民の言葉も話せますし、東の事情にも詳しいんです。」
大ウソだ。実際はアイーシャに根掘り葉掘り聞いて、図書館で過去の公証記録を読んで、ロアと何度も相談したからだ。三人寄れば文殊の知恵である。
「ほう、あいつらの言葉を話せるのか。よし分かった。俺はお前を外交官として支持する。」(どうせクラリスには碌な外交官がいないしな。東の事情に詳しいとでも言えば議会も黙るだろう。それにこれなら損害を回収できる。)
「私も賛成するわ。」(反対する理由がないわね)
「私も賛成です。」(まあ、失敗しても俺に損害はないしな)
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「あーあ、疲れた。」
「お疲れ様です。」
ロアはぐったりとイスに座りこむハルトとの肩を揉む。
「首尾よく行きました?」
「ああ、完璧だ。お前とアイーシャのおかげだな。」
アイーシャは族長の娘だけあって、砂漠の民の事情に精通していた。中にはクラリスの知識人も知らないような秘密情報もあった。
「いえいえ。私は知っていただけだから。情報から形にしたのはロアで、交渉したのはハルトでしょう?」
条文の70%を作ったのはロアだ。金臭の加護は金儲け、つまり損得を計る加護だ。この加護を使えば双方の利益になるように調整することも可能だ。本人の頭がいい、ということもあるが。
「ところでどんな感じですか?半分脅す感じになっちゃいましたけど。」
「まあ、少し警戒されるようになったくらいだな。俺があいつらの既得権益を荒らさない限り大丈夫だろ。むしろあいつらの間で俺の価値が上がって都合がいい。」
今回の件で3人はますますハルトを自分の陣営に引き込もうとするだろう。ハルトがユージェックに嘘をつくことで、ハルトがまだ完全にユージェックの派閥に入っていないことを2人に示した。アドニスとブランチはハルトに近づこうとして、ユージェックはハルトをさらに引き込もうとする。大事なのは蝙蝠にならないことだ。
「モテる男はつらいな。」
「そのうち2人は男ですけどね。」
ロアは苦笑いをした。
「これに成功すれば功績ができる。議員になるのも夢じゃないな。」
砂漠の民との商売以外に、功績作りという目的もある。クラリスの議員になるのに必要なのは資産と功績だ。資産は石鹸を売り続けて築くとして、問題は功績。これはクラリスの益になる人物で、信用できるかが問われる。それを今回の講和で示すのだ。
何もハルトは政治をしたいわけではない。ただ保険が欲しいのだ。もしかしたらいつか石鹸の製法を教えるように政府に言われるかもしれない。石鹸に税金をかけられるかもしれない。そう言った厄介ごとを回避するためにある程度の政治的権力が欲しいだけだ。
「取り敢えず寝よう。疲れた。」
この日は早くに床に入った。
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ハルトの砂漠行は1週間、議会で話し合われた末に可決した。クラリス市民になって1年もたっていないような人間を大使にするなど前代未聞。議会は多いに荒れた。三派閥の頂点であるユージェック、アドニス、ブランチが周りの議員を押さえつけて、説得したことで満場一致となった。
「ハルトさんが賄賂を3人に渡したと噂になっていますよ。」
ロアが顔をしかめた。ハルトは笑って返す。
「あながち間違っていないだろう。俺が王国のスパイで、砂漠の民とクラリスの間で戦争を起こそうとしてるとかよりましだろ。」
ハルトは肩をすくめる。最近ハルトへの悪意ある噂が絶えない。まあ、当然だが。
「でも石鹸の売上はむしろ上がっています。どういうことですかね?」
「炎上商法ってやつだな。俺の噂で石鹸こともついでに広まってるんだろ。これは思わぬ収穫だったな。」
もっとも、炎上商法が有効なのは最初だけだ。味を占めた企業の多くは最終的に失敗している。今回の講和がうまくいけば丸く収まるだろうが。
「いやー、策士だねハルト。悪評も利用するなんて。そういうずる賢いところ好きだよ。」
アイーシャがへらへらと笑うと、ロアはアイーシャをにらみ、ハルトの袖をつかんだ。
「ハルトさんは私のものです。」
「俺はお前のものになった覚えはないけどな。アイーシャ、これはたまたまだぞ?」
「またまた、そんなこと言っちゃって。」
アイーシャはハルトの言葉を信じない。ハルトはいったい自分はどう思われているのか不安になる。
「何はともあれ、取り敢えず砂漠行は決まったんだ。アイーシャ、お前の祖父の人柄について教えてくれ。次は砂漠の民の交渉の準備だ。」
再び3人は三日間相談をした。
ハルトの作った条約の内容は次章。




