第76話 極限の戦場、旗の臨界
影は王都全域を覆っていた。
民の心から生まれた矛盾の塊は、街を苗床とし、無数の枝と根を張り巡らせた。
家々は歪み、影の肉壁と化し、街路は脈打つ黒い管へと変じていた。
王都そのものがひとつの巨大な怪物と化し、内部に取り残された人々の声が震え続けていた。
アリエルはその中心に立ち、刃を振るった。
紅黒金の閃光は根を断ち、枝を焼き、影の肉を切り裂いた。
だが同時に、その光は彼女の身体を削り、裂け目をさらに広げ、人から旗へと変貌させていった。
剣を掲げるだけで、存在は崩壊し続けていた。
リリアの祈りは限界を超え、声は掠れ、光は霧のように散った。
それでもその一滴の光は仲間を繋ぎ止め、戦う理由を忘れさせなかった。
カリサの炎は両拳から火流となり、大地を焦がしながら影を押し返した。
しかし焼かれた影は尽きることなく再生し、炎は絶え間ない消耗に追い詰められていた。
民は逃げ惑いながらも、なお旗を仰いだ。
助けを求める視線と、恐怖に震える視線が入り混じり、歓声と悲鳴が同時に上がる。
その揺らぎがまた影を育て、戦場をさらに歪ませた。
空を覆う闇は裂け、そこから滴る赤黒い光が雨となって落ちた。
それは影の血潮であり、王都そのものを塗り潰す兆しであった。
広場に積もったその雨が脈打ち、民の足を絡め、希望を吸い上げて影へ還していった。
アリエルは最後の力を振り絞り、刃を振り抜いた。
閃光は天へ駆け上がり、降り注ぐ闇の雨を切り裂き、戦場を一瞬だけ清めた。
だがその反動に彼女の身体は揺らぎ、手から零れる刃は霞んで見えた。
立つたびに犠牲を払い、振るうたびに存在を削る。
旗であり続けるとは、その痛みそのものを代償とする行為だった。
戦場は光と闇の拮抗に包まれ、誰も勝敗を予見できなかった。
ただ一つ確かなのは、アリエル自身がすでに極限へと至り、次の瞬間にその存在が崩れる危機にあったことだった。
民の叫び、祈り、炎、刃。
すべてが交錯しながら、王都はなお崩壊と希望の境界線に踏み止まっていた。




