42 今はいったい何の時間ですの??
「グリワム様!!!」
胸を後ろから貫かれたグリワムを見てキーラは悲鳴を上げた。
「なにをなさるの?!!おやめください!!!」
真っ青になってキーラは叫び、大聖女だった”魔女”グルニカに顔を向けた。
「おお、もちろん止めてやるとも。貴様が我のいう事を聞けばよいのだ」
「そうだ聖女キーラ。聖騎士グリワムを助けたいのなら、次期大聖女としてその体を明け渡せばよい。」
楽し気に目を細めるグルニカとそれに追従するようにキーラに言い含める大教皇。二人の顔をキーラは驚愕の表情で見やった。
「そ、そんなことで…?そんなことでグリワム様に危害を?人の命をなんだと思っていらっしゃるのですか?!!」
キーラは怒りをにじませてそう言うと立ち上がった。その右手には今生成したのか球状に揺蕩う聖水が輝いていた。
「む?!」
「なに?」
驚く二人が声を上げたときには、その聖水が串刺しにされたままのグリワムを大きく包み込んでいた。
「な?!クッ!」
ジュワっとグリワムを貫いていたグルニカの腕から焼けつくような匂いと煙が上がり、グルニカは強引にそこから腕を引き抜いた。
その衝撃で、空中に浮いていたグリワムの体はキーラの聖水に包まれたままぐらりと前方へ倒れ込んだ。
それをキーラは両手で受け止めた。
「グリワム様!!」
聖水の効果かみるみるグリワムに空けられた胸の傷が塞がり、血の気のなかったグリアムの顔色が血色を帯びてくる。キーラは慎重にグリワムを床に降ろすとその顔をぺちぺちと叩いた。
「う…」
「グリワム様!!」
「…聖女、キーラ…」
閉じられていたグリワムの瞼がゆっくりと持ち上がり、その紺色の瞳にキーラの顔が映った。怒りと激しい焦りに彩られていた顔は、その瞬間安堵に崩れた。
「よ、よかったぁ…」
「聖女キーラ…?」
「あぁ、いえ、えっと、体に違和感はございますか?胸の傷は?」
そう言いながら騎士服に開いた大穴に手をやりキーラはそこを慎重に撫でた。
「な」
「え?あ!わ!ひぇ!ち、違いますわ!!これは!傷が!」
そう言ってグリワムの素肌に触れた手をバッと離した。
ーひえ、わたくし、なんてことを
真っ赤になってキーラは固まった。しかし意識をはっきりさせたグリワムはその手を持ち上げキーラをぎゅっと抱き寄せたのだった。
「きゃ」
「聖女キーラ」
ーえ?え?何?!え?なぜ??え???
突然強く抱きしめられてキーラは混乱した。グリワムの逞しい体に包まれ、その体温が体に伝わるその感覚にさらにパニックになった。が、そのままぐるりと体が反転して続いて襲ってきた衝撃に目を瞠った。
「へ?」
グリワムに包まれるようにして抱えられていたキーラはその肩口から見えた状況に呆けた声を出した。
魔女グルニカの体がおもちゃの人形のように無機質に折れ曲がっていたのだ。
「え?へ?」
「…効かんか」
「え?え?グリワム様…?」
グリワムの呟きが耳に届いてその意図を問う間もなく、キーラはグリワムに抱えられた状態でその場を移動した。魔女グルニカは不気味にグニグニと震えるとゆっくりと元の状態にもどっていっているのが見えた。
『…やっぱりこの姿はだめね…相性がよくないわ…」
そう言いながらグルニカは再び大聖女の姿に戻った。が、四肢の先は黒く色が残ってしまっていた。
「あぁ、まったく、だから限界だと言っているのに…お前たち!何をぼんやりしているの!!あの聖女と聖騎士を捕まえるのよ!!」
グルニカは壁側にいくつもたたずんでいた黒い人型に激しい檄を飛ばしたのだった。
***
「グ、グリワム様?あの、お体は…?」
キーラはグリワムに抱き上げられた状態で移動しながら問いかけた。正直この状況に全くついていけていないがとりあえず気になる事柄からつぶしていくことにした。
「あぁ。問題ない」
「そ、そうですの…ヨカッタ、デスワ…」
言いながら顔の横、騎士服からのぞくグリワムの素肌が見えてキーラは視線を外した。
ーあぁもう何なんですの?!!まって、まって、落ち着くのよキーラ=ナジェイラ!!えっと、グリワム様は無事。はい。よかったですわ!それでえっと、えっと…え?…今ってなんの時間ですの??あら?どうしてわたくしグリワム様に抱き上げられて移動してますの???
「???あの、グリワム様??」
「なんだ」
「この状況を説明していただけます??」
「今は無理だ」
「あ、はい。」
ばっさり止められてキーラが口をつぐんだ瞬間、突然前方から黒い影がいくつも向かってくるのが見えた
「あ」
っと声を出したキーラを再びグリワムは片手で抱きなおし、そのままもう一方の腕を掲げ影に向かって大量の魔力を放出した。
「ひぇ」
暴風に煽られキーラの髪がバサバサとなぶられる。しかしグリワムは止まることなくそこに突っ込み魔力のみで払えなかった影に向かって剣を振るった。
「はひぃ」
キーラは嵐のような斬撃や魔力が繰り出される中、訳も分からずグリワムの体にしがみついている事しか出来なかった。
*****
圧倒的な魔力。
大聖女グルニカの力の前にグリワムはほとんど抗うことが出来なかった。
花薗に突然現れた聖女キーラのすぐそばにいたというのに、ソレが近づき彼女を捕らえるのを防ぐ手が遅れた。
聖女キーラを守らねば
と、
その気持ちだけが暴走するように猛るばかりで冷静さを欠いた行動は、あっという間に見透かされ捕らえられた。
大聖女グルニカの姿が異形に変わる。
鱗を伴った黒い肌。
そこから滲む禍禍しい魔力にグリワムは蝕まれた。
黒一色の無音の世界で身動きも出来ず
ただ
聖女キーラへの思いや感情だけが狂ったように体内で暴れ叫ぶ。理性など水に溶ける紙よりも薄くなってしまったように、それはグリワム自身を押し流そうとしていた。
気が狂いそうだった。
その時だった。
グリワムは突然温かいものに全身を包まれた。
あたたかく
やわらかな
ちから
それはグリワムの中で暴れるものを一気に押し流し消し去ってしまった。
(ぐりわむさま)
瞼を持ち上げると光に透けるような白金の髪と
焦りを映した薄紫の目
「…聖女、キーラ…」
間近で不安げに揺れるその顔を目にしたとき、広がったのは穏やかで、温かく…そして不思議と静かな感情だけだった。
「よ、よかったぁ…」
「聖女キーラ…?」
彼女を前にしても先ほどまでの昂りに支配されていないことに気が付いてグリワムは目をすがめた。
ー感情がもどった…?
突然いつもの冷静さを取り戻している自分に気が付き、そして今の状況を判断しようと視線を動かす。
すると、聖女キーラの後ろにあの、異形の魔女、大聖女グルニカの姿を確認してグリワムは「な」と声を上げた。
それからは思考するよりも体が先に動いた。側にいた聖女キーラを引き寄せグルニカに向かって魔力を放つ。それは流れるようにスムーズにグリワムを動かした。
しかし、強烈なはずの一撃は異形の魔女にはほとんど痛痒を与えなかった。その体はグリワムの魔力で奇妙に折れ曲がっただけだった。
「…効かんか」
それなら撤退だ。
天井のあるこの場所では、例の魔力の触手で四方八方から襲われればひとたまりもない。聖女キーラの身の安全も図らなけらばならない。
そう一瞬で判断してグリワムはキーラを抱き上げると視界の端に映った出口へと駆け出したのだった。




