41 あいするおとこ
「え?グリワム様?!」
拳ほどの大きさの珠の中にグリワムの姿を見つけキーラは驚きの声を上げた。
「そう。これはお前の聖騎士。お前の聖紋が印されている大事な男なのだろ?」
「え?」
大聖女の言葉にキーラは反射的に視線を上げ、そしてその言葉が時間差で脳にしみて、キーラはぼっと顔を赤らめた。
「な、な、なななな」
「口淫すれば聖紋が付けられる。まったく聖女共は昔から雄の所有欲が強い。」
「こ、ここ口淫?!!」
「しかし”愛する男”の為なら何でもする。」
「あいする?!!」
「そう、お前の愛する男の命。助けたいであろう?」
「あいするおとこ?!?!」
キーラは大聖女の言葉に完全にてんぱっていたが、大聖女は構わず言葉を続けた。
「さぁほらよく見るがいい。この中で人がどれだけ生きられると思う?お前の聖紋があるから守られると考えているのなら浅はかだ。この男はこの中ですでに半日以上浸されている。命の火はもうわずかしかないだろう」
「え?」
その言葉にキーラは顔色を変えた。
「それはどういう事ですの…?」
「この聖騎士を助けたければ素直にその体を大聖女様へ明け渡すがよい。聖女キーラ」
大聖女への問いかけは横にいた大教皇にさらわれ、そう重々しく告げられた。
「は?」
いのち?
グリワム様の命がもうわずかしかない?
そう言葉を反芻した瞬間キーラはガバッと起き上がった。そしてそのまま大聖女の手にあった黒い珠を奪い取った。
「なっ?!」
「術が!?」
驚く二人にかまわずにキーラはそれを覗き込むと「グリワム様!」と大声で叫んだ。黒い珠を持つ指先にジワリと禍禍しい魔力が触れる。たしかにこんな魔力の中に閉じ込められていれば、人の命は悪いものに蝕まれてしまうだろうと思えた。
「グリワム様?!聞こえてらっしゃいますか?!」
キーラは大きな声で再度そう呼びかけた。しかし珠の中にその声は届かないのか彼はピクリとも動かない。キーラはキッと大聖女に顔を向けた。
「解除してくださいませ。」
「何?」
「魔法か何かですのよねこれ?大聖女になる儀式になぜこのような恐ろしい魔法をグリワム様に使われたのですか?このような行為は聖女として断固見過ごせませんわ!そもそも大聖女にとお声がけ頂いたわたくしとグリワム様は何の関係もありませんのよ!!」
「は?」
「グリワム様は聖女トティータ様の聖騎士ですの!わたくしの、あ、あ、あいするおとことか、そういう…そういう関係ではございませんわ!!ただの!知り合いの聖騎士様ですのよ!!」
「はぁ?」
何を言っているんだこいつと怪訝な顔をする大聖女にかまわずキーラは続けた。
「と、とにかく!非人道的行為はおやめ下さい!わたくしが大聖女になるかならないかはこの方とは関係ありませんでしょ!!」
「だが貴様。その聖騎士は貴様の聖紋を印しておるではないか。口淫をした証。貴様の所有物としてこの雄を側にとどめておきたかったが故だろう?」
「しょ、所有物…?!」
「違ったかアーザス?」
「いいえ大聖女様。聖女は自分の気に入った聖騎士に口づけし聖紋を印します。お互いの欲が深ければその印は強く輝くとされ、この聖女キーラは聖騎士グリワム=オーダナイブを強く欲したのは明白」
「はぁ?!!」
ーな、ななななな、なんですの?!聖紋?!!初耳ですわ!!!
「ほ、ほっすてなどおりませんわ!!」
ー噛みましたわ!!
「なんだ…奇妙な聖女よな。なぜ隠す?そうすることで愛する男を守れると信じているのか?」
「だから違いますわ!!」
大聖女と大教皇が目をすがめてキーラを見るのがいたたまれない。
グリワムとの関係を変に誤解されている状況にキーラは真っ赤になって言い返していた。
グリワムの事をどう思っているのかなんて
キーラにもわからないのだ
ただ
死んでしまうと
命の火がわずかだなどと言われたらそれは…それは承服できないと
そう
それだけ
人として知り合いが命の危機にあれば助けたいと思う当然の感情だ
それだけなのだ
「まぁよい」
しかし、ふいにその言葉がキーラの耳に届いたその時、ギュとキーラの手の中の珠が魔力の密度を増した。
「え」
「正直貴様らヒトのまぐわいなどはどうでもよいのだ。聖女キーラ。この雄を助けたければその身を我に差し出せ。」
そういいながら大聖女は黒い魔力に包まれ、やがてその姿を異形へと変えていった。美しい肌は黒く、うろこ状に色が変わり、その顔立ちは女性のそれから男性のそれへ…
「な…」
たおやかな大聖女の姿はどこにもなくなり、やがてそこには禍禍しい魔力を放つ”魔”が立っていた。
「…魔、女」
魔を放つ者は女でも男でも”魔女”と呼ばれる。しかしその姿は魔女と呼ぶにはあまりにも苛烈だった。
「魔女。そう呼ばれるのはヒサシブリダ。さて、聖女よ」
そう言うと魔女はキーラの手にある黒い珠を魔力でもって奪い去ると、掲げた。
「現実味がないようだからな教えてヤロウ」
突然手の中から消えた珠にキーラが驚く間もなく、魔女のその言葉と共に珠が滲み揺らぎ霧散した。すると、そこに吊るされたような格好で宙に浮くグリワムの姿が現れたのだった。
「…!?」
グリワム様!と思わず出かかったキーラの言葉は、その時、
意識のないグリワムの胸からズブリと生えた黒い腕にかき消された。
「…ッ!」
キーラの目の前で、唐突に胸を串刺しにされたグリワムの体が衝撃で一度軽く跳ねた。「かはッ」っと小さく呼吸が爆ぜる音がして、その様からは想像できなほど静かに飛び散った赤い血が数滴、雫となって石床に落ちていくのをキーラはひどくゆっくりとした感覚で目にしたのだった。
*****
コーラ達聖女は皆祈りの間にいた。
もう一日以上、ひたすら休まずに聖水を作り続けていた。
「も、もう…いや…」
歳若い聖女が青い顔をして首を振るが、聖水瓶を手にする動きは自分の意志で止めるとが出来なくなっていた。
皆の胸元にある聖十字のクロス。そこから強制的に動かされる何かが聖女達を支配していて、からだはほとんどいうことを聞かなかった。
どうして突然こんなことになったのか誰も何もわからなかった。
ただ、あの恐ろしい大聖女様が現れて
自分たちが支配されていたことに気が付いた。
聖女達が積み上げる聖水は祈りの間の中央にある魔法陣に乗せられ消えていく。今もまた数人の聖女が聖水をそこに積むとここまでの成果が掻き消えるようにして転送されていった。
「あ、あぁ…いや、もう無理!休みたいの!出して!お願い誰かここから出して!!」
一人の聖女が瓶を握ったまま扉に向かおうとしたが、その足は少し上体を持ち上げただけで、出口へと動くことはなかった。
聖水を作り、魔法陣へ乗せる。その動作目的以外では体がいう事を聞かずなにも出来なかった。聖女達は悲鳴のような嘆き声をあちこちで上げるしかなかった。
「…家畜というのかしら」
その時一人の聖女の声が響いた。
青い顔をして瓶を手にし聖水をつくるその横顔は酷くくたびれ、いつもの美しさには深い陰りがさしていたが、それは次期大聖女と謳われていた聖女トティータ=シュールベルトだった。
「トティータさま…?」
「ふふ、そうね、家畜だわ…だからあんなに王族も上級貴族達も蔑んでいたのね…あぁ…そう。そういうこと…」
「なにを…」
トティータの側にいた聖女が不安にゆれる暗い眼で見上げてくるのをトティータは冷たく見返した。
「わたくしたち聖女は聖水を作るように飼育されていた家畜だと言いましたのよ。」
「…え?」
「あぁ、いえ、ご安心なさって、家畜は家畜でもとっても貴重な家畜よ。だからそれとわからないように豪華な牧場で管理されていたのね」
ふふふと口元を手の甲で覆って淑女らしく笑うトティータは、しかし、その穏やかな口調からは想像できないほど凄惨な雰囲気を宿していた。
「だましていた」
「ト、ティータさま?」
「えぇ…だましていた。わたくしを。このトティータ=シュールベルトを…大公家の姫であるわたくしを…」
ギリっと奥歯をかみしめる音が横にいる聖女にも響いて周りにいた皆がその様子と言葉に息をのんだ。
「そ、そんな…何をおっしゃるのですか?聖女は選ばれた存在で…だって、いずれ、聖騎士様と幸せに…ね、ねぇ?そうですわよね…?」
すぐ側にいた聖女テスが怯えたようにそう周りに問いかけるのにトティータは嘲笑の声を上げた。
「聖騎士様と幸せに?ふふ、本当に愚かね…!聖域を出た聖女がどういう暮らしをするのか知らないの?」
「え?」
「聖騎士を通して各国に買われていった聖女はせいぜい5.6年しか生きられないのよ?しかもその少ない生を聖水を作って暮らすの。あぁ、でも婚姻相手となった聖騎士とはもちろん夫婦のように交流できるらしいけど、住まいは別。それはここと同じね?ここよりも少し豪華になった家畜小屋に移って数年働いて死ぬの。それが幸せだと思うのならそれでいいのではなかしら?」
「そ、そんな、」
トティータの衝撃の暴露に、テスや周りの聖女達は戦慄き顔色を絶望に染めたがトティータは冷めた目を向けるだけだった。
「…そんなの知っていましたわ」
だが、そこから離れた場所に一人座っていた聖女コーラは、聖水を生成しながら顔を上げずにそう呟いた。
「だから…わたくしはコカソリュンに嫁ぎたかった。…他よりも良い条件でしたもの…」
「…え?コーラ様…」
「…だって…仕方ないわ。聖女だって選ばれても、あたしはただの平民の娘だもの…たまたまその話を聞いて驚いたけど…どうにか出来ることじゃなかった。それなら精一杯いい環境に自分を置くように努力するだけ…」
「…コーラ様」
「でも、だからって…だからってこんなのは…」
ぽつりぽつりと呟くように言葉をこぼしていた聖女コーラは、しかしその時、持っていた聖水瓶を強く、グッと握りしめ
顔を持ち上げた。
「受け入れられませんわ」




