37 これはなぁに?
グリワムは大聖女の前に多重防御壁を展開しながらも流れ落ちる冷や汗を止められなかった。
防御壁の向こうで柔らかな笑みを浮かべている少女のように可憐で美しい女性ー大聖女ー。しかし、グリワムにはその姿はそんなものには見えなかった。
ーばけものだ
その存在を前にして出てくるのはそんな言葉だけだった。
これが大聖女?聖女の中から選ばれた存在?聖女トティータ=シュールベルトが次に座る地位?
ーばかな。これがそんな程度のものだというのか
「グリワム!!」
その時、異変を感じて駆けつけてきたタルスルが防御壁を張り続けるグリワムの横に立ち同じように防御壁を張ろうと腕を掲げた。
「タルスル下がれ!ここは俺一人でいい!聖女らを安全な場所に!最悪花園を出てもかまわん!急げ!」
「は?、これを一人で押さえるつもりか?!無茶だろ!!」
前を見据えたまま叫ぶグリワムにタルスルは声を張り上げたその瞬間、ドッと何か棒のようなものが前方から伸びて来てタルスルの肩を貫き吹き飛ばした。
「ぐっ、ぁ!」
「!!」
「…あら?頭を狙ったのに。」
グリワムの張った多重防御壁の一部に丸い穴が空き、そこから軽やかな声がこぼれ落ちた。
「まぁ、いいわ。お前たち勝手な行動は慎んでちょうだい。ここから出るなんてもっての外。聖女は全員祈りの間に戻るのよ」
そう言うと大聖女はパンッと両手をたたいて見せた。その瞬間黒い魔力が迸りその場にいた全員を取り囲んだ。
「何?!」
聖騎士らに守られるようにして大聖女から距離を取っていた聖女達にもその黒い魔力は襲い掛かった。
「きゃあ!」
「いや!なに?!」
魔力にからめとられるようにして捕まる聖女達。それに驚いた聖騎士らがとっさに剣を突き立てるがそれは微動だにせず聖騎士らの剣を跳ね返し、逆にそこからさらに魔力が噴出し聖騎士らにも襲い掛かった。
「うわぁ!!」
「剣は無理だ!魔法を使え!!」
大聖女自身は変わらずグリワムの防御壁の内側で涼しい顔をしていたが、彼女を中心とした魔力が防御壁の届いていない後方からクラーケンの触手のように伸びていた。
その末端を攻撃する聖騎士の魔力がそこかしこで放たれ、その混乱した場の様子にグリワムは臍を噛んだ。
ー防御壁の意味がない…!
だが、だからといって防御壁を解除すればもっと直接的で大規模な攻撃が全体に及ぶのは目に見えていた。
肩を負傷したタルスルはなんとか自力で回復処置を行い、グリワムの強い指示で後方へ下がったが、防御壁に開いた穴は塞がらなかった。
「ねぇ、お前。こんな事をしても無駄だとわかっているだろう?さっさとこれを引っ込めて聖女らを渡せ」
ふいにそう語り掛けてきた大聖女にグリワムは防御壁を張ったまま目を合わせた。するとその険しい表情を見て、大聖女は困った子供に見せるようなフッと柔らかい笑みを浮かべてみせたのだった。
「別に取って食ったりはしないわ。聖域に戻して聖水を作るように指示するだけ。なにもおかしなことじゃないでしょう?聖女は聖水を作るためにいるんですもの」
そうやさしく言った大聖女に、しかしグリワムは表情を緩めることはなかった。
「…あなたは…本当に大聖女様なのか」
そうグリワムから返され、大聖女は「?」とわずかに首をかしげてみせた。
「…大聖女とは、聖女の中から選ばれる栄誉職のようなものと聞いている。しかし、今ここにいる聖女らの内の誰かが、いずれあなたのような存在になるとは…とうてい思えない。」
グリワムはそう言いつつ、険しい視線のまま防御壁にいっそう魔力を込めた。体中からギシギシと魔力が引き出され防御壁に空けられた穴がじわじわと塞がる。前面だけに展開されていた防御壁自体の幅も大きく拡張され、それと同時にグリワムの左手に印されたキーラの聖紋が輝きを増していった。
「あらそう?でも大聖女とはそういうものなのよ。わたくしは大聖女で、あの中から次の大聖女が選ばれるわ。でも…そうねぇ、お前…」
ふっと
その時大聖女の言葉が途切れて、一瞬魔力の負荷が消え去るような感覚がグリワムを襲った。
しかしすぐにドッと何十倍にも膨らんだ重力に押さえつけられるような圧力がグリワムの体全体にのしかかってきた。
「グッ」と思わず声を漏らした瞬間、聖紋を印されたグリワムの左手を真正面からつかむ大聖女の顔がすぐ側にあった。
白金と薄紫に輝くの聖女キーラの聖紋。
それを確認した大聖女はそのままニィッと口の両端を持ち上げ禍禍しい笑みを浮かべグリワムの顔を覗き込むと、言った。
「これはなぁに?」
*****
「残念ですけど。すでに皆さん死んでおられるのじゃないかしら?」
「死んで…?!」
キーラはコーラの言葉に息をのんだ。
「…え?コーラ様は皆様が死んでしまったとそうおっしゃったの?!」
「おっしゃいましたわ。」
「…そんな」
キーラは一瞬唖然と口元に手をあてたが、すぐにキリッと眉間に力を入れコーラを押しのけ花園へと続く階段へと駆け出した。
「ちょっと!キーラ様!!?」
ー何が起こっているのか確認しなければ!!
とにかく自分の目で確認しなければとキーラはコーラの静止も聞かず駆け出すと、花園へ降りる階段口に立ってそれを見た。
どす黒い
膜
なるほど確かにコーラの言うように階段の中ほどから真っ黒い壁のようなものがあり、その表面は油膜が張ったように不気味な魔力がうごめいているのが分かった。
「キーラ様!!」
後ろから追いついてきたコーラが声をかけてくるが、彼女は階段口からこちらへは決して降りて来ようとはしなかった。
ーなんなのかしらこれ。でも確かにすごく禍々しいですわ…
キーラは片手を胸元で握りしめながらゆっくり階段を下りていくとその黒い膜を観察した。そうしてぎりぎりまで近づいてみると、遠目からは黒い壁のようだったそれがうっすら透けて向こう側ががちゃんと見えている事に気が付いた。
ーあら?でもこれ普通に通り抜けられそう
キーラはそう思い、ゆっくりとそこに指先を差し入れてみると、問題なくあちら側へと入って行ったのだった。
しかしその瞬間、キーラの差し入れた手を中心にバッと何かがはじけたような閃光がほとばしり、その途端黒い膜がきれいに消え去ってしまったのだった。
「え?」
「は?!」
一瞬で雨雲が晴れるように階段をふさいでいたものが消え去り、キーラは「なんだったんですの?」と首を傾げた。
「ちょ!ちょっとキーラ様!!何?!何をなさったの?!破壊光線でも撃ちましたの?!!ドラゴン?え?ドラゴンフレイムですの?!」
「…さぁ?勝手に消えてしまったようですわ」
そう言ってキーラは振り返ると「わたくし花園に降りてみますけど、コーラ様はどうされます?」と相変わらず階段口から動こうとしないコーラに問いかけた。
「そ、え?いや…え?」
明らかに嫌そうに引いているコーラにキーラは、では、と提案した。
「それならコーラ様は聖域に戻って教会員の皆様に何があったか伝えておいてくださる?わたくしは花園の様子を見て参りますから」
「え、あ…そ、そうね…」
キーラの指示にコーラが頷いたその時だった。
”ぅわん”っと空気が震え、突然どっぷりとした闇が二人のいた空間を飲み込んだのだった。




