33 暗黒の世界
トティータは近づいてくるグリワムの手に印されているそれを目にして息をのんだ。
ーあれは何?…聖紋?…グリワムにわたくしのものではない聖紋が印されている…?
白金に薄紫。
その色だけ見れば自分のものと酷似していると言えるのかもしれない。だが
ーまったく違う
意匠の細かさ、色味の深さ、そして…輝き。トティータだからこそ遠目にもはっきりとわかるそれ
「流石トティータ様ですわ」
誰かの声がトティータの耳介を無作法に撫でた。
「ごらんになってあの光…真なる結びつきを感じてしまいますわ」
「あれを見れば聖騎士グリワム様こそが次期大聖女トティータ様の伴侶としてふさわしいのだとまざまざと見せつけられますわ…」
トティータの周りで勝手な会話が躍る。その耳障りな雑音に取り巻かれている間にもグリワムは歩を進めトティータの前へとやってきた。
周りの熱い視線がトティータとグリワムに注がれる。しかしその瞬間、パンッと乾いた衝撃音がその場に鳴り響いた。
グリワムの頬がわずかに揺れ
トティータの白い手のひらが宙を舞った。
突然の出来事に周りは息をのみ沈黙をもって二人を見た。
「なんと恥知らずなッ…!」
聖女トティータらしからぬ声音が場に響き、誰かの生唾を飲み込む音がそこに続いた。しかし、頬を打たれた男グリワムはフッと口元をゆるめただけだった。
「…それはどちらを指しておられるのか」
と、グリワムはそのままトティータを見返した。
「あなたは確かに若く、美しく、そして豊富な聖力を持つ聖女であらせられる。だが…この聖紋の色を見れば真の大聖女候補は誰であるのか…おのずと知れる。」
「!」
「私はこの聖紋の主であるあの方に求婚の儀を申し込む」
「グリワム!!」
この男は何を言っているのかとトティータはわなわなと震えた。
求婚の儀?真の大聖女候補??大聖女候補はこの私だ!他の誰でもなく!現大聖女様からも認められた唯一の聖女!トティータ=シュールベルトなのだ。
トティータの叫びにグリワムは目を細め左手に印された聖紋をかざした。
「あなたも分かっておられるはずだ。この聖紋の輝きが…自分には遠く及ばない力から来るものであるという事が。」
「!!」
トティータとグリワムの会話を見守っていたテスはその言葉に衝撃を受けた。
ートティータ様の聖紋ではない…の?!!
周りもその事に気が付いてざわざわと騒がしくなるのに、トティータとグリワムの間には張り詰めた空気が軋んでいた。一体なにが起こったのかテスには意味が分からなかった。
2人の絆は絶対だったはずだ。それなのに聖女トティータ以外の聖紋を印した聖騎士グリワムは、それを悪びれる風もなく、それどころかまるで侮辱するかのように他者の聖紋をトティータに見せつけている。
ー信じられない…
テスは衝撃を受けたまましばらく唖然としていた。
見合ったまま動かない二人に周りの時も止まったかのようだったが、しかしふっとトティータが息を吐き「…そう」と今まで聞いたことのないような冷たい声を吐き出した。
「では好きにすればよろしいわ。誰がお前に聖紋を印したのか知らないけれど道化もいいところ。お前ごときがなんと言おうともわたくしは次期大聖女。現大聖女グルニカ=ルルス様からもすでに承認されている聖女なのよ」
「何?」
その言葉にグリワムは思わずといった声を発っしトティータに向き直った。
「会ったというのか?現大聖女に?」
いつもの丁寧な口調が崩れたグリワムにトティータはわずかに眉を持ち上げたが「ええ。お会いしましたわ」と肯定した。
グリワムはそのトティータの言葉に目を見開いた。
大聖女。
その存在が語られることはあっても公に姿を現すことは決してなかった存在。
聖アルミア教国内でも秘され、どれだけコカソリュン帝国が探りを入れ、時に大聖女への謁見を求めるなどの正規の手続きを講じても応じられないと突っぱねられ、その存在がいったいどんな役割を担っているのかすら一切明確にはされておらず、もはや大聖女などというものは信仰の形式的形でしかなく、本当はそんな者は存在していないのではないかと、他の国では公然と囁かれていた存在。
ーそれに会っただと?
いや、今回、その大聖女の代替わりが行われる。との情報が出回った当初、各国はその存在が本当にいたのかという事実に驚愕した。いままでは大聖女が代替わりしているという情報すら知りえなかったのだから。
それでもだからといってその事がアルミア教国以外の国に何か関係する事なのか?と他の国はもはや特に大きな関心を払わなかった。なぜなら…
”聖女の存在は下手に触っては国を亡ぼす”からだ。
定められた距離感を誤ればどうなるか、数百年の歴史の中で各国は重々承知していた。しかもそれが”大聖女”だ。聖女に手を出すよりも悲惨な事になるだろう予測はあまりにも容易だった。
しかしコカソリュン帝国は違った。
大陸で最も古い歴史を持つ帝国には最古の記録があるのだ。
”かつてこの世には聖女などという存在はいなかった”と。
そう聞けば多くの人々は、古では聖水が得られない暗黒の世界だったのだと怯え恐怖し、いま聖女が存在する有難さを泣いて神に感謝しただろう。
しかしコカソリュンの皇帝アシーラはそうは思わなかった。そしてグリワムも同じように考えていた。
聖女がいない世界
聖水が作られない世界
それは果たして本当に暗黒の世界だったのか?
そのカギは
大聖女という存在が握っているのではないか?
そうした考えを確かめる絶好の好機が大聖女の代替わりだった。その千載一遇のチャンスに聖騎士としてここに送り込まれたグリワムだったが、しかし結局今まで具体的にその存在を探り当てることすら出来なかったのだ。
大筋的には次期大聖女候補の伴侶としてグリワムが一人教会の内側へ入り込む算段でいたが、他の聖騎士や自国のバックアップを確実に受けられる花園で、その存在を掴むことが出来ればそれに越したことはなかったのだ。
「聖女トティータ」
「きゃ!」
「大聖女とはいったい何者なのです」
気が付けばグリワムはトティータの肩を掴み迫っていた。
だがその時
突然激しい閃光が教会から迸り、あたりが一瞬闇に包まれたかと思うと、そのまま異様な魔力場がそこに形成されたのだった。




