32 ちょ、怖!!
昨日ぶりの食事にようやくお腹も膨らんで満足したキーラはコーラと共に大聖堂へ行き、朝の礼拝を終えると早速祈りの間で昨日の不足分を取り戻すべくフンフンっとリズムよく聖水を生成していた。
それを横に座った聖女コーラが目を剥いて眺めていることに気が付いてキーラは手を止めた。
「?なんですのコーラ様?」
「えぇ?なにこれバケモノ??こわ、ちょ、こわ」
低音で低く呟くような声で話してもすぐそばにいれば流石に聞こえてくる。キーラは化け物扱いにムッとして「もうボロボロではありませんでしょ」と頬を膨らませた。今朝はキーラのボロボロ姿もすっかり人並に戻っていたはずだ。
「いやいやいやいや噓でしょキーラ様なんですのこれ??この数10、20?え?50超えて?は?夢?あ、夢?!」
「夢ではありませんわ。コーラ様はちゃんと起きてらっしゃいます。おしゃべりはもうよろしいでしょ?コーラ様もきちんとお仕事なさって」
そう言いながらもキーラは手を止めず、喋りながら流れるような動作で聖水を3本生成した。
「いやこわーーーーーーーー!!!」
その瞬間コーラは絶叫した
「嘘でしょキーラ様!今!また!3本も生成しッ…!喋りながら!?!はぁ?!なんですのこれ??!!えぇ?!聖水が蟻の巣を刺激した時の蟻みたいにうじゃうじゃと噴き出してきてますわぁ!!」
「え?わたくしの聖水生成ってそんな虫的表現で表されますの?」
キーラはちょっとショックを受けた。
すでに周りには誰もない。祈りの間にいる聖女はキーラとコーラだけだった。
その時、キーラは昨日の事を思い出し、ハッとして立ち上がった。
そう、昨日のように今日もまた祈りの間に閉じ込められてしまってはかなわないと、扉が開くかどうかを先に確認しておくべきかと思い立ったのだ。
「キーラ様?」
そそそっと扉に移動するキーラと、手前に山のように並べられた聖水瓶を交互に見ながらコーラが怪訝な顔を向けてくるが、構わずキーラは祈りの間の扉をそっと押し開いた。
すると扉は何の抵抗もなく開いてキーラはほっと胸をなでおろした。
「よかったわ。今日はちゃんと開きましたわ」
そう言って扉を引いて中に戻ろうとしたその時、ドォンと外から何かがぶつかった衝撃のような振動を感じた気がした。
「?」
何かしらとキーラが顔を出しているとその背にコーラもしがみついてきた。
「なんですの?」
「さぁ?」
2人はのそのそとそのまま祈りの間から出た。すると祈りの間の外側に控えている教会員の女性達も何かを感じたようで、何事かと向こうに顔を向けていたのだった。
*****
トマ教皇は目の前に並べた3本の聖水瓶を仰々しく手前の男に見せつける。するとそれを目にして椅子に座ったままの男はごくりと喉を鳴らした。
彼は序列9位、ハポナ国の大臣だった。
「こ、これを誠に我が国にお譲りいただけるので…」
「もちろん」
そう言いながらトマ教皇は一本を手に取り聖水を光に透かすようにしてその虹色の輝きをきらめかせて見せた。
「だが、これがどれだけ貴重な物かは当然貴国も理解されていることと思う。この3本を生成するのに聖女の聖力を一体どれだけ消耗するか…」
「えぇ、えぇもちろん十二分に理解しております。聖域ではいくらか勝手は違うようですが、国では聖騎士制度にて齎された聖女が残りの生命をかけて生み出す聖水。それはわずか10本以下…その1本1本はまさに聖女の命そのもの…」
「さよう」
たった1本の聖水は教会内でも絶大な価値を持つが、仮にそこから遠く離れて大陸の端にでも齎されれば、数百、数千の民がその命と引き換えにしてもと崇める神の雫となる。
万病に効き、不死すら叶えるのでは?と囁かれる神秘の霊薬は、人のみならず不毛の地すら蘇らせ、命宿る大地へと変えることも出来るのだから。
それを3本も融通してもらえるとの話を持ち掛けられ、ハポナ国の大臣は一も二もなくトマ教皇の前へとはせ参じたのだ。
聖騎士制度に浴し序列は9位の緑級であるハポナ国だが、先年起こった大規模な洪水被害に国は大きな痛手を負っていた。
そのため今年はなんとしても多くの聖女を自国にと求めていたが、その試みは上手くいっていなかった。
そのうえ大聖女候補と言われる聖女トティータ=シュールベルトの聖騎士として聖紋を印されていた自国の聖騎士スズクが、先日聖女トティータの不興を買い、取り巻きから外されてしまった事もあり国では大きな動揺が広がっていた。
このままでは序列も下がり、ますます国の復興は危うくなると上層部は青ざめていたのだ。
しかしここで得られた意図せぬ申し出に、大臣は深く頭を下げていた。
「トマ教皇の特別なお心遣いに我が国はどのような感謝も厭いません。この温情にはできるだけの誠意をもって応えさせていただきたいと…」
「あぁ、よいよい。私もハポナ国の惨状には心を痛めておってな。だが、大臣も理解されておられるように、聖水を3本も貴国へ融通する誠意は見せてもらいたいとは思っておるのだ」
「は…それはもう…」
そう答えながら大臣はじわりと額に脂汗をにじませた。
聖水3本あれば洪水被害にあった土地を浄化でき、被害の発端となったそのものにも対処できる。その対価が安易なものであるはずがないのは国も大臣も十分に理解していた。
どんな無茶な要求をされるのか空恐ろしいほどだが、しかしギリギリまでその要求を呑む覚悟だった。
国庫の半分や貴重な芸術品。はたまた国一番の美姫と謳われ、王家や民からも強く愛されている第三王女を愛人として差し出せと言われたとしても、これを是とするようにと、大臣は国王から指示を受けていた。
聖水3本の価値は今のハポナ国にとってそれほどに重いものだった。
だが、トマ教皇からの求めは大臣にとって意外なものだった。
「その方らの国には隠密に長けた部隊がおるな?それで少し聖域に侵入してもらいたいのだ。」
「聖域…で、ございますか?」
「うむ。聖域と言っても聖女らの住む場ではないので安心されよ。聖女に取り決めなく近づけば呪いを受ける。しかし今回貴国に願いたいのは聖域の地下にあるとされる聖人部と呼ばれる場へ侵入をしてもらいたいのだ」
「は、はぁ」
「聖域内に入るまではこちらで手引きをしよう。そこから地下の聖人部に侵入し人目につかない場所にこれを置いてきてほしい。」
そう言ってトマ教皇は手のひらに収まるほどの小さな飾り箱を大臣に手渡したのだった。




