第86話 『認識阻害の石の役目』
陽射しが、館内の窓から差し込み、机に淡く影を落とす。
アコウは机に肘をつき、ぼんやりとその光を見つめていた。
「ねぇ、アコウ。やっぱりさ……ここ、落ち着くね」
「うん。理由はないけど、ずっとこうしててもいい気がする……」
そんなミコトとの静かな会話の途中。
「……カツッ」
ポケットの中に入れていたものが、ふいに床に落ちた。
机の下で音を立てたそれに、アコウは反射的に身をかがめた。
「あっ……これ……」
小さな、白い石。
くすんだ表面、でもどこか見覚えがある――そんな気がした。
「何だっけこれ……あれ? 私……この石……」
その時だった。
石が、かすかに光った。
誰にも見えないほど微弱な輝きが、まるで反応するように、アコウの指先を包み込む。
――目の前に浮かんだのは、古い図書館の記憶。
誰かの背中を尾行していた自分。
“あの司書さん、ユウに似てる気がする”とミコトに話したこと。
こっそり図書室を覗いて、スパイのように石を使って隠れたこと。
「……あれ、なんでこんな……?」
思い出したというより、“取り戻した”ような感覚だった。
でも、それ以上は出てこない。
まるでその記憶の一部だけが、ぽつんと封印から漏れ出したようだった。
アコウは、石を見つめる。
光が、ふっと消えた。
そして、その瞬間――石はただの石になった。
表面の模様も、ぬくもりも、すべてが“普通の小石”に変わっていた。
「え……ちょっと、これ……」
「どうしたの?」とミコトが覗き込んできたが、アコウは首を横に振った。
「ううん、なんでもない。ただの石だったっぽい」
「なんだー、なんかすごい顔してたよ? まさか、また変なコスプレにされる夢でも見た?」
「……さすがにそれはないでしょ」
そう言って笑うけど、胸の奥がざわついていた。
誰かを追いかけていた。
その誰かが、目の前にいる司書と重なっていたような――。
■司書席──ユウの視点
カウンター奥。
ユウは、本棚の隙間からふたりを遠くに見つめていた。
何があったのかはわからないが、アコウが床に何かを拾い、しばらくじっと動かなかったことに気づいていた。
(……気づいた?)
いや、そんなはずはない。
彼女たちに自分の記憶はない。何も、もう残っていないはず。
でも、なぜか胸の奥がざわついていた。
そしてほんの少しだけ、心のどこかで期待してしまった自分に、驚いていた。
■小さな終わりと、始まりの予感
アコウは、もう一度ただの石になったそれを見つめ、ゆっくりと手のひらで握りしめた。
「これ、……なんか終わった気がする」
何が終わったのかは、説明できない。
でも、次が始まる――そんな気配が、なぜかあった。
何も知らないまま、でも確かに何かを知っている。
記憶を失っていても、心が繋がっているものがある。
ふたりは静かに席を立ち、図書館をあとにした。
背後で、カウンター奥のユウが、小さく息を吐いた。




