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【書籍化準備中】後妻になった死体です。~一年後には棺へ戻るのでお気遣いなく~  作者: 木山花名美


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26 愚かな死体です。

 

 ◇


 翌日のお昼は、辺境伯様ではなく侍女長様が迎えに来てくださった。舗装工事現場で何か問題が発生したらしく、辺境伯様は朝早くからそちらへ向かわれているらしい。

 部屋から出ると、廊下に立派な車椅子が置かれており、「旦那様のご命令ですので」と座らされた。


 車椅子……

 自分の為に作ってくれたのかと恐縮したが、侍女長様の話では、屋敷には元々幾つか常備されているらしい。私の部屋も食堂も一階で、途中に階段はない。車椅子でも移動出来るのに、何故いつもわざわざ抱いて運んでくださるのだろう……と考えている内に、食堂に着いてしまった。


 食卓には既にハーヴェイ様とお坊っちゃまが着いていて、私を笑顔で迎えてくれる。私も座り、小人のお家作りの話に加わるも、空席の上座が寂しくて仕方なかった。

 食後のお茶を飲みながら、昨日頂いた星の魔道具の感想とお礼をハーヴェイ様に伝える。だけど頭に浮かぶのは、辺境伯様と触れた星のことばかりで。早く夜にならないかなと、忙しない鼓動を抑えていた。


 そろそろ部屋に戻ろうとした時、従者が険しい顔でやって来て、ハーヴェイ様に何かを耳打ちする。ハーヴェイ様のお顔も一瞬険しくなるけれど、すぐに笑顔を作りお坊っちゃまに言った。


「じゃあヘリオス、今日は屋根の取り付けまでを頼んだよ。叔父様はもう少しお義母様と、カーテンの刺繍のことを相談したいから」

「はいっ! 屋根だけじゃなくて、階段まで付けちゃいますね」


 ハーヴェイ様にふわふわの巻き毛を撫でられると、お坊っちゃまは得意気に笑う。元気良くお辞儀をし、スキップしながら食堂を出ていった。

 ドアが閉まるや否や、ハーヴェイ様はまた険しい顔で私へ向かう。


「……兄上が工事現場で事故に遭いました」

「事故……?」


 心臓がぞわっと冷たくなり、それ以上言葉にならない。


「地中から戦時中の兵器が大量に出てきて、それを処理している時に呪いを浴びたらしい。詳細は分かりませんが……かなり危険な状態だと」


 兵器、呪い、危険……

 断片的に残る恐ろしい言葉に、全身が震える。


 いつの間にか立ち上がっていたハーヴェイ様は、控えている従者と侍女長様に何かを指示する。彼らが動き出すのを確認すると、こちらへ来て、震えの止まらない私の手を力強く握った。


「大丈夫、兄上は大丈夫だから。少なくとも絶対に死なない」


 確信めいた口調に、余計に不安が募る。

 ……どうして? どうしてそう言い切れるの?


「私は兄上の様子を見てきますので、義姉上はヘリオスとお利口に待っ」

「連れて行ってください」


 頭ではなく、心が突き動かす。

 突き動かされるままにもう一度、


「私も一緒に連れて行ってください」

 そう、真っ直ぐに言った。


 ハーヴェイ様は、厳しい空色で私を見据える。


「……危険だ。兵器として使われる呪いの魔道具には、最悪伝染病のように人から人へと広がり、心身を蝕む物もある。現場は混乱しているし、詳細が把握出来ていない以上、安全は保障出来ない」


「覚悟の上です。私は…… “今” の私は 、辺境伯様の妻ですから」


 一度死んでいるんだもの。何も怖くない。

 ……私の知らない所で、あの人が苦しんでいる。その方がよっぽど怖いわ。


 しばらく視線を交わした後、ハーヴェイ様は私の頭にポンと手を置き、苦笑しながらため息を吐いた。


「仕方ないな……本当に」


 間もなくドアが開き、手に私の服やコートを抱えた侍女長様と、外出の身支度を整えたジュリが入って来る。ハーヴェイ様と目を合わせた侍女長様は、深く頷き、貫禄たっぷりに言った。


「奥様のお支度をさせていただきます」



 ◇


 ハーヴェイ様とジュリと私。三人乗り込んだ馬車は、こんな非常事態には似つかわしくない、明るい午後の日差しを駆けてゆく。


 ……バチが当たったのかもしれない。未来なんかない死体のくせに、明日の約束をしてしまったから……

 愚かな私のせいで、辺境伯様の大切な明日を奪ってしまったらどうしよう。


 私の残り時間と引き替えに、どうか辺境伯様をお助けください。もしお助けくださるなら、私は明日棺に戻っても構いませんから……

 本当は代わりに命を差し出せたら良いのだけど、それが出来ない自分が情けない。

 震える手をギュッと組み、一心に祈った。



 臨時の救護所となっている宿が近づくにつれ、辺りに緊張感が漂い始める。

 馬車の扉を開けた瞬間、聞こえてくる苦しそうな呻き声や叫び声。覚悟していたとはいえ、想像以上の惨状に身がすくむ。そんな私を抱き上げると、ハーヴェイ様は再度念を押した。


「絶対に傍を離れるな」



 宿の外に出て来た医師に確認した所、呪いは伝染するものではなく、最悪の事態は免れたそうだ。ただ、長年地中に埋まっていた為に、呪いが停滞し、負の作用がより強力になってしまったと言う。至近距離で呪いを浴びた人達の中でも、特に辺境伯様は症状が重いらしい。


 医師に案内され、耳を塞ぎたくなるような声が響く廊下を進む。突き当たりの部屋まで来た時、聞こえてきた声に心臓を貫かれた。


「アイネ……アイネ!」


 “アイネ”

 本当の奥様のお名前……

 ドアを開ければ、辺境伯様がベッドに横たわり、荒い息に胸を上下させながら、手を宙へ苦しげに彷徨わせている。


「駄目だ……行かないでくれ……! 行ったら……行ったら……あっ……あああ!!」


 激しく反り返り、ベッドから落ちそうになる身体を医師らが押さえ付ける。額には無数の汗の玉が浮かび、アイスブルーの瞳は見開いているのに焦点が合っていない。そこに居るのは、辺境伯様であって辺境伯様ではない気がした。


「人生の中で最も苦しかった記憶を、永遠に繰り返す呪いです。どんなに足掻いても現実には戻って来られず、心身共に消耗し……やがて死を迎えます」


「そんな……!」


「辛い記憶をお持ちの方程、症状が重いのです。他の方は治療で徐々に善くなる見込みがありますが、辺境伯様は……」


 ハーヴェイ様は私を腕からスルリと下ろし、後ろから抱え込んだ。


「大丈夫、兄上は長生きだから。大丈夫、絶対に善くなるよ、大丈夫」


 力強い言葉。だけど背中に感じるその身体は、いつもの熱を失い、小刻みに震えている。


「止めろ……! アイネは生きている……まだ生きているのに。そんな暗い所に入れるな……止めろ……止めろ!!」


 人生の中で最も苦しかった記憶。辺境伯様にとって、それは奥様が亡くなった時の記憶なのだろう。

 辺境伯様が叫ぶ度に、ハーヴェイ様は私の背中で「大丈夫……大丈夫……」とうわ言みたいに呟いては、身体を大きく震わせていた。


 医師の一人が突き飛ばされ、床にドンと尻餅をつく。


「来るな……この死神め! アイネを連れて行くな! 殺す……殺してやる!」


 穏やかな彼からは考えられない殺気立った言葉に、心臓が凍りつく。辺境伯様は別の医師も突き飛ばし、ガバッと上半身を起こすと、頭を両手で抱え唸り始めた。


 ……愛する人を失う。

 それはどれ程の哀しみなのだろう……どれ程の苦しみなのだろう。自分も幼い頃に母を亡くしたが、その記憶は霧がかっていて、ぼんやりした淡い哀しみしか残っていない。


 腰を擦り、顔をしかめながら立ち上がる医師を見て思う。

 私は痛くない……突き飛ばされても、たとえ拳で殴られても。今のこの辺境伯様以外に、痛いものなんか何もない。


 もはや巻かれていただけのハーヴェイ様の腕を簡単にすり抜け、私は苦しむ辺境伯様の元へ歩み寄った。


「……辺境伯様」


 呼び掛けると、血走った目がカッとこちらへ向く。


「お前も……お前も死神か? 私からアイネを奪うのかあ!!」


 両手で思いきり突き飛ばされるも、咄嗟にハーヴェイ様が受け止めてくださる。一瞬、左足が変な方向に曲がったけど……。ほら、大丈夫。全然痛くない。

 私はすうと呼吸を整え、光を失った昏い瞳に向き合う。


「貴方からアイネ様を奪うことなんて出来ません。死神だって、誰にだって」


「……嘘だ。嘘だ嘘だ!! アイネは冷たくなって、棺に入れられて、暗い土の中へ……。こんなに探しているのに、どこにも居ない。もう会えないじゃないか……二度と……二度と!」


 濡れた頬を、また新しい涙が流れては濡らしていく。うずくまり、泣き叫ぶ広い背中に触れれば、そこは氷みたいに冷たくて。触られている感覚がないのか、突き飛ばされることも振り払われることもない。私はお坊っちゃまからもらった自分の熱を、分け与えるように擦り続けた。



 泣き声が少し落ち着いてきた所で、勇気を出し、声を届けてみる。


「アイネ様は、ヘリオスの中にいらっしゃいますよ」

「……ヘリオス?」


 はっと上げられた顔。その昏い瞳には、微かな光が差している。柔らかで温かな、一筋の光。


「ヘリオスの中にも……貴方の中にも。アイネ様は、永遠に生き続けていますよ。貴方のお命ある限り、アイネ様は誰にも奪えません」


「私の……?」


「はい。ですから……どうかお目覚めになってください。起きて、美味しいご飯を食べて、沢山笑って、可愛いヘリオスを抱き締めてください」


「ヘリオス……ヘリオス……。可愛いんだ……あの子はすごく。賢くて……快活で……だけど寂しがりやで。顔も性格もアイネにそっくりなんだ」


 彼から溢れ出る愛に、こくこくと頷けば、そのアイスブルーは太陽みたいに輝く。

 私はただ、幸せな光に包まれながら、冷たい手を両手で握り締めた。


「……アイネ様とヘリオスと。どうか共に生きてください。どうか……どうかご自分を大切に」



 握った手から、自分の中に何かが吸い込まれていく。“よくない” のは分かるけれど、痛くも苦しくもない、実に奇妙な感覚で。

 辺境伯様の表情は和らぎ、ゆっくり瞼を閉じると、次第に穏やかな寝息を立て始めた。




「呪いが……消えている?」

「そんな馬鹿な」


 ベッドの周りに、わらわらと集まる医師達。辺境伯様の全身に手をかざしたり、話し合ったり……

 やがて、一斉に私へと振り向いた。



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