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それは蟠結がほどけるときか

蟠結はんけつ……わだかまり、固まること。



 ある程度の力のある身分の令嬢には、自然と取り巻きというものが発生するものだった。

 力ある存在ないし象徴に魅せられて自然に頭を垂れたり、はたまた獅子の威を借りる狐のように利用したり、もしくはコバンザメのようにおこぼれをちゃっかりいただくように――取り巻きは権力あるものには必ず発生する。本人が望もうが望まなくとも。

 公爵家の令嬢であるレアンドラにも、例外なく取り巻きが存在していた。

 レアンドラの取り巻きは表向きは普通でも、しかしてその実態は肉食系狩人お嬢様であった。

 彼女たちは、レアンドラを誘蛾灯に、ふらふら近寄ってきた蛾(獲物)を掠めとる、ある意味での強者だった。

 彼女たちは、レアンドラとは別の意味で「一般的な貴族令嬢」ではなかったのだ――一般的な貴族令嬢の猫を何匹も飼う肉食令嬢だったのである。

 「レアンドラさまに特攻してきた殿方をハントする」肉食系令嬢である彼女たちは、当時エドヴィンへの恋に狂っていたレアンドラとは利害の一致を見た「協力者」だった。

 彼女たちこそ、レアンドラの協力者だった。

 自分たちがハントし続けていくためにも、彼女たちはレアンドラに「無害な誘蛾灯」であり続けてもらわねばならなかった。

 万が一にも、ふらふら灯りに誘われた蛾に手を出されたら困るのだ。

 彼女たちは自分たちのためにも、レアンドラにはずっとエドヴィン一筋でいてもらわねばならなかった。

 そのために、そのためにだけに、彼女たちは動いた。

 つまりレアンドラの恋路を応援し成就させるために、「チュエーカ男爵の庶子」の情報を集めたのだ。レアンドラのためではなく、自分たちのために。

 ――結果、何もせずとも、レアンドラのもとに情報が集まってきた。

 その集まってきた情報は、一言で表せばチュエーカ男爵令嬢アーシュの醜聞にほかならなかった。

 ――普段のレアンドラならば、恋敵とはいえ相手を陥れようとはしなかった。

 ――普段のレアンドラならば、勝手に集まってきた取り巻きなど相手にしなかった。きっと「害が及ばなければ勝手におやりなさい」と放し飼いであったろう、実害が及ぶときまでは。

 ――けれども。

 この情報を得たたときのレアンドラは「普段」のレアンドラではなかった。

 この頃のレアンドラは、恋に狂い、普段通りの判断思考を、全うな判断力を徐々に失っていた。日増しに、その狂い度合いは高く深くなっていった。

 そして、ついに悪戯に――アーシュ・チュエーカに嵌められるきっかけとなる悪戯に、レアンドラは手を染めることとなる。

 レアンドラの人生を滅茶苦茶にした黒幕はアーシュ・チュエーカではあるが、こうしたきっかけを提供したのは――あの状態のレアンドラの現状維持を望んでいただろうから、そのつもりはなかっただろうが――皮肉にも取り巻きだったのである。




☆☆☆☆☆




 薫子が予期をしていなかった仲間を得て、幾日かが経った。

 ヒトタラシである面も変わらない祢々子は、薫子に接触しようとしてなかなか成功していなかった。

 ――否、接触し難いというべきか。

 近付いて、気付いた五月子に視線を向けられて一時停止状態に陥り、通りかかったクラスメートに拉致もとい回収される。そんなパターンを踏襲していた。

 それは帰宅時にも適用された。

 唯一の例外でもある登校のときは、祢々子が朝早く起きれずに薫子に接触できないらしかった。

 それでも、やはり度胸のすわった面も変わらないらしい。祢々子は何度も何度も特攻してきた。

 ――そして、ようやくというのか何というのか、週の最後の日に祢々子は突撃してきた。

 金曜日の、放課後だった。

 下校中のクラスメートたちを振り切り、ぜぇはぁと肩を激しく揺らして祢々子は薫子を見た。


「嶌川、薫子!」


 ――初めて、祢々子が薫子の名を呼んだ瞬間だった。今までは「ねぇ」「ちょっと」や、ひとりのときはあちらの言語で「レアンドラ」呼びだった。

 その些細な成長、人を名前で呼ぶという当たり前のこと(呼び捨てだが)をできたことに薫子は驚き――どうしても祢々子を生暖かい目で見てしまうのだった。


「何か?」


 気付いた五月子の睨みと声に、祢々子はゆっくりと停止しつつも、薫子と五月子の間にしっかり割り込んできた。まるで発車ギリギリで駆け込み乗車した会社員のようである。


「何かって、用があるの」


 ぷくりと祢々子は頬を緩ませた。

 何事もきっぱりと好悪を決める五月子は、薫子に祢々子が接触し始めたことに蟠りを覚えていた。

 苦手に思う相手がしょっちゅう近付いてくるわけだから、それは無理もなかった。

 五月子はそれを薫子にストレートに伝えた。祢々子の目的は薫子立ったからだ。

 そんな五月子に、薫子は苦笑いを浮かべてこう答えた。


『この間近所で色々あって。お隣さんだったから、真横の』


 薫子は五月子にそう答えた。嘘ではない。

 五月子は「色々あって」のくだりで思うところがあったのか、顔を思いきりしかめた。

 祢々子が何を言いたいのかはわからない、とも伝えたが――本当に何を言いたいのだろう。

 そう考えながら、薫子は口を開いた。


「予定くらい聞いてくれたらよかったのに。近所だし」


 薫子が軽く毒をはけば、祢々子は「ぐっ」と言葉をつまらせた。どうにも祢々子を相手にすると、言葉に毒が無意識に籠るのである。無意識に、だ。


「ぐぬぬ」


 祢々子は悔しげに呻いた。

 祢々子はやはり「あの女」らしく、アポも約束もなく突撃で会いに来る点も変わらないらしい。薫子の彼女を見る目の生暖かさ度が、さらに生温くなった。


「……進歩のない」


 薫子が思わず、アーシュ・チュエーカと初めて会った日を思い出したのも無理がないくらい、本当に全く変わっていなかった。薫子としては一番変わって欲しかったところではあった。


「ぐっ」


 祢々子は、薫子が自然に吐いた毒に再びダメージを受けた。


「リアルにぐっとかぐぬぬとか言うの、初めて見た」


 祢々子のリアクションに、くすりと五月子が小さく笑う。どうやら笑いのツボだったらしい。


「うぬぅ……」


 祢々子は悔しげに五月子を見上げた。一応睨んでいるようだが、悲しいかな、祢々子と五月子の身長差は大きい。長身の五月子には、小柄な祢々子の睨みなど全く効果が無かった。

 その様子に、五月子はぶふっと大きく吹き出した。五月子の笑い声は次第に大きくなっていき、同時に祢々子の顔も比例して真っ赤になっていった。


「あー……、ひぃ、お腹痛い……し、小動物?」


 苦しげに呟く五月子に、祢々子はさらに頬を膨らませた。見た目は栗鼠である。


「小動物じゃないもん」


 ――その後、五月子は腹痛によりしゃがみこんだのだった。

 もちろん、笑いによる腹痛である。




「あたし、あんた苦手だったんだけど」


 所変わり、軽食店メルヘン。

 五月子の腹痛がおさまったところで、薫子は別の場所に移ることを提案した。あのまま道の往来で話していたら、話の終わりが見えそうになかったからである。

 なお、案内された席は「白雪姫」、深い赤が印象的な座席であった。祢々子が七人の小人を模したメニューを見て悶えていたのは余談である。


「で、用って?」


 着席し、薫子は話が脱線する前にと会話を切り出した。同じく悶えていた五月子を見かねて、だ。悶えるふたりを見て何となく、意外に馬があいそうだなと薫子は思った。


「そういえば、用って何さ?」


 ここで五月子に警戒心が戻ってきた。どうやら完全に油断していたらしい。

 五月子は意外にとても毒舌であり、敵意や不信感は隠さない性格であった。

 だからこそ、五月子は祢々子から視線を離さない。じっと見つめ、警戒する。


「………」


 祢々子は口を◇の形に開いてぴしっと固まった。

 どうやらこちらも完全油断していたらしい。五月子とは違う方向で。どうも、気が緩みきっているようだ。


「まだあんたを知らないからかもだけど」


 五月子は淡々と告げた。本心など隠すつもりなどない性質のため、まごうことなき本音である。

 祢々子は◇の形に開いた口をさらにパクパクと開閉した。まるで水面に顔を出して呼吸する魚のようである。


「なんか、なんとなく、嫌なんだよね」


 五月子は、ずばっととどめの言葉を間を置かずに放った。祢々子はやはり固まっている。

 そして、じわじわとまとう雰囲気が鋭くなっていく。


「用が何かはわからない。けど」


 薫子は固まり続ける祢々子を真正面から見た。


「人の信用を得るには時間はかかる」


 薫子はゆっくりと、一言一言噛み締めるように言葉を告げ、五月子と祢々子を交互に見た。

 人の信用の脆さ、そして再構築の難しさを薫子はよく知っている――レアンドラとして、貴族令嬢としてたくさん見てきた。

 だから、薫子のいう言葉は重みがある。


「時間は、ある。だから、少しずつ、少しずつ得ていけばいい」


 薫子は何を、とは言わなかった。

 人間関係における信用というものはまさしく砂上の楼閣だ。

 築き上げるまでにも、風や波の妨害に会い、築いたあとでもやはり妨害のリスクに常にさらされ、崩れるときはあっという間だ。

 人間関係の信用も、築き上げるまでに何度も挫けるだろうし、なかなか思うようにいかないし、築いたら築いたで崩壊は簡単に起こる。

 薫子にいたっては、いくら本人が前世とは違うと割りきっても、前世からのしがらみがある。

 五月子にいたっては、動物の本能に近いような直感で会ったその瞬間から、好感度マイナスである。

 アーシュ・チュエーカはヒトタラシだった。何をせずとも、自然に人が集まる摩訶不思議な魅了の力か何かがあった。

 祢々子に生まれ変わってからも、それは引き続き変わらないようだった。

 クラスメートたちにもそれは適用され、転入して間もないというのにあっという間に人気者という有り様だ。ただ、五月子には効果が無かっただけの話だ。


「今の貴女は、五百祢々子でしょう?」


 薫子は五百祢々子から目を離さない。

 せっかく生まれ変わったのだから、ゆっくり築き上げていけば良いのだ。確かにアーシュ・チュエーカではあるけれども、同時にアーシュ・チュエーカではないのだから。

 立場に縛られない時間は、これからたくさんあるのだ。


「だから、猫みたいに毛を逆立てなくてもいいのじゃない?」


 ――五月子と祢々子はまるで威嚇しあう猫そのものだった。




 しばらくして落ち着いた祢々子は、深呼吸ののちにこういった。


「用は――……あたしと、お友達になってください!」


 ――ごん、と額を机に打ち付けて。


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