二章四話[猫と蛇の船出]
「――モントワール発! プレヌメール経由、王都行き! まもなく出発だよー!」
溌剌とした声と共に船の汽笛が響く。
昼下がりの船着き場には、大きな帆船が停泊して乗客を待っていた。
「にゃー! ご主人、船! おっきいにゃー!」
「はしゃぐな、落ちるぞ!」
船に架かったタラップをぴょんぴょん跳ねながら渡るレイ。
慌てて押さえようとするも、時すでに遅し。
彼女はするりと俺の手を抜け、他の乗客達を追い越して、軽やかに甲板へ飛び移った。
「ニャッハー! 一番乗り!」
「やれやれ……勘弁してくれ」
呆れ半分に溜め息を吐きながら、俺も後に続く。
ゆらりと揺れる船板。足元から伝わる波の感触に、俺は旅立ちの実感を得た。
「じゃあな……」
振り返り、小さく呟く。それに返事をするように、潮風が俺の頬を撫でた。
やがて、最後の乗客が船に乗り込む。
「――時間だ! 帆を張れ! 出っ航ォーー!」
一際大きな音で汽笛が鳴る。
それを合図に慌ただしく動く船乗り達。
揺れる甲板、人々の喧騒。潮風と波を掻き分けながら、海を滑るように船は、港から遠ざかっていく。
「動いてる! 動いてるにゃー!」
「コラ、うろちょろすんなって! はぐれるぞ!」
「だいじょーぶ! ご主人の匂いは覚えたからにゃ!」
さらっと怖いこと言うな!
甲板を駆け回る猫娘と、それを追いかける俺。
周囲の乗客達からは奇異の目を向けられ、なんだか居心地が悪い。
「にゃっ、お魚跳ねたー!」
「おまッ!? 急に止まんな――」
慌てて足を止めるが、間に合わない。
勢いを完全には殺しきれず、俺はレイの背中に軽くぶつかってしまった。
「――うにゃ!?」
「わりッ、大丈夫か?」
咄嗟にレイの肩を掴んで支える俺。
その拍子に、彼女の袖口からなにかが落っこちたのを俺は見逃さなかった。
「っと、なんか落ちたぞ……って」
その瞬間、俺は言葉を失った。
拾い上げたのは――財布だ。
でも、ただの財布じゃない。
特徴的なダイヤ形の斑紋……多分、蛇革だろう。柔らかくしなやかな手触りで、素人目にも明らかに高級品だと分かる。
「あー……これ、お前のか?」
耳をぴくりと揺らすレイ。
「そ、そーにゃ! それ、レイのお財布!」
「……ふぅん?」
俺は財布を手の平で転がしながら、ふと目に入った煌めきに眉を顰めた。
そこには――
――“愛しのヴィオレへ”。
そんな一文が金色の糸で刺繍されていた。
「ここを見ろ! お前はいつから“ヴィオレ”なんて名前になったんだ?」
「にゃにゃ!? それは……えっとー……」
視線を泳がせるレイ。耳と尻尾もブンブン揺れていて、動揺がまるで隠せていない。
嘘がつけないタイプだなコイツは。
「レイ、正直に言えよ? これ、どうしたんだ?」
「そ、そこに落ちてたんだにゃ! 本当にゃ! レイは、それを拾っただけで……」
「なるほど……」
盗った訳じゃない、と。
耳と尻尾を見る限り、嘘は言ってないみたいだ。よかった。どうやら俺との約束は守ってくれたらしい。
でも、
「……持ち逃げするつもりだったな?」
「う……」
「う……じゃねえよ! ネコババも立派な犯罪だ! お前、次やったら海に放り出すからな!」
「ふにゃあ……ごめんにゃさい」
強い口調で言う俺に対し、レイはしょんぼりと肩を落とした。
見知った顔がまるで捨て猫のようになる様子に、胸がチクリと痛む。
少し言い過ぎたか?
でも、ここで甘くしたらコイツの為にならない。
トラブルはゴメンだし、それになにより、その顔で……優莉と同じ顔で、これ以上罪を犯してほしくはない。
「とりあえず、この財布は持ち主に返す! いいな?」
「も、もちろんにゃ!」
力強く頷くレイ。
その澄んだ瞳に、俺は頭を抱えた。
「やれやれ……じゃあ、早速……」
聞き込みでもするか、と言いかけた時――
「――あの……少し、よろしいかしら?」
背後から、柔らかな声がした。
思わず振り返ると、そこに立っていたのは、一人の若い女性。
――修道女?
裾に大胆なスリットが入った、修道服らしき服装に身を包んでいて、独特な存在感がある。
顔立ちは大人びて、綺麗な人だと、素直にそう思った。
「いきなりごめんなさいね。実は、この辺りで財布を落としてしまったみたいなの。ご存知ないかしら?」
「あっ!」
思わず声を漏らす俺。
浅く被ったヴェール、その影の奥から彼女の紫紺の瞳が光る。
「もしかして……“ヴィオレ”さん?」
口を突いて出た言葉に、彼女は怪訝な顔で首を傾げた。
「あら? どうして私の名前を?」
「いや、その……これ、落ちてて……」
そう言って俺が財布を差し出すと、彼女はハッとした顔で、
「まあ、拾ってくださったのね! よかった。ずっと探していたのよ!」
安堵した様子で、彼女は自らの豊満な胸に手を当てる。
「レイが拾ったにゃ!」
「あら、そうなの? ふふっ、ありがとう。助かったわ、レイちゃん」
彼女――ヴィオレは、しゃしゃり出てきたレイに柔らかく微笑みかけながら、俺の手から財布を受け取った。
「ああ、親切な方達に拾ってもらえてよかったわ。大切な物なの。本当にありがとう」
「いえ、そんな……」
ネコババしようとしてました、なんてことは口が裂けても言えない。
「にゃははー! レイ、親切にゃ!」
「ちょ、お前、調子乗んな!」
「うふふ、仲がよろしいのね? 面白い方達」
クスリと笑うヴィオレ。
途端に恥ずかしくなって、俺は顔を赤らめた。
「王都までご一緒かしら? まだ先は長いわね。どうぞ、良い旅を」
優雅に会釈をしながら言うと、ヴィオレは踵を返した。
修道服の裾が舞い、スリットから白い素肌がちらりと覗く。
その光景が、やけに記憶に残った。
「まあ、なんだ……よかったな。ちゃんと返せて」
「んー? ご主人、鼻の下が伸びてるにゃ!」
「う、うるさい!」
その顔で言われると、なんだか浮気を疑われてるような気分になる。
変な罪悪感。
俺は誤魔化すように、そっぽを向いた。
「とりあえず、ひと安心か……」
「そうだにゃ〜。安心したらお腹減ったにゃ〜。ご主人、にゃにか作って!」
切り替えが早いタイプなのか、呑気に言うレイ。
「いや、こんなとこで勝手に料理したらダメだろ。中に食堂があるみたいだし、そっち行くぞ」
「にゃ!? 食堂! ごは〜ん!」
レイは一気にテンションを上げ、尻尾をぴんと立てて船内へ駆け出した。
「おい待て! 勝手に行くなって……ああ、もう!」
はしゃぐレイの背中を見失わないよう、俺もまた船内に向かって駆け出した。
次回「船上のオーガニック」
乞うご期待!
※ヴィオレさんに鼻の下を伸ばした方はブクマ、評価をお願いしします!




