ニ章二話[潮風の出会い]
ハッと目を覚ます。
心臓がドクドクと脈打ち、額には汗が滲んでいた。
「……夢?」
頭がチクリと痛む。
良い夢だったような、悪い夢だったような……記憶が曖昧だ。
荒い息を整えながら、俺は周囲を見渡した。
その目に映るのは――病室でも、自分のアパートでもない。梁がむき出しの天井に、年季の入った木製の壁、そして粗末な寝台。
見慣れぬ空間の中に、俺は一人で寝転がっていた。
「ああ、そっか……」
ここは……宿屋だ。
「確か……そう」
昨日の朝、俺は村を出発して……それから馬車に揺られ、殆ど一日かけてここに辿り着いたんだ。
「港町“モントワール”……だっけか?」
馬車から降りた時に見た町の名前を思い出す。
新しい場所に来たという実感が、今になってやって来た。
「村は……大丈夫かな?」
頭に浮かぶのは、昨日の光景。
――騒がしい見送りだった。
いってらっしゃいを言うおっさんの声量と抱擁。
並ぶ騎士達の優雅な敬礼。
まさか来るとは思わなかったズークと、村長親子のなんとも言えない表情。
他にも、見覚えのある村人達がちらほらいて……早朝にも関わらず、あれだけの人が集まってくれた。他ならぬ、俺のために。
そのワンシーンを思い出して、俺はフッと口を緩めた。
「さて、と……」
目覚めの深呼吸。
湿度の高い空気に、仄かな磯の香りが混じり鼻腔をくすぐる。
静かな朝だ。
「……行くか」
革のブーツを履き、手早く旅装を調える。
店から持ってきた鉄鍋を背中へ。腰の鞘におっさんから貰った包丁を差すと、身が引き締まる思いがした。
***
「――やあ! おはよう、アンタ! 昨夜はよく眠れたかい?」
階段を下りると、元気な女性の声が俺を出迎えた。
「ああ女将さん。お陰様でね、体力全開だぜ!」
「そうかい! そりゃあよかった!」
そう言うと女将さんは満足げな笑顔で頷いた。
「ところでアンタ、腹は減ってるかい?」
その問いに答えるかのように、腹の虫が鳴る。
「まあ、それなりに」
「だったら食べていきな! 料金はサービスしてやるからさ!」
そうやって案内されるがまま、俺は食堂へ足を運んだ。
この少し強引な感じ、まるでおっさんみたいだ。その顔を思い出して、俺は密かに笑った。
テーブルに付くと、漁師らしき人達が朝食を食べながら談笑しているのが見えた。
港町の宿兼食堂といった趣き。
いいね、この感じ……個人的にはドストライクだ。
俄然、料理への期待が高まる。
「――はいよ! 待たせたね!」
待ってました!
ハキハキとした声と共に、女将さんが皿を運んできた。
テーブルに置かれていく品々……緑一色なサラダに魚の塩焼き、山盛りのご飯、そして――
『――料理人スキル。食材鑑定Lv3、発動』
アイテム名:ミルクスープ(モントワール風)
種別:料理
可食適性:〇
毒性:無
調味ランク:B+
魚介と色とりどりの野菜が入った具沢山なスープ。
美味しそうだ。
まさかの和食っぽいメニューに、俺は思わず笑顔になった。
「最高かよ!」
「はっはっは! 料理人のアンタに言われると余計に嬉しいねぇ! さあ、冷めない内にお上がりよ!」
「いただきます!」
手を合わせ、まずは焼き魚へ。
ナイフとフォークでパリパリの皮と白身を一口大に切り取り、頬張る。途端、塩で引き立てられた魚の旨味が舌の上に広がった。
「美味ぇ……!」
なんの魚か知らないが、鯖みたいに脂が乗っていてふっくらジューシー。
これは絶対、ご飯と一緒にいくべきだ。
魚をバウンドさせた白米をわしわしとかきこむ。
これはたまらない。日本に生まれてよかった! いや日本じゃねぇけど。
それに――このスープ!
まろやかでコクのあるミルクに、野菜と魚介の出汁が溶け出していて朝のお腹を温めるには最適だ。叶うなら、ここにちゃんぽんの麺を投入してズルっといきたい。
「いい食べっぷりだ! 男ってのはそうでなきゃね!」
女将さんの豪快な笑い声が宿屋に響く。
お陰で朝の気怠さが一気に吹き飛んだ。
「……そういや、アンタ聞いたかい? 最近この辺りでまた司災獣が出たって話だよ、嫌だねぇ?」
「司災獣……へぇ〜」
「ここからでもでっかい火柱が見えた、なんて物見の連中が言っててさぁ……この辺は幸い何事もなかったけど、“フォルムの村”の方は……大変だったろうね」
「フォルム……ああ、そっか」
もしかしなくても、俺の居た村のことだろうな。名前……あったのか。
ともあれ、もう噂が広まってるみたいだ。
まあ、当然か。この町は村の目と鼻の先にあるんだから。
こっちに被害がなかったってんなら、よかった。
そんなことを思いながら、俺は黙々と食事を進めた。
「……おっと、悪いね! ちょいと湿っぽい話になっちまった!」
「いや、大丈夫! まあ、なんつーか……村の人達だって。皆、強ぇからさ」
そんな俺の言葉に、女将さんはなにかを察したようだった。
「そっか……うん、そうだね! アンタの言う通り、人は強い! 聞いた話じゃ、村の“英雄様”とやらが紅竜を追い払ってくれたんだろ? 大した奴が居たもんだ!」
「ま、まあね」
――俺のことだよ。
なんて、言うつもりはない。
口の端に浮かんだ笑みを隠すように、俺は湯気の立つスープを一気に飲み干した。
「ごちそうさん! 美味かった!」
「はいはい、お粗末様! またいつでもおいで!」
手を振る女将さんに軽く会釈を返し、俺は宿の扉を押し開けた。
***
港町モントワールの朝は、活気に満ちていた。
波止場に響く鳥の声。漁師や商人らしき人達の忙しい足音をBGMに、俺は道を歩いていく。
「いい町だなぁ」
ふと、潮風に乗って甘い香りが流れてきた。
目を向けると、そこには小さな屋台が一軒。
香りに誘われるまま、俺はふらふらと足を運んだ。
「らっしゃい、らっしゃい! モントワール名物、ハニー・ボーロ! 兄ちゃん、どうだいお一つ? 今なら焼きたてだよ!」
そう言いながら、店主は鉄板の上の生地を忙しそうに転がしていた。
これは……たこ焼き? いや違うな。
玉子と麦の焼ける匂いに混じって、僅かに蜂蜜の存在を感じる。
思わぬ屋台スイーツとの出会いに、俺は涎を呑んだ。
「おっちゃん、これいくら?」
「一つ50クロスだ! 買うかい?」
「おう! 一個ちょうだい!」
俺は懐から財布を取り出し、数枚の銅貨を店主に渡した。
正直、値段が安いのか高いのか分からないけど、ここで見送る選択肢なんて、俺にはない。
おっさんから「旅費だ!」って言われて貰ったお金。まだ沢山あるし、このくらいの買い食いは大丈夫だろう。
「はいよ! 熱い内に食べな!」
「あんがとー!」
渡された紙袋の中には、ほくほくと湯気を立てる黄金色の玉が、これでもかと詰められていた――
『――料理人スキル。食材鑑定Lv3、発動』
アイテム名:ハニー・ボーロ
種別:料理
可食適性:〇
毒性:無
調味ランク:B
食後のデザートにちょうどいい。
大通りを歩きながら、俺は早速ハニー・ボーロを一つ摘んで口の中に放り込んだ。
「くぅ~、甘っ! うまっ!」
一口目はサクッ、二口目はふんわりと。
生地に溶け込んだ蜂蜜の風味に、このコク……焼く時にバターを使ってるらしい。じんわりと舌に染み込むような甘さに、俺の顔はつい綻んだ。
これはじっくり味わいたい。
宿の女将さん曰く、王都行きの船が来るまではまだしばらく時間があるみたいだし、どこか静かな所でこの味と向き合おう。
そう思って、俺は細い路地裏に足を踏み入れた――
「――危にゃぁ〜〜ッ!!」
その声が聞こえた時にはもう遅かった。
――ドンッ!
衝撃と共に景色が回る。
宙を舞うハニー・ボーロと、成す術なく地面に叩きつけられる俺。少し遅れて、柔らかい感触が体の上にのしかかってきた。
「むぐ……っ!?」
「ご、ごめんにゃー! 大丈夫かにゃ!?」
目の前で慌てふためく人影。
逆光で表情までは見えないけど、シルエットは華奢。声も高いし、多分女の子だろう。
「だ、大丈夫……君は?」
「平気にゃ!」
独特な語尾は一旦置いといて、怪我とかはなさそうだ。とりあえずよかった。
よかったけど、
「あの……ちょっと……?」
どいてほしいという思いを少女に目で訴える。
重いからとかではなく、この状態……女の子が俺の下半身に乗っていて、なんというか……血圧が上がりそう。これはよくない。
「うにゃッ!? ごめんにゃさーい!」
俺の視線に気付いた少女が勢いよくその場から飛び退く。
やれやれと俺は起き上がり、散らばったハニー・ボーロを見て少しだけ肩を落した。
「本っ当にごめんにゃ! まさか人が来るとは思わにゃくて……」
「いや、いいって。お互い、怪我しなくてよかった」
深々と頭を下げる少女。
そんな彼女に、獣の耳と尻尾があるのを、俺は見逃さなかった。
――“獣人”、ってやつか?
まあ、異世界だもんな。いても不思議はない。村では見なかったけど、もしかして珍しいんだろうか?
一人でそんな事を考えていると、
「はいッ、これ」
「ん? ああ、ありがとう」
少女の声で我に返る。
視界が塞がるくらい至近距離に突き出された紙袋。
ハニー・ボーロ……拾ってくれたんだな。
「弁償したい所にゃんだけど、今は急いでるから」
「いや、ホント気にしないで! ハニー・ボーロならまた買えばいいしさ!」
そう言って俺は少女から紙袋を受け取った――
「ッ……!?」
――瞬間、時が止まった。
「な……な、んで……?」
声が震える。
あり得ない光景が、そこにはあった。
「ど、どうしたんにゃ?」
きょとんとした表情で俺を見る少女の……その顔、それは――
「……“優莉”?」
窪田優莉――ここにいる筈のない、恋人と同じだった。
次回「盗まれたのは」
乞うご期待!
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